第230話 水没

 言葉を吟味するまでもない。

 すっと揺らぎ消える影。

 見回す。

 兵士は剣を抜き、それぞれに固まる。

 赤い水は増え続け、膝下までになっていた。

 腐れた者たちが、人に迫る。

 囂々と注ぎ続ける水。

 さぁ、私はどうすればいい?

 と、水量の増えた取水口から、最後の一人らしい者が吐き出される。

 吐き出された男は、緊張する兵士の間で、盛大に咳き込み立ち上がった。

 それから辺りを見回すと、場違いな朗らかさで言った。


「いやぁ、迷いました。出口はわかりますか?」


 サーレルだった。

 毒水を飲んだわりに、元気そうだった。

 人間の本質は、異常な時ほど顕になる。

 へらへらと笑った男は、あっという間に、目の前の死体の首を落とした。

 カーンが首を剣で撥ね飛ばすとすれば、彼は擦り斬る感じだ。

 彼の剣は、細く鋭い物で、右手にその細剣を握り、もう一方の手には短剣がある。

 突き抜いた後に、二本で擦り切る。

 鋏のような感じだ。

 腕が悪ければ、細剣が折れる。

 それを身軽に移動しながら、頭部を落としていた。


「何をしているんです!

 国から死体はきちんと始末するよう通達が出ているでしょうに」


 論点がずれている。

 と、私は思ったが、兵士はようやく動き出した。

 数人がかりで、向かってくる死体を解体する。

 当たり前だが、死体は普通の村人だ。

 その中にグーレゴーアの私兵がいたとしてもだ。

 その私兵とされる労働者達が兵士を襲っても、たかが知れている。

 死体に対する忌避感がなければ、制圧は容易だった。

 それに婆様は、彼らを操ってはいない。

 彼らも、兵士を殺そうとしているのではない。

 婆様が言う通り、呪いも人を殺した術も、すべて目的が違うのだ。

 私は膝上まできた水をかき分けながら、エリの元へ向かう。

 もちろん、死体と兵士の諍いの間にはいっていく事になる。

 だが、死体は私を傷つけない。

 誤って兵士に斬られないようにゆっくりと歩く。

 水死か毒物で死ぬか。

 婆様の狙いは、語ったように生贄の量産だ。

 目的は、我々の溺死だけではない。

 エリを抱えるライナルトの元へと近づく。


「サーレル、サーレルの旦那!

 楽しんでないで、こっちへ来てください!」


 動きの鈍い死体を切り刻んでいる背中に怒鳴る。

 少し不満げに、男は振り返った。


「このままでは、溺れ死にます。

 溺れ死ななくても、この水は毒です。

 それに凍えて死ぬ」


 水路の水は、冬場にしては温度が高く、今の時点では浸かるにも耐えられていた。

 だが、毒の水を飲むのはさけたい。


「毒なのですか、そうとう飲みましたよ。」


 サーレルは、嫌そうに口を手で覆った。

 気にしないかと思ったが、普通の反応に気が抜ける。


「長期に呑まなければ、獣人の旦那なら死にませんよ。それよりも、溺れる前に出なければなりません」


 私は穴蔵と化した水路を見回す。

 呪いだ。


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