第584話 一夜の宴 ④

 だからコルテス公は、妻を敬い名前を公王に返した。

 せめて魂だけでも、救われるようにと。

 だが兄は、肉体と魂が離れては悲しいと、コルテスとして供養した。


『もしくは、呪術の完成を優先し、妹を見放した。』


 表向きは王家に戻ったが、公主は、あの場所にいるのだろう。


『恨んでいるかも知れない』


 船員が言いたかったのは、


『見捨てた夫と兄を恨んでいたやも知れぬ』


 ニコルの犠牲が始まりだったと。


『愛故か?その徳は誠であると思うか?』


 では、聞こう。

 船員は、悪意の元を示そうとしたのではないか?

 姫の徳、人柄の素晴らしさを知っていたからではないか?

 村の飢えた子供でさえ、姫の心、優しさによって、他者を思いやる事を学んでいたのではないか?

 彼女は、きっと下々とも触れ合い、そして善き方向を示せる女主人であったのではないか?


『公爵の前妻は狂死だ。

 息子は行方知れず。

 ここにも憎悪の種はある。』


 船員は、悪意の元を示そうとしたんだ。

 でも、できなかった。

 こいつが罪を犯している、これが原因なんだと言いたかった。

 けれど、私達には届かなかった。

 ならばと示したのが、公主の記章だ。


 反対の意味を示したんだ。

 善意をだ。

 善意と犠牲。


 始まりはここだと。

 この遠因をたどれば、寄り添う悪意が見えると教えたのではないか?


 ニコル・コルテス

 供物の姫


 彼女も供物だったのだ。


 ***


 パタパタと雨の雫が落ちる。

 荒れ果てた庭園の奥。

 小さな池だ。

 小さな池は、それだけでこの世のすべてを表すように、世界を形作っていた。

 水と睡蓮とうつす空。

 覗き込むと、ゆらゆらと水草が揺れている。

 池には滑稽な蛙の彫像があり、その踊るような姿のすぐ後ろで、死体が土に埋まっていた。


 死体は胴体から綺麗に断ち割られており、驚きの表情のままに横に倒れ、半身は土に埋もれている。

 切り口は鮮やかで、内臓はこぼれ出ているが、背骨は綺麗な断面を見せていた。

 ザムと目が合う。


「何か?」


 ザムはカーンを見てから答えた。


「いえ、ただ、こんな代物を見せていいのかと」


 私は苦笑いを浮かべた。

 狩人として動物の内臓は見慣れている。

 そしてグリモアの主としては、死体も臓物もなんら恐ろしい代物ではない。

 なにしろグリモアには、生きたまま人を解剖していた殺人鬼も一緒に詰められてる。


「人を断ち割るような攻撃とは、どんなものでしょうか?」


「技か得物の善し悪しか、俺達のような膂力がまずは必要だ。

 得物は芯がしっかりとした打撃と斬撃にむいた大振りの物になる。」

「多分、統括の使うギザームだと打撃は弱いですが、切り口はこんな感じになりますかね」


 ザムの見解に、カーンが頷いた。


「ギザームとは何ですか?」

「農具でいう大鎌だ」


 この位のと、カーンが自分の背の少し上を手で示す。

 想像して、少し嫌になった。

 そんな武器を使う人物がいるのだ。


「統括長は、長い柄を使うのが好きだからな。

 打撃武器全般を好んで使うが、ギザームを取り出す時は、苛ついて面倒になった時だよな」


 モルドの補足に、ザムが笑う。


「違いねぇ。取り出したら、一斉にまわりの奴は逃げるし。範囲に入ったら敵も味方もねぇからな。あれは嫌だ」


「まぁ草のかわりに人間が刈り取られるわけだ。」

「本当ですか?」

「そうだよな、お前ら」


「はい、一応、お声がけはありますんで、聞き取れたら攻撃範囲からともかく逃げるようにしてます。だから大丈夫です」


 それは大丈夫なのか?

 聞かなければよかった。


 死体は油薬であっという間に、焼け溶けていく。

 身元のわかる物は無く、顔貌の判別も難しかったので焼却したのだ。


「今夜は宴だな」


 黒煙が蛙の彫像を舐めていく。

 他の死体は何処にいったのだろうか?

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