第203話 コインの裏 ②

 フリュデンは楽しい場所らしい。

 街の者は皆、ずっと笑っていた。

 ここに案内してきた男も笑っていた。

 笑って、何を話しかけても返事がない。

 案内を終えると、男は酔った足取りでふらつきながら戻っていく。

 戻る場所がわかっていればいいのだが。


 エリは部屋の椅子に腰掛けて、足をゆらゆらと動かしている。

 私が近寄ると、あの動作をした。

 街に入ったあの時から、幾度も。

 彼女の前に跪く。


「他の街に行こう。カーンの旦那なら笑って許してくれる。

 サーレルの旦那だって」


 私の言葉に、彼女は少しだけ唇に笑みを乗せた。

 じっと彼女の瞳を見つめる。

 暗い藍色の瞳に輝く銀の光り。

 変わらず夜空のように澄んでいる。

 子供だから?

 違う。

 奥方の瞳は、くるくると変わる。

 変わるけど、濁っていた。

 大人だから?

 表情豊かで美しい形をしていたが、たくさんの思いが煮詰まって、濁った色に見えた。

 まるで、このフリュデンの街のように、薄い青い瞳が赤黒く見えた。


「エリ、エリはどうしてここに来たかったの?」


 ***


 皆には、どう見えていたんだろう?

 フリュデンへと続く丘、そこから少し眺め下ろすように街が広がる。

 城塞跡の堀が街を囲み、その流れはトゥーラアモンへと続く。

 私達が辿った道は、街の中央にある門と繋がっていた。

 緑と白い石壁の家々、屋根は明るい茶色。

 所々に冬に咲く赤い花が見えた。

 長閑で静かな美しい街、古い史跡。

 そんなところだろうか。

 放牧地は東、枯れた果樹は少し南よりに見える。

 良い景色だろう。


 けれど私が見たのは、崩れかかった過去の美しさではない。

 この城塞跡の空と建物には、巨大な円がいくつも浮かんで見えたのだ。

 冬の空に、縦に横にと巨大な円環が回転している。

 複雑な紋様は、ボルネフェルト公爵が見せた、呪術陣と同じような作りだ。

 城塞跡に元々あったのか、建物に食い込んでいる円環もあった。

 よく見ると、壊れて割れ、動かない呪術陣もある。

 それらが過去の財産であるのに対し、街全体を覆うように頭上で回転する呪陣があった。

 どす黒く、赤い歪な楕円である。

 一目で恐れがわく醜い輪だ。

 本来は美しい城塞の機構である呪術陣が、その汚らわしい楕円によって覆われていた。


 二重のそれは、街全体を覆い霧を降らせている。

 赤黒い霧、あの毒の霧だ。

 中に入っていくなど論外だ。

 と、私は馬を止めた。

 止めたが、エリは鼻を押さえながら、片手で身振りする。


 行こう。あの街へ行こう。


 霧は、先を行く男達を濡らした。

 返り血を浴びたように、どす黒い色に彼らは染まる。

 街の人々も、真っ赤だ。

 楽しそうに血の海を泳いでいるようだった。

 怖かった。

 視界いっぱいの強力な呪術。

 逃げたかった。

 けれど、血みどろの街を抜けながら、エリが涙ぐむのに気がついて我慢した。

 私もエリも真っ赤だった。

 エリにしてみれば、悪臭の中を進んでいるのだ。息苦しいことだろう。

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