第340話 貴方の生きる小さな世界 ③

 やがて枯れ果てた小さな空間に出た。

 公会堂と隣接する建物の壁が、三角の狭い庭を作り出している。

 庭と言っても無駄な空間なのか、枯れ草が生い茂り侘びしい。


「いつ、お前はあの男と喋った」


 誰の事だ。と、問うのも馬鹿らしい。

 私は何を言い、何を言わずに済ませられるかと考える。

 カーンは私を抱えたまま、枯れた場所をじっと見た。


「何かを忘れている事は知っている。

 だが、何処に綻びがあるのか、わからん」

「何を覚えておいでか?」

「俺が首を刈ったのを見たな?」

「はい」

「刈り取り、すぐ後に地鳴りがした。

 足元が崩れ、皆、飲み込まれた。

 お前の村の年寄りは、壁に縋りながらも、落ちるお前に手を差し伸べていた。

 俺は落ちながら、見た。

 あの男が笑っているのを。」


 それから、ぶるりと身を震わすと続けた。


「あれは俺に言った。

 愚か者め、永遠に苦しめと。」


 それから不思議そうに、傍らの私を見る。


「気がつくと、お前を背負って歩いていた。

 皆、死んで、お前を背負い歩いていた。

 お前は眠ったままだった」


 本当は、すべて嘘なのか?

 俺は、何を忘れているんだ?

 お前は、オリヴィアだよな?


 そう続けずに、無言で私を見る。

 珍しく、本当に珍しく、気の弱った様子で眉が下がっていた。

 今は身を軽い物で覆っているので、その顔も全てがさらされている。だから、その表情から求める答えがわかった。

 けれど、私は答える事ができない。

 その獣の瞳や凶悪な面構えを見ながら、私は祭司長の言葉を心の中で繰り返した。


 信じる者は、楽園に住まう。


「旦那、あの人殺しは死んだ。

 これは間違いない事実だ。

 倒れた私を助け、運び出してくれたのも事実だ。

 私を憐れと思い、背負ってくれた。

 旦那は、覚えているよ」


 言い切ると、何故かカーンは天を仰いだ。

 そして見る間に、その表情が硬くなる。

 小さな炎が灯るように、カーンの怒りが伝わる。

 何故か、己が事のようにわかる。


「確かに、忘れているようだな」


 歯噛みして、彼は呟いた。


「本当は何があった?」


 嫌々、私に顔を向けると、彼は問う。

 嘘を憎むが、真実を知るのも嫌だ。

 と、その目は言っている。

 今まで、嫌というほど嘘を見てきたのか。

 身構えているようにも思えた。

 きっと幾度も人のつく嘘に傷つけられてきたんだろう。

 お前のくだらない嘘なんぞお見通しだ。

 負けないぞ。

 と、その意固地な表情を見、心にわきあがるものがあった。

 確かにあの時、感じた気持ちだ。

 寂しくて悲しい、けれど..だからこそ、嘘も言える。


「大事な事は、忘れていない」


 私の返事に、更に怒りが増すかと思っていた。

 けれど、何故か痛みをこらえるような目を向けられる。


「それに旦那自身が思い出さない限り、私が何を言っても無駄だ。」


 信じ切った者が勝つ。


「そうだな」


 と、カーンは同意し踵を返した。

 その硬い表情は、私の拒絶の結果だ。

 だが、それでいいのだ。

 皆を貴方を守るのだ。

 貴方の生きる世界、私の生きている世界。

 交わること無く、距離をとるのだ。

 抱えられながら振り返る。

 立ち枯れた場所は、もう見えない。

 それからエリが運ばれた場所へと向かった。

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