第360話 幕間 禁忌の扉

 神のお慈悲、神の救い。

 都合の良い、神という言葉が嫌いだった。

 コンスタンツェの意識した最初の記憶、子供心に知った感情は、悔しさと情けなさだ。


『役たたずの不具が、このような塵を妾の前に晒すでない。

 あぁ恥ずかしい。

 神は何故、このような欠陥品を生かすのじゃ。

 牢にでも、否、どうせなら神の国へと送ればよいのじゃ』


 それを悲しいと思うより、どう心を取り繕うかと狼狽した事を覚えている。

 伸ばした手をはたき落とされた訳ではない。

 ただ、素直な心を踏み潰されただけだ。

 生まれた時から疎まれていた。

 口先だけの賛辞の裏で、蔑みに嘲笑を受けた。

 そんな中で、始末されないように立ち回る。

 一握りの自分を生かそうとする者、乳母達や叔父以外はすべて敵だった。

 彼らさえもいなければ、何故、生きるだけで苦しむのかもわからなかっただろう。

 わからずに死んでいた。

 高い自尊心によって耐え、今では心の囲いも作ることができた。

 だが、自分でも思う。

 なんと孤独でつまらない人生だろうか?と。

 何の為に生きるのか、時々わからなくなる。

 コンスタンツェは様々な事を学んだが、それでも人が、自分がわからない。

 何の為に生きるのか?

 だから、己とは違い嘘や偽りを吐いてまで、生きようとする者に興味がある。

 不誠実で弱く、汚く醜い。

 他人を踏みつけ蹴落としても生き残ろうとする、その考えを知りたい。

 自分は正しいと信じている嘘つきの、醜い生き様を知りたい。

 特に神を持ち出して、己の都合の良いように考える、正しい人間を解剖したい。

 神の思し召し、神の意向、神の。

 善行を施しているのだと、己を偽り信じている者。

 醜い心根を誤魔化すために、他者を貶めて満足する者。

 特に神を語り、罪を犯す者が嫌いだ。

 それは子供の頃に受けた仕打ちに対する復讐か?と、コンスタンツェに聞けば肯定するだろう。

 狭量で歪な心が、子供の頃に受けた仕打ちのお返しをしたい。

 そう思っているのは否定しない。

 そしてそんな復讐心もあり、偽る者に興味があった。

 特に信心を言い訳に偽る者がだ。

 まわりは誤解しているが、信仰心すべてを否定している訳ではない。

 神官になったジェレマイアを嫌うのは、偽っていると思うからだ。

 この世を人を憎んで余りある生まれだと言うのに、彼は御高説をたれる祭司長になっている。

 非道な扱いを受けたと言うに、神の愛を語り敵対者を許すのだ。

 嘘つきめ!と、コンスタンツェは思う。

 コンスタンツェは信じられない。

 ジェレマイアが語る神を信じられない。

 信じる必要もない。

 何もせぬ人の語る神とやらは、誠に薄っぺらいものだ。

 狂人の戯言に出てくる神とやらと、なんらかわりは無いのだ。

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