第283話 我は悪霊なり (下)③

「何故、私ばかり、こんな目にあうの。本当なら、私が」


 己を憐れむ女に、侯爵が唸るように言った。


うぬが何だ?

 少領主の妻の座か?

 汝が欲しがっていた物なぞ、このように儚いものぞ。

 欲しいならくれてやる。

 だが、手に入れたとて、汝のような者は満足すまい。」

「嘘ばかりだわ!

 くれてやるですって?

 その実、金貨一枚施す気などないくせに。

 私をいつもいつも馬鹿にして」


 すかさず返る言葉のくだらなさに、侯爵は嘲笑を浮かべた。


「強欲で醜い女だ。

 施す?

 汝のような輩は、湯水のように与えても、何も残らぬだろう。

 我も愚かだ。

 かけるべき情けを向ける相手を間違えた。

 妻達も子らも、誰も、我と同じ生き方なぞ、望んでいない。

 望むは、汝のような餓鬼どもであろう。」


 そうして彼は、一歩、蠎の前に踏み出した。


「侯爵様」


 押し止めようとする私達を振り払い、彼は蠎へと身を晒す。


「約定どおり我を喰らうがよい。

 そして、極光と共に去れ!」


 誰が愚かだったのか。

 皆、愚かだった。

 侯爵は、生きていたくなかった。

 罪人は、ひとりぼっち。

 ひとりぼっちで誰に自慢したかったんだろう?

 サーレルは、自分は関係ないと思っている。

 きっと自分だけは、生き残れると。

 けれど、今は笑っていない。

 そして一番、何もできなかったのが私だ。

 不意打ちに動けない。

 侯爵の動きではなく、侯爵の宣言に吹き出した影の数に驚いてだ。

 異様な景色に、何をどう受け止めて良いのかわからなくなる。

 そんな混乱を他所に、犠牲者も手を繋ぎ、輪に次々と加わった。

 巨大な蠎を起点に、吹き上げるように影が輪になる。

 そんな踊る人々の影を見て。

 視界の端、蠢く影が広がるのを見て、私は。

 私も皆も、愚かだった。


 ここに至り、やっと女は、自分が化け物の目前である事に気がついた。

 盛大な悲鳴があがる。

 悲鳴をあげ騒ぎ立てながら、己が犠牲にした者達を踏んではかき分け逃げようとした。

 逃げて、前に出た侯爵から離れようと藻掻く。

 死にたくない、助けてくれと繰り返しの懇願も漏れ聞こえる。

 その無様な命乞いに、侯爵の表情は曇った。

 そして目の前の蠎に向かい、彼は言葉を呑んだ。


(よく見ておきなさい。これが本当の呪術師と呼ばれる者の業だ)


 踊る影。

 侯爵の背中。


(先ずは、復活だ)


 蠎の七つの頭は、侯爵を見つめた。


(理により、神を損なう事無く、戻す)


 スッと蠎の頭全てに、知が宿る。

 侯爵を見つめ、表情のような物を浮かべる。

 じっと見つめて..目を細めた。


(でも別に、魔ではなくとも貪欲なのは変わりないんだけどね)


 あぁ楽しい。


 と、蠎は確かに笑った。

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