第806話 挿話 陽がのぼるまで(上)⑤
ジリジリと皆で後ろに下がる。
化け物が這い出してこようとするけれど、体が大きくて戸口から枝だけが伸びてくる。
炎。
商会の人が焼いた。
中々、燃え尽きない。
次々と油薬が投げつけられる。
鳴き声。
酷い、におい。
眼。
『オマエ、シッテル』
シッテル?
ドンドンと何かを打ち破る音がした。
金属が軋んで悲鳴をあげる。
商会の人が指さした。
井戸。
井戸に被せられていた鉄板が捩じ切れようとしている。
そうだ。
知ってる。
いつかどこかで見た、景色だ。
溢れるように奇妙な男達が這い出してくる。
先を争うようにして、歯を剥き出しにして。
唸り声をあげて。
皆、皆、死んでしまう。
狂って死んでしまうの。
いつか、どこかで見た。
誰かが何かを言っている。
見ると巫女様を担いだ人を後ろに下げて、他の人たちが武器を抜いた。
炎。
あぁ、酷い。
あぁ、腕が
皆
視界が揺れる。
でも、倒れない。
私の左足と手。
濡れて赤い根が巻き付いてる。
燃え残った蛹の口。
牙。
見ている。
私。
昔と同じ、いつもどおり。
父さんの顔の皮膚が動く。
おとうさんの、おかお。
皮膚の下を何かが蠢いている。
ても、へんだった。
父さんは、私を突き飛ばした。
一生懸命、父さんは、何かを押させていた。
でも、父さんを押しのけて、ナニカが私を見た。
あれは?
迫る化け物の口を見ながら、焦点が合う。
小さな私と今の私。
わかった。
覚えている。
思い出した。
覚えてる。
覚えているわ!
そうしてやっと、たどり着けた。
私は、やっと心の逃げ場所をみつけた。
食われようとしているのに。
死ぬんだと思うのに。
私は、やっと楽になった。
私、覚えているわ。
「父さんは、化け物に食われたんだわ。」
覚えてる。
そうよ、覚えてる。
今の私なら理解できる。
父さんの体には、これと同じような化け物が入り込んでいたのよ。
そうよ、間違ったことをしたかもしれないけれど、たくさんの人を不幸にしたかったわけじゃないの。
えぇ納得できるわ。
悪い人だったの。
けれど、苦しめたかった訳じゃないわ。
普通の人だった。
愚かな人だったかもしれない。
けれど化け物のような人じゃなかった。
信じられる。
信じきれなかった私はいなくなった。
私、心から信じられるわ。
「父さんは、悪くない。
私を殺そうとしたんじゃない!
私は、父に殺されそうになった娘じゃない!」
誰かから恨まれるより、本当は、自分の中にある真実を恐れていた。
目の前の汚らしい化け物の口よりも、私は私自身のいつものあきらめと嘘が怖かったのだ。
だから、食い殺されようとしているのに、私は大きく吠えた。
「私は、間違っていない!
私は、私は」
おおきなくち。
たべられて、おわり。
でも、いいの。
おとうさん、だいすきなおとうさんといっしょ。
しんで、せかいにかえるの。
しんかんさまも、いっていたでしょ。
しぬ、ことはふつうのこと。
みんなといっしょにかえるの。
だから、こわくないの。
こわいのは、あいするひとをうたがうことだって。
「ビミン」
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