第664話 挿話 兵(つわもの)よ、剣を掲げよ盾を押せ 中 ⑩
関の混乱から離れ、ボフダン側の街道を進む。
あれから直ぐに門が一時解放され、足止めもなく通された。
イグナシオ達が後始末の責を負わされる事もなくだ。
厄介払いを優先したのか、単に杜撰なだけなのか。
そうして一行が足を止め野営を組んだのは、深夜になってからだった。
ボフダンの沿岸都市には、後半日の距離まできている。
久しぶりに煮炊きをすると、一行は休息に入った。
ここまでの出来事を反芻する。
が、イグナシオの視点からは、不明瞭な情報と奇妙な出来事が見えるだけで、その繋がりや意味はわからない。
サーレルの口から出るのは、嘘ではないが核心には至らぬ事の断片なのもある。
誘導されているのはわかる。
その相方は、関を抜けてから上機嫌だ。
あの害獣と遭遇できたから。と、いう訳でもないだろう。
何かよからぬ謀の種をまいたか、これから芽吹くというところか。
面倒、迷惑千万だが、やり方は別として、必要な事なのだろう。
そこは我慢するしか無い。
当のサーレルは、鼻歌交じりで食事をとっていた。
イグナシオの不満や疑問を知っているのだろうが、元より素直に情報を吐く人間では無い。
それも相手の仕事の内と我慢はするが、癪に触る。イグナシオも人間だ。
「企みは順調か?」
元老院の間諜に、企むも何も無い。
無いが、生来の癇性故に、イグナシオは黙っていることができなかった。
それにサーレルは、ニヤッと笑いを返した。
「えぇ、結果が楽しみですね」
不気味な含み笑いをする男に、イグナシオの額に筋が立つ。
「怒っているのですか?」
「説明は無いのか?」
「わかりませんか?
言ったでしょう?
事実が重要なのです。」
サーレルは食事を終え姿勢を正すと、相手の目を見つめ返した。
「最短で3日で任務完了です。
これから我々はボフダン公爵に面会し、親書を渡す。
順調なら会談を経て、帰路へつくことになるでしょう。
返答を携えてね。
これで我々のお使いは終了です。」
「それが何だ」
「この任務の間、私と貴方は同じ事、物を見てきました。
見た、事柄だけで十分なんです。」
変異体。
虫。
病。
シェルバン人の男。
水場。
害獣。
「害獣は始末した。」
「えぇそうですね。」
「その機嫌の良さは、検体を採取できたからか?」
「そうですねぇ〜順調でよかったですよねぇ」
嘘だ。
この機嫌の良さは普通では無い。
発症原因の元らしき生き物を我々は見た。
見せられた。
それで?
害獣は始末した。
関を押し通り、ボフダンへと来た。
会話、今までの会話だ。
情報を持ち帰った配下が死んだ。
おそらくシェルバンに潜ませるのだ、人族だろう。
「死んだ配下は感染していたのか?」
「いいえ。かなり深く潜入できていたのですが、追手に。
ですが、亡骸もこちらに引き取る事ができました。
感染はしていませんでしたよ。」
「何をするつもりだ?」
「私は何もしませんよ。
ボフダン公との楽しいお話し合いの草稿案を練っているだけです。
なるべくなら利益もでるような働きかけをしたいと思っていますし。
ほら、やはりボフダン公程の商売人と顔を繋げられるなら、我々の故郷にも良いことでしょう?」
「ボフダンで何かあるのか?」
「火薬の補充は、十分にボフダンでするといいですよ。
為替ではなく、両替済みの地方貨幣も白金まで揃えましたからね。
何しろ、様々な工業製品に鉱物加工品の宝庫ですから。
我々の分まで仕入れてくださいね。」
「あぁ、そのつもりだ。」
「さて、見張りの交代もありますから、そろそろこの話題は終了です。
はは、別にボフダンでは何も起きませんよ。
交渉事に注力するので、そんな余力はありません、ご安心を。」
「原因らしきものを見つけたからか?」
「妙な生き物は見つかりましたね」
結局、イグナシオにはサーレルの楽しい話しを聞き出す事ができなかった。
***
「雨が止んでよかったです。
私の順番は直ぐなんで、このまま火の番をしていますよ。
では、おやすみなさい。良い夢を」
「ボフダンとの交渉内容は別にして、公の見解ぐらいは教えろ。」
「わかってます、ほら、寝てください。」
と、イグナシオを送り出す。
背を向けた彼には見えなかったが、サーレルは表情を落とした。
「きっと怒るでしょうねぇ。まぁこれが私の役割ですしね。」
そうして彼は、シェルバンへと続く街道を振り返った。
闇があるだけの道を見る。
じっと見ている内に、再び、皮肉げな笑顔が戻る。
そうして己を嗤いながら、心にもない言葉を吐いた。
「..神のお慈悲がありますように」
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