第676話 挿話 兵(つわもの)よ、剣を掲げよ盾を押せ (下)前⑫

「ここの水場はこの有り様だ。先に進んで川の水でも汲んだほうがいいだろう」


 至極真っ当な答えに、サーレルは内緒話の体で声音を下げた。


「まぁそうなんですがね。ボフダンの高貴な方をお連れしているので、万が一にも水を切らすわけにはいかないのですよ。」

「そちらも難儀な事だな」


 と、内緒話にもなっていない会話に、当のサックハイムは苦笑いだ。

 シェルバン兵は、水筒を受け取ると関奥、砦となっている奥へと消えた。


「毒でもいれてくれると面白くなるんですが」

「無駄な期待だな。

 ボフダンの貴族に手を出すには、我らを皆殺しにできる武力が前提だ。

 まして獣人に毒は効かぬ事ぐらいは知っていよう。」

「知らずに入れてくれると、とても仕事が楽になるのですが」


 等と、言う間に水は手渡され、何の触りもなく関を抜けるに至る。

 今回は住人の見物もなかった。

 この異臭でそれどころではなかったのだろう。

 関を抜け、大門が遠くに見える位置まで無言で進む。

 そうしてシェルバンの森の際、関より少し小高い位置にて、一行は止まった。

 来る時に野宿をした場所だ。


「如何が致しましたか?」


 サックハイムの問いに、サーレルは水筒を差し出した。


「飲まないで、匂いを嗅いでみてください」


 青年は、蓋の開けられた呑口に顔を寄せた。


「臭い!酷いにおいだ。これは..」

「腐っていますよね」


 イグナシオにも差し出されたので確認をする。

 確かに、あの砦の中の匂いと同じであった。


「わざわざ腐った物を汲んだ可能性は否定できません。

 ですが、多分。

 彼らには、既に感覚としてわからないのでしょう。」

「もう、駄目なのか?」


 イグナシオの表情を見つめつつ、サーレルは頷いた。


「今夜はここで野宿です。

 兆候ありとして、見届けねばなりません。

 ここまでなら、まだ、わからない。

 このままかも知れないのですから。」


 そんな訳があるか。

 お前はわかっていたんだろう?

 と、責める言葉を言うつもりはない。

 事実を確認する為にここにいるのだ。

 予想ではなく、確実に現場に居合わせる為に、多くの仲間の命を費やした。

 確かにサーレルは嘘をついていない。

 言わなかっただけだ。

 それにイグナシオとて、彼らを先に救いはしない。

 同罪だ。


「いつ頃、始まる?」

「陽が落ちてからでしょう。

 さぁ小休止しましょう。

 サックハイム殿にも、事情を聞いてもらわねばなりませんね。

 さぁ皆さん、祭りの前に英気を養わねばなりませんよ」


 ***


「騒動の発端を探るべく、私の配下をシェルバンの村落に忍び込ませました。

 何れも人族、東部出身者です。

 この地域の出でなければ、とてもシェルバンへは送り出せませんからね。

 彼らの報告で、暴力事件、まぁ変異体による物を重点的に追わせました。」


 シェルバン公の領地は、八割方森林である。

 水源は地下水が殆どで、新しい鉱山の近くには領主の城街がある。

 昔は主要な氏族が街々に分かれ治めていた。

 だが、最近の純人族狩りとやらが横行し、街が次々と壊滅した。

 壊滅だ。

 林業と陶磁器で栄えた古都群は、焼き討ちがされ長命種か否かの審問により、大量の屍が吊るし上げられる地獄のようになっていた。

 残るは二つ。

 まぁこの二つはまだ、残っている。

 何しろ長命種審問とやらを行う公爵の息子達が治める街だ。


「サックハイム殿が気に掛ける御子息は何番目の方ですか?」

「三男のフォルケン・イストナムです。」

「残念ですね、地獄を敷いているのは、長子と次男です。いや、残念ではありませんか。」


 それにサックハイムはゆっくりと頭を振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る