第835話 空想の怪物 ⑥

 考え事をしているうちに、関の建物を抜けた。

 光りと風に開放感をもつ。

 関は迷路のようで、灯りがあるというのに息が詰まる。

 死闘の痕の所為もあるだろう。

 抜けた先に劇的変化は無かったが、息が楽になったような気がする。

 少し整えられた様子の木々に、霞む朝の光り。

 進む隊列に安堵し、行き過ぎた場所を振り返る。

 振り見て暫し、私はゆっくりと瞬きを繰り返した。


 関は石積の三階建てだ。

 簡素で等間隔の間取りと半円を描く出入り口が特徴だ。

 東の様式で、壁は白く塗り固められている。

 朝の陽射しに白い壁、緑の木々。

 夏ならば目にも鮮やかな事だろう。


 振り見て暫し...


 誰も、それをおかしな事と思わないのだろうか?

 振り見て、見送る関の衛士と役人の顔を見る。

 疲れ切った表情。

 小さくなるその姿を。


 私の視線をたどり、ザムとモルド、その他の兵士も振り返る。


「何か気になる事がありましたか?」


 問われ、私は彼らの方へと視線を戻した。

 不思議そうな彼らの顔を見て、私はゆっくりと息を吐き否定する。

 頭を振り、私は目を閉じる。


 私だけ、見えているようだ。

 フリュデンにても覚えがある。

 グリモアの視界、宮の主が覗き見る、人の罪の痕跡だ。


 関の濁った空気、壁の血の痕。

 あぁそうだ。

 見えていたのは私だけか。

 カーンは見えたろうか?

 いや、見えていれば関の者にも問うはずだ。


 これからは、そう、もうマレイラ東の内地なのだ。

 私はもっともっと用心深く、あたりに注意を配らなければ駄目だ。

 私だけが見る事のできる、痕跡に注意を払わねば。

 少しでも間違えてしまったら、後戻りできぬやも知れぬ。

 魔の者は、人の奢りを見逃さぬのだ。


 声を失っていてよかった。

 叫ばずに済んだし、先を行くカーンに念は伝わらなかったようだ。


 これは危険だと思う。

 これは宮の主からの警告だ。


 私だけが見えており、この世に無ければよい。

 私だけが見えており、密かにこの世を蝕んでいたならば危険だ。

 知らず無知の守りを打ち破る、とてもよくない兆しである。


 再び振り見て..


 三階建ての関には、内階段になっている。

 備えとしてか、出入り口を閉じると密閉した箱のようになる。

 外からの侵入を防ぐ為だろう、手がかりや足場が無いように作られている。

 そして屋上には、金属の返しが付き、縄や鉤爪が引っかからないようになっていた。

 返しは金属の刃が天を向いている。


 つまり関は、つるりとした石で四角い箱を作ったのだ。

 なのに...その白壁には無数の跡が残っていた。


 無数の、赤黒い、手の跡だ。


 壁一面に、模様のように残っている。

 点々と手跡が残っているのだ。


 その手跡を辿ると、下の柱から這い登り、三階の窓枠に取り付いたように見える。

 荒縄を使って登ったのか?

 だが、縄を投げて引っ掛けるにも、それを防ぐ返しの刃物が上にあるのだ。

 そして足場になるような場所は無く、大きな梯子を使った様子は、手跡からは伺えない。

 見たところ侵入者は窓から中に入り込んだのだろう、その窓は粉々に粉砕されて穴になっていた。

 穴は陽射しを受けているはずなのに、真っ暗だ。

 白い箱に黒い穴、表面には赤黒い手跡。

 手跡をつけた者の血なのだろうか、手跡を残したモノが受けた返り血なのだろうか。

 私は目を眇める。


 異様な景色に目を奪われたのではない。

 恐ろしくもあったが、それよりも奇妙だったからだ。


 もっと壁をよく見たいと思ったが、隊列はコルテス内地へ続く街道を北に曲がり、関は木々に隠れて見えなくなった。


 私は力を抜くと、荷物に背を預ける。

 それから流れていく空を見上げた。


 気がつくと気になって仕方がない。

 たくさんの手跡の異様さもさることながら、たりない事が気にかかる。

 這い回り入り込んだ。

 ならば、手跡もあろうが、足跡はどこだ?

 足は、どこにいった?


(そも足はあるのか?)

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