第476話 孤独の岸辺(上)②

 髪を解き、手櫛で梳く。

 風の音、雨の音、それ以外は聞こえない。

 髪を二つに編むと、頭頂部に巻く。

 髪飾りのおかげで、まとめるのが楽だ。

 薄闇の中で、もう一度鏡を見る。

 白い顔が闇に滲み、髪飾りが揺れる。

 結局、買ってもらっちゃったなぁ。

 薄紫の小さな石の花だ。

 ふと、思う。

 鈴に似ている。

 カーンに渡した、薄紫の花の形をした鈴。


 今、この世は不思議に満ちていると、私は知っている。

 不確かな事こそが、あたり前であると、私は知っている。

 今日にあり、明日にあるとは限らないと、私は知っている。

 見えないものが、存在しないと同じではないと、私は知っている。


 だから、すべてをグリモアが知るとは限らない。


 知っていたとしても、全てではない。

 答えがあるとしても、至るとは限らない。


 予言書を名乗るが、先を問い得られた答えは結果とはならない。

 過去を問う方が、きっと事実を返すだろう。


 人間は不完全だ。

 グリモアが示す回答も、人が加わる事で未知の選択肢へと変わるのだ。

 だから慎重に問えとなる。

 答えだけを求めると、それが唯一の結果になる。

 それは問う事で、自分から考えて選び取る道を潰すからだ。


 人こそが、面白みの無い予定調和を崩す。

 もしも、グリモアが恐ろしい結果を述べたとしても。

 それに至る過程を描くのは人間だ。

 答えに向かって進むのも、抵抗するのも人間だ。


 鈴、魔除けの鈴。

 記憶を封じる為に、約束の為に消えた。

 カーンは覚えていない。

 思い出していない。

 まだ、大丈夫だ。

 見えてしまったとしても、それは私の所為だと思うだろう。

 私のいる闇を見て、厭わしいと思うだけだ。


 また、自己憐憫か?


 知りたいならば、手放すしかない。

 今の自分を認めるしか無い。

 先に進むには、自分が得た物を認め、失った物を探すのはやめるべきだ。

 私が得た力を認める事。

 私が私である事。


 情けない顔を鏡からそらすと、扉に向かう。

 取っ手を握り押す。

 やはり、閂が扉の向こうにかかっているようだ。

 扉の隙間に目を当てる。

 うっすらと明るい。

 気配を探るが、人がいるのか居ないのか、そこまでは分からなかった。


「誰かおられますか?」


 声をかけるが、答えはない。


「いつまで、ここに居ればよいのでしょうか?」


 思った以上に、私の声はか細かった。

 情けなく震えている。


「誰か、私は教会に戻らなくては」


 一人で暮らしていた頃の自分が思い出せない。

 あの冬の日々が思い出せない。


「誰か、私は」


 グリモアの主である自分。


「私は」


 正しく選べるだろうか?

 私の選んだことで、誰かが傷ついてしまわないだろうか?

 私の側にいると、誰かが不幸になる?

 それでも寂しいと思う自分が


「怖いんだ」

「何が怖いんだ、俺か?」

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