第103話 窮竜悪魔を噛む

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 まるで小さなビルが倒壊する現場を目撃するような気分で、バスガルの体が傾ぎ、ゆっくりと倒れていくのを見守る。白目を剥いた巨竜の最期を看取りつつ、ああ、これでこちらの勝利だという感慨を抱きそうになり、慌てて気を引き締める。

 下手にここで達成感を感じてしまうと、

 忘れてはいけない。この【死を想えメメントモリ】は、あくまでもチキンレースであり、僕も命を賭け皿に載せているのだ。

 ただでさえ生命力の不足でいまにも倒れそうな僕ではあるが、ここで本当に、ラスボスでも倒したような気分になれば、そのままポックリ逝ってしまってもおかしくない。


「……ぅぐ……」


 それでも、終わったという思いが、全身を襲う痛みと倦怠感が戻ってくる事で、実感となっていく。あれだけ大きな敵を、自爆技とはいえ一人で倒した。なんとも誇らしく、嬉しい。少し自分でも信じられないくらいだ。

 まぁ、体の大きさも、力の強さも、技術も知識も勝てない相手を想定して、それでも倒せるようにと思って作った術式なので、強さや大きさが関係ないのは、ある意味当然なのだが……。


「それにしても、こんなに上手く嵌まるとはなぁ……」


 モンスター相手には普通に効果を発揮したものの、実験はそこまでしかできなかった。ある程度以上の知性がある相手には、自分たち以外の実験対象が足りず、マフィアでもいいからダンジョンに飛び込んでこないかなぁ、と思う程だった。

死を想えメメントモリ】の構想を抱いたのは、結構前の事だ。あれはたしか、ウル・ロッドファミリーから襲撃を受けたとき。フェイヴを裏切って逃走を図った人間を、ダンジョンコアとしての能力をフル活用して、幻術で倒したときである。

 そのときに、相手を死に至らしめる幻術、という構想を抱いて作り上げたのが、この【死を想えメメントモリ】だ。

 あのときは、ダンジョンの構造を変えたり、いくつかの幻術を組み合わせて口内の幻を見せたりと、費用対効果を無視して大盤振る舞いしたわけだ。それに比べれば当然、術式として魔力だけで発動できるようになった【死を想えメメントモリ】の負担は軽い。……まぁ、いまの死にかけにとっちゃ、十分に死ねる消耗だったが……。

 この術式の原理は、まんま水滴実験である。水滴実験がなにかといえば、とある死刑囚に、医者と名乗る人物が、

『これから君の血液を、致死量を超えても抜き続ける。どの段階で死ぬかを検証する』

 と伝え、目隠しをする。その死刑囚の足の指先をペンで突き、水滴を垂らす音を聞かせて失血していると思わせる。そして、タイミングを見計らい、

『たったいま、致死量の血が失われた』

 と、伝える。すると、死刑囚は一切の傷も負わず、なんら問題ない健康状態にもかかわらず、ショック死してしまった。というのが、水滴実験の概略である。嘘か誠か、かつてオランダで行われたという都市伝説だ。

 要は、催眠術で熱した棒だと偽って割り箸を宛てると、水ぶくれができるという話と、根本は同じである。これを、ノーシーボ効果というらしい。プラシーボ効果の逆だ。

 この【死を想えメメントモリ】は、最初の一手でこのノーシーボが起きやすい精神状態にし、あとは空間がガンガン死のイメージを伝えるという、蓋を開けてみれば単純なカラクリだ。最後に【死の女神モルス】を使ったのは、言ってしまえば『致死量の失血』を伝えるのと同義の、最後の一手だったというわけだ。

 なんの自慢にもならないが、僕はこれまで二度程死んだ経験がある。それだけに、死の境界については誰よりも詳しい自負があった。だからこそ、このチキンレースのような幻術を作ったのである。

 まぁ、それに加えて、死刑囚役を相手に押し付け、医者役を掻っ攫ったというのもあるだろう。いや、あれはもう医者役というよりは、怪談師の類だったか。

 死の恐怖に耐えれなければ死ぬ。……嘘ではないけど、やっぱりちょっと詐欺臭い言い回しだったかな……。


「一定以上の知性があれば、効果は絶大だと思ってはいたけど……」


 それに死の概念があり、騙せる存在であるなら、神すらも指一本触れずに殺せる、と言った言葉に偽りはない。勿論、そんな脆弱な神様がいるのなら、だが。

 現に、僕よりも強大なるダンジョンコアは、指一本触れる事なく地に伏さんとしている。これだけ強大な存在ですら、精神面から責め立てれば、こうも容易く瓦解する。

 なにより、ダンジョンコアという生き物は、精神的な面が弱いと思っていたんだ。なにせ、生まれてから死ぬまで、一人であるのが普通の生き物なんだから。いってしまえば、引きこもりの究極形。

 そんなヤツが、精神的に強いわけがない。

 あ、勿論、グラは除く。グラには僕がいるし、僕が無理矢理外に連れ出すせいで、拙いながらも人間と交流を持っているからね。あれもまた、彼女の精神修養には役立つだろう。精神衛生上、悪影響かも知れないが……。


 そこまで考えたところで、どう、とものすごい音がして、バスガルが倒れた。頑丈なダンジョンが揺れている。生体反応が要らない体だからか、倒れた直後だというのにピクリともしない。

 もう、警戒を解いても大丈夫だろう。僕は自分に、【死を想えメメントモリ】の安全策である【怒りは束の間の精神病イーラフロルブレウィスエスト】を施す為、理を刻み始める。

 この【怒りは束の間の精神病イーラフロルブレウィスエスト】は、【死を想えメメントモリ】を作る際に、頭の枷を取っ払うという面で使った理を流用して考案した幻術なのだが、なんと【死を想えメメントモリ】に抵抗する為にも使えるのだ。ただし、用法用量はお守りください。

 強い怒りで、死の恐怖を払拭する事ができる為に、かなりの時間【死を想えメメントモリ】の空間内でも、耐えられるようになる。ただし、やっぱり用法用量は必ずお守りください。本当に命に関わります。

 赤雷を嘴に宿らせた杖を構える僕の視界で、ぐらりとバスガルの死体が動いた。まさか、あれで生き延びたのかと警戒する僕は、彼の動いた翼の辺りを凝視した。

 やがて、力なく垂れている翼をもぞもぞと捲り、が顔を覗かせる――


「マジか……。あんのやろっ!」


 どうやらバスガルは、本当に死んでいるらしい。だがその代わり、置き土産を残していってくれたようだ。クソったれ!


 そこにいたのは、銅の体に獅子の頭の竜人――ズメウだった。



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