第56話 グリモアの主 ⑧

 私の混乱に、彼は笑った。


「こいつらも俺も、ジグで死んでいるんだよ。

 それに気がついたのは、絶滅領域でだ」

「でも」

「新しい領域では、死者は動くんだよ。

 この世の理が失せたんだ。

 神官様に習ったろう?

 大切な神様の約束が無くなっちまったんだ。

 国の偉いさんは、腐った土地、腐土ふど領域と呼んでいる」

「でも、喋って」

「俺以外は喋らないし、もう、何も感じないよ。

 ここに来るまでは飢えを感じてたけど。

 それも消えちゃったなぁ。

 ジグ帰りが始末されるのは、当然なのさ。

 人間じゃないって気がつかれて、燃やされるのさ」


 俺達は、ジグで喰っていた。

 仲間をね。

 最後の頃は、もう、飢えていなくても喰ってた。


「生きてるじゃないか」

「血に戻ったのさ。俺もが混じってたらしい。待ってたんだよな、気の長い話だよ」

「何を言っているんだ、怖いよ」


 私の困惑と不安に、彼は黙った。

 彼が黙ると、とても静かで、静かすぎて嫌だった。

 私は再び、彼らを縛る鉄の輪に手を伸ばした。


「何でこんな事に、何がどうなってるんだ」

「人が死んだら自然に還る。

 魂もだ。

 でも、あの男は魂を捕まえて飼うんだ」

「そんな事をできるわけないよ」

「捕まえられた魂は、壊れちまう。

 当たり前だよな、生きていた頃とは別人だ。

 彼女の顔を起こしてみろ」


 彼の隣に繋がれているのは、濃い髪色の女性だ。

 長い巻き髪が肩からこぼれている。

 眠っているのだろうか、青白い面が片側に傾いていた。

 その傾いた顔を正面に向ける。そっと両手で支えると、彼女の瞼が震えながら開いた。


 長いまつげの影には、黄金色の複眼だった。


 支え持つ私の両手は震えた。

 だが、彼女は静かに何も答えなかった。


「俺達は、あの男から逃げようとした。

 生き延びようとしたんじゃない。

 ちゃんと死にたかったんだよ。おかしいだろ?」


 ちゃんと死にたいなんてさ。

 生きてる頃は、生きたいとあがいて。

 死んでからは、死にたいともがく。

 せめて、故郷の土になりたかったんだ。


 ***


 普通に戻れると思っていた。

 でも、俺達は戻れない。

 何も考えないんじゃない。

 もう、考えることができなかったんだ。

 考える事は生きている証だ。

 生きていない囚われた魂は、飢えるだけだ。


 あのジグの森から溢れ出したのは、俺達だ。


 腐土領域の出現と共に、中央王国と周辺諸国は停戦を合意した。

 殺し合いでは、腐土領域が拡大するだけだ。


「南領の獣人兵は、良くわかってた。

 死にそうだってわかると、自爆してたよ。

 自分の死体を残したくなかったんだろうね。

 意地汚い人族や弱い亜人兵は、未練がましくして、皆、死んで蠢くようになっちまう」


 けどさ、どんなに偉い奴らが来ても、証拠が無いんだよ。

 公爵は、本を片手に笑顔で仕事をするだけだし。

 俺達は、食残くいのこしをしなかったからね。

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