第700話 帰路にて ⑫

「だが、その後宮にいたという精霊種の子ではない。

 親兄弟もいねぇ、って話だったな..」


「北の出身なのでしょう?」


「絶滅領域の話は聞いた」

「女狩りは、北が凍りついた後に、始まったのですよ」

「クソ野郎が、地獄に落ちろ!」

「それは私に向けてですか?」

「名前がねぇ方だ、爺ぃ」


 旦那、不敬ですよ。


 私は外套に手をかけると、袷目から顔を出した。

 夜はまだ深いようで、焚き火の炎があたりを照らす。

 見回せば、すぐ側にミアがいる。

 目が合うとほほ笑みが返った。

 その隣には背の高いモルドビアンという兵士も警戒に立っていた。

 顔見知り、ザムは張られた天幕の側で、他の兵士と何か話し合っている。

 テトは?

 にぃやっ、と鳴き声。


「腹減ってねぇか?」


 大丈夫です。


 テトは公爵の服の裾を食べて、..ではなく食い付いている。

 どうやら私が寝ている間、公爵を見張る。と、いうか、かまってもらっていたようだ。

 起きた私の方へ、のそのそと近寄ってきたのを抱き上げる。

 自分の外套に潜り込む姿を嫌そうにカーンは見たが、何も言わなかった。


「卿の大声で目覚めてしまいましたか?

 ご機嫌麗しゅうございます、姫よ。お体の具合は」


 相変わらずの公爵は、微笑んだまま流れるように語りだす。

 大丈夫の意味を込めて頷くと、彼はペラペラと私を称える言葉を続けた。

 賢く可愛らしいという意味の何か、よくわからない花の名前で呼ばれる。

 貴族の言い回しだと思うので、聞き流し傍らの男を見上げる。


「爺ぃ呼びされたくなかったら、そっちも姫呼びを止めろ。」

「私は確かに爺ぃですし、姫は姫です。

 どうぞ、そのまま爺ぃ呼びでお願いしますよ。

 私を爺ぃ扱いする輩はいませんので、新鮮で楽しいですしね。

 勘違いして若造呼ばわりされるほうが、ちょっと腹立たしいもので」


 その美しい面に、爺ぃ呼びをするカーンの図太さに呆れもしたが、公爵の方が上手だった。

 多分、わざと無礼に振る舞っていた男は、グッと言葉に一度詰まる。


「..ともかく姫呼びは止めろ」


「姫の氏族の事を話していました。

 前の王様が犯した間違いのお話ですよ」

「聞かせんでいい」

「耳障りの良い話ばかりでは、世間は渡れませんよ。

 姫も聞きたいでしょう?」


 返事のかわりに頷く。


「前の王は、特別な女性を探していました。

 特別な女性、特別な子供。

 北から、凍りついてしまった最北から、女の人を集めたのです。

 貴女の家族もでしょう。

 貴女達は北の人でしたからね。

 そんな北国の奥さんやお母さん、恋人のいる人、子供まで、愚かな男は攫っていったのです。」


 あの宴の館、不死鳥館で行われた蛮行と同じに思えた。

 忌まわしさに身震いがはしる。


「おい、あまり具体的な話はするな」


「貴方の恐れは理解できる。

 私も怖かった。

 生まれてから初めての、虚言ではありませんよ。

 今も、私は恐れています。」


「何の話をしてるんだよ」


「貴方は、姫に聞かれたくない。

 貴方の生きる、よく知る世界を知られたくない。

 私もでしたよ。

 私の生きる、見えている場所。

 それを知られるのが怖かった。

 私の醜い有り様、私の本心。

 何もかも、生き物として同じとは思えないほど、善良な相手には何も知らせたくないし、知って変わってもほしくない。

 けれど、それは相手を弱いとする考えですよ。

 まして相手に変わるなと強要するのは傲慢です。

 変化ではなく、成長。

 相手が遠く感じたとしても、それならば自分も変わればよいのですからね。

 何の話か?

 愛の話ですよ。」


「耳の痒くなる愛とやらは、俺の担当じゃねぇ。

 嘘つきの嘘の話に戻せよ。

 ただし、子供が聞いてもいい話し方をしろ。

 そうじゃなければ、ご退場願うぞ、爺さん」


 ふふっと公爵は笑った。

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