第281話 我は悪霊なり (下)

 静止した視界に、影がよぎる。

 赤い色、黒い色、白い色。

 そこに影がよぎる。

 部屋いっぱいの怨嗟を受けて、黒い影がわきあがる。

 輪だ。

 黒い影が輪になって踊っている。

 影の輪は、二重だ。

 フリュデンの呪術方陣と同じように、外と内側が逆に回転していた。

 踊りはゆっくりと動きを止めていく。

 すると、部屋の隅から小さな影が走り出てくる。

 それが輪の中で蹲る影の側にたった。

 影は、その小さな影に手を引かれ、二重の輪の内側に交じる。

 輪は再び動き出した。

 再び、影は動き踊り世界は、傾いた。


 ***


 女は、エリの首をつかむと祭壇に叩きつけた。

 痛みがエリの意識を奪う。

 女は、子供を石の台にのせた。

 特別な血の子供だ。

 忌々しい特別な子供。

 自分がなりたかった特別を当然のように与えられた子供。

 シュランゲの子供、シュランゲの人間は、皆、死ねば良いのだ。

 自分を蔑んだ無知蒙昧な、田舎者どもは死ねば良い。

 そう思う側から、女は、どんどん失っていった。

 女は、自分の手にした特別な玉を見て嗤う。

 盗み出したが手に取れなかった代物だ。

 ひとつは無くなっていたが、残りは子供が祈りを加えてひとつにして抱えていた。

 子供の祈りが、これの餌だ。

 もし、これでもたりないようなら、この忌々しい子供を殺そう。

 殺さずに済んだら、血を搾り取ろう。

 特別な血だ。

 さぞや喰らえば、ご利益があるだろう。

 女は、そうして失っていく。

 人のあるべき事々を、そうして失っていく。

 古来より呪詛祈願には、生贄と場所、力の強い呪具が必要だ。

 呪具は、この神の一部である玉でもよい。

 奪い取った玉を祭壇に捧げた。

 それを置いてから、女は他の生贄の様子を見て回る。

 多くが死にかけで苦しんでいた。

 苦しみは祈りと同じだ。

 よくよく力になるだろう。

 長年、毎日のように祈りを捧げられてきた玉だ。

 さぞや、高位の神を下ろせる事だろう。

 そう、神を呼ぶのだ。

 と、女は嗤った。

 さて、何を願うか?

 元の体に戻る?

 いいや、駄目だ。元に戻るのではない。

 本来の私になるのだ。

 誰もが一目置き、敬い讃える。

 普遍の美しさを称賛し、永遠に若さと、そして。


 己が考えに浸るうちに、女は失っていく。

 名前も、それまで大切にしてきた事々も失っていく。

 彼女はもう、戻れない。

 そんな己が考えに浸る罪人は、生贄が目を覚ました事に気が付かない。


 エリは、目を覚ますと祈った。


 毎日の祈りと同じだ。

 皆が幸せでありますように。

 明日が確かに来るように。

 お友達と、又、会えますように。

 すると、祭壇の玉は溶けた。

 元々、この場所は祈りの為のものだ。

 正しく神の子であるエリが祈れば、即座に返事が届く。

 いつもどおり、友達に祈る。

 久しく絶えていたから、余計に神は素早く答えた。


『エリ、ありがと』


 そして嘗ての子どもたちと同じに、神はエリを痛みのない世界に消した。

 悍ましい魂から守るため。

 小さな白い蛇が代わりに現れる。


『お迎えは早いほうがいいよ』


 どういう意味だ?


(つまり、子供は神が隠したのさ。だから、はやく迎えにいかないと、すべてを忘れて帰れなくなるって事さ。ふふっ、古い神様は、とても怖いのさ。)


 それから、くるりと輪を描くと白蛇も消えた。

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