第282話 我は悪霊なり (下)②

 女は、そこで漸く生贄が消えた事に気がついた。

 部屋を見回すが、元々逃げ道などない。

 慌てて、もう一度召喚しようと呪陣を足元に敷く。

 だが、構築の途中で描いた物が次々と壊れる。

 代わりに、床一面に奇妙な光りが浮き上がった。

 緑と赤。

 不安を呼び覚ます色が、二重の輪になって足元に浮かんだ。

 そして、女が陣の意味を理解するのと、彼らが現れるのは同時であった。


 断絶。


 断片が見える。

 女は、因果により化け物になっていく。

 多くの怨嗟、彷徨える魂が集まる。

 あのイエレミアスに宿った肉の塊。

 悪霊の巣。

 そこに異教の神の姿が混ざる。

 そうして、女は、失った。

 幾重にも間違った呪術を、成立しない儀式を成功させたのだ。


 再びアレンカを捉えた、最初の呪術が発動する。

 婆様の輪だ。

 正しい呪術が壊れた術式を押しやる。

 そこには皆がいた。

 知らぬ者など、誰一人いない。

 アレンカを囲んで、皆、踊る。

 踊る輪は、どんどん小さくなっていく。

 皆、笑いながら、手を伸ばす。

 アレンカをつかもうと、皆、手を伸ばす。

 彼女は悲鳴をあげて、その手を退けようとした。

 だが、手は、彼女を放さない。

 もう、絶対に離れない。


 そうして、傾いた世界が戻った。


 ***


 私達に振り上げられた触手は、幾千の蛆へとかわり解けた。

 ドシャリという水音と共に、蛆が床へと落ちた。

 その床には二重の呪陣が浮かぶ。


「やめて、やめて、近寄らないで」


 アレンカの喚く声。

 死者と遺骸はそのままに、場所と女の姿だけが変わった。

 私達は空を見上げ、巨大な姿を認め武器をおろした。

 崩壊した城の残骸。


(時間の空白があるね。まぁ仕方ないか。多数の呪術が同時にあったからね。歪みが出てもおかしくない)


 地下の儀式場が、そのまま上に持ち出されたようだ。

 何故かイエレミアスの遺体は、未だに椅子に腰掛けたまま、傷一つなく無事だ。

 そして体中を、槍の棘だらけにしたナーヴェラトが体を目前で揺らしている。


「私が、私が悪いんじゃない!私は」


 いっそ清々しいほどに、自分勝手な言葉が吐き出される。

 アレンカは、異形の姿から、元の人の姿に戻っていた。

 髪を振り乱し、手を振り回している。

 まるで何かに追い立てられているように、喚きながら蹌踉めく。


「何が」


 口を開こうとしたサーレルを押し止める。

 化け物は、七つの首を揺らしながら、廃墟を眺め回している。

 ライナルト達兵士の姿は見えない。

 燃え盛る街、城、視界には煙と灰が舞う。

 だが、とても静かだ。

 とても静かで、喚く女以外、全てが終わった世界のように静かだ。

 ふわふわと灰が舞う。

 何もかも見失っている女が喚き、蠎はその頭上で首をうねらせる。


(美しい極光を呼ぼう、そして輪が閉じる様を見よう。

 明日を子供に与える、踊りの輪だ!)


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