第284話 極光

 目を閉じた。

 如何な人の道から外れた者の血でも、見たくなかった。


 ゴリゴリという音。

 絶叫、人の物とは思えない声。

 サーレルの厭そうなため息。


 楽しいという表情を認めた後。

 侯爵は押しのけられた。

 まるで邪魔だと言わんばかりに、頭のひとつにトンっと押される。

 転げる彼を、私達は慌てて抱き起こした。

 それがひとつ頭で行われ、同時に一番太い首の頭は罪人の腹を咬んだ。

 無惨だ。

 見たくなかった。

 けれど、見なければならない。

 彼女の終わり、それにどうなるかを。


(死なぬ事を望んだからね)


 喚く女を、蠎はゆっくりと咬んだ。

 ちぎれぬ程度に咬んで、他の頭に渡すを繰り返す。

 女は死なず、恐怖と痛みに痙攣をしながらも叫び続けた。


 助けて。

 痛い。

 怖い。


 その言葉が女から漏れる度に、瓦礫の其処此処から、亡者が更に起きあがる。

 彼女が呪の肥やしにした者達や、巻き込まれて死んだ者達だ。

 彼らは彼女の悲鳴が聞こえる度に、踊る輪に入っていく。

 その度に蠎はより深く女を咬んだ。

 細い女だ。

 本当ならひと咬みで跡形もない。

 加減したのか、それとも人にあらざる者になったからか。

 胴体はグズグズに崩れ、やがて手足が落ちる。

 落ちた体は蠎が喰った。

 そうして胸まで喰われてやっと、女は叫ぶのを止めた。

 残された首は、尚も恐怖で目を見開いている。

 その首も暫く地面に転がされてから、ひとくちで飲み込まれた。


「我が喰われる間に、隠れよ」


 侯爵の言葉に、サーレルが私を掴む。

 だが、逃げるより先に、蠎は咆哮をあげた。

 あの身を凍りつかせる叫びだ。

 動けなくなった私達に蠎、ナーヴェラトは頭を近づけた。

 喰われるか。

 私達が半ば諦めて見上げていると、背後から誰かが進み出るのが見えた。


(ふふっ、これほどの邪魔が入ったというのに完遂してみせるか)


 それに七つの頭は吼えた。

 まるで嗤うように。


 彼も、楽しげに手をあげて答える。

 父親に、死んだ友や恋人に答える。

 ぎこちなく歩み、彼は答えを示した。


「イエレミアスか?」


 父親を見ると、彼は自分の胸に片手を置いて礼を返す。

 生前と変わらぬ仕草。

 息子を愛していなかったわけではない。

 その姿に、侯爵は唇を引き結んだ。

 息子は、やはり何も言わず蠎に向き直る。

 それから、ふらりふらりと酔ったように楽しげに歩いた。

 終わりを齎す怪物の元へ。

 皆が待つ輪の中へ。


 七つの頭は、そろって彼を取り囲む。

 そうして珍しげに彼を見ると、一番首の太い頭が前に突き出される。

 嫡子もそれを前にして、風に揺られながら立ち止まった。

 アレンカの凄惨な最後を見た後だ。

 何が起こるのかと固唾を呑んで見守る。

 が、予想を裏切り消えただけだった。

 蟒が口を大きく開き、嫡子は消える。

 咬み喰われたようには見えなかった。

 するりと呑まれたのだ。

 まるで空気を飲むように、するりと。


(殺すことはできない。

 封じることもできなかった。

 怒りを解く事は、多くの命によって叶ったけどね。

 じゃぁどうするか?)


 ナーヴェラトは、カハッと息をもらした。

 それから何かを探すように、あたりを見回す。

 見回し、見つけられなかったのか、七つの首は天を揃って仰いだ。

 一瞬の間。

 そして轟音が響き渡った。

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