第508話 湿地にて ⑤

「まぁ庶民にはわからん話だ。

 でだ、ここからが重要だ。耳を貸せ。」


 意図を察して、バットは指揮する新人士官達の方へと離れた。

 獣人の耳に内緒話は無駄であろうが、配慮したのだろう。

 だが、そんなバットルーガンの気遣いは、男には何か不可解だったようだ。

 カーンは奇妙な虫でも見たかのように、首を傾げる。

 表情からは何も伺えないが、とても理解し難いという感情が微かに伝わってきた。


「どうしました?」

「不思議でな」


 どうしたのだろう?

 私も天幕の反対側に移動した姿を見る。

 時々新人たちに助言をする様子は、特に何もおかしくは見えない。


「さっき、お前、悲しいと言ったろ?」

「姫の話ですか」

「あぁ、悲しいと憐れんだ。

 だが俺の場合は、他人の悲惨な末路を憐れみはしない。

 何にも感じねぇのさ。

 蛾が火に飛び込む様を見たようなもんだ。

 そんな俺でも、不思議でな。

 あんまり馬鹿を続けるのを見ると、なんとも言えねぇ気分になる。

 臆病な癖に、なぜ悪手を選ぶのか、わからん。」

「何の話です、旦那?」


 カーンは私を見下ろすと、微かに笑った。

 笑い小声で話を続けた。


「まぁの話なんぞ、どうでもいいよな。

 モンデリーから仕入れた。

 公主の墓に携わった者達全てに、公王から記章が送られたそうだ。

 公主の名でな。

 あの船方は、きっと資材と人を運んだんだろう。」


 内緒話に、私も同じく手を口にあて返した。


「よくわかりましたね」

「サーレルに調べさせた。

 モンデリーの古参が知っていた。

 墓所はここから徒歩で半日。

 野営して早朝に出発だ。

 巫女の、お前が墓参する。

 名目は、巫女の墓参だ。いいな?」

「似非見習いですが?」

「わかりゃしねぇし、どうせ信心深い奴は、この辺りでは稀だ。

 まぁいない訳じゃないが、墓参にケチをつけるようなのも排除できる。

 それに元々、雲をつかむような話だ。」


 この日は、日没まで戦闘訓練が続いた。

 無傷で罰則の錘が増えなかったのは、二十三人。

 本当に一握りだが、並べられた兵士は、どう見ても新人には見えない。

 カーン曰く、移動組という者達らしい。

 傭兵出身者や他で扱い難い者、という。

 聞けばカーンが第八にいた頃の子飼。

 つまり、カーンの動きに合わせて移動している者だろう。

 単なる墓参も、困難を予想しているという事だ。

 不安である。

 彼らを加え、私達は演習から離れて野営だ。

 間違って夜襲対象にされないようにだろう。

 もちろん、夜襲する方が困るという意味でだ。

 こちらでは堂々と焚き火を囲んでいるが、演習している方向からは、物騒な叫び声が聞こえた。

 私が驚いて飛び上がると、焚き火を囲む者達が笑った。


「大丈夫ですよ。

 死にはしませんからね。

 どこの教練もこんなもんですから、怪我だって見た目より大したこと無いんですから」


 大柄な女性兵が、食事をしながら宥めるように言った。

 ちょうどカーンはバットとオルトバルの元におり、不在だ。

 今後の予定を話しているのだろう。

 私を囲むのは六人の女性兵だ。

 何れも大柄で大型の獣人女性、聞いたところによれば、全員猛獣の肉食型だそうだ。


「大丈夫ですよ。何があっても、アタシ達が何とかしますからね。

 何の心配もありませんよ。

 えぇ大丈夫。

 こんなちっちゃい巫女様を連れ回すなんて、団長じゃぁなけりゃぁ、ぶっ飛ばすとろこですよ。ったく、男は馬鹿ばっかりだ、糞がっ。

 あぁ、すみません。

 言葉が汚かったですね、お許しください。

 さぁ巫女様は、ゆっくり、よく噛んで、ご飯を食べましょうね。

 ほら、こっちのも美味しいですよ」


 完全に幼児扱いだった。

 赤子ではないと伝えたのだが、どうしたものか。

 満開の笑顔を前に、困惑、いや、途方にくれた気分になった。

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