第721話 人の顔 ⑪
「西のア・メルン城塞。
そこで病床の妻と暮らしていました。
南部から引き上げる途中で妻の具合が悪化し、動かせなくなったのです。
妻は東マレイラの人族でしたので、城塞経由でなるべく負担なく帰国できるようにと西回りの低空航路を選んだのです。
ですが、城塞にて力尽きてしまった。
私は、弱い人間です。
妻の死に向き合えず、不死の御業を持つという魔導師なる者に縋りました。
生き返らせて欲しいと。」
誰かが口を挟む前に、ニルダヌスは薄っすらと微笑みながら、皆を抑えるように手をあげた。
「私の話を信じろとは言いません。
ですが、私が罪人である事は信じられるでしょう。
私は、妻を生き返らせた。
ほんのひと時の事ですが。
次に、義理の息子ベインが死にました。
この時も、同じ事を私はしたのです。」
「いつ、ロッドベインは死んだ?」
カーンの問いに、ニルダヌスは微笑んだまま答えた。
「卿がジュミテックにて戦っている頃です。
くだらない諍いで腹を刺されまして。
娘は狂乱し、私に願いました。
私が悪い先例を作ってしまったからです。
妻の最後を知っている娘でしたが、夫を失いたくないと実を奪い与えてしまった。
腑抜けた私から奪うのは簡単な事だったのでしょう。
可哀想な事をしました。
愚かな私の所為で、すべてを娘の人生を終わらせてしまった。」
彼の話がどれほど深刻であるのか、室内にいる者はわかっているだろうか。
いるとすれば、コルテス公爵だろう。
そしてこの話にグリモアの歓喜を感じ、私は恐怖に落ち着きを無くしかけていた。
支配は解けかけている。
が、この道化の口を滑らかにさせているモノがいる。
さしいで口をする図々しい者共には、わからせねばならない。
止めてほしい。
沈黙をしている筈なのだろう?
私はざわつく彼らを押さえ早急に伝えねばならないことを思案する。
そうして傍らの手に触れた。
(彼は静かな人です。
感情が乏しすぎる。
支配されている可能性があります。
発言を誘導されている可能性があるでしょう。
所謂、力の支配です。
真実を語っているかもしれませんが、彼を支配する者の思惑もあるでしょう)
「力の支配?」
兵士の方々ならわかるでしょう。
洗脳でしょうか。
彼は彼自身の意思で語っているのでしょうか?
「洗脳、根拠は?」
洗脳という言葉に、モルダレオが即座に反応した。
素早くニルダヌスに向き直ると、彼の顎を掴んだ。
それからなすがままの男のまぶたに手をあて、瞳孔を覗き込む。
「軍事裁判時の医療検査では何も出ませんでしたが、あり得ます。」
「裁判後の加工処理の所為では?」
バットの反論に、モルダレオは違うと返す。
そして彼はニルダヌスの顔を左右に動かし、瞳孔の反射を見る。
「抑制加工は精神面には影響がない。
狂化の抑制加工と同じ工程で、臨床的に問題はでていない。
確かに精神抑制の痕跡は..ありそうですな。
エンリケに精査させましょう。」
「何故今更、こんな話をするんだ?」
モルダレオが顎から手を外すと、ニルダヌスは少し頭を傾げた。
「何故でしょう、私にもわからない。
教会に、東に落ち着いてから、昔を思い出すようになりました。」
何故、支配が去った?
「ともかく、先を」
カーザに促されて、ニルダヌスはため息ひとつを吐いてから続けた。
「ベインは生き返りました。
もちろん、死んで生き返るのは神の定めに逆らう事。
真っ当なベインは戻ってこない。
娘は喜んだが、仮初に宿るは元のベインではない。
反乱が証明しています。
彼は元の、気の小さな男ではなくなっていた。
卿がご存知の臆病で保身に長けた男ではなかった。
私はベインを始末しようしました。
けれど力は根付き、回収は一部しかできなかった。
処刑され焼かれたと聞き、残りは灰になったのならばと安堵しました。
後は、私が残りを始末すれば、いいのですから。」
「その力とは、具体的にはどんな代物だ。
それは死者を蘇らせるのか?
そのモノは、始末したのか?」
矢継ぎ早のカーザの問いに、ニルダヌスはぼんやりとしたまま考え込んだ。
グリモアの示す回答が、ビミンの狼狽の意味を知らしめる。
レンティーヌは何処にいる?
回収は一部。
残りを始末しようとしたが、ニルダヌスはできなかった。
支配を受けていたからだけではない。
回収した一部は、どうにも手出しできない娘の中にあったのだ。
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