第104話 ショーン・ハリューの罠

 ●○●


 船が波を割る豪快な水音と、それとは対蹠的な優雅な海鳥たちの歌声に耳を傾けつつ、離れていくゴルディスケイル島に思いを馳せる。此方はそこに、島で出会った少年の事も重ねて見ていた。


「エスポジート様、船内に不審な人物の影はありません。船員や物陰に紛れている惧れも低いかと」


 船内に降りていたウィステリアが甲板へと戻ってきて、報告をしてくれる。メラ・ピウス主席司祭を含めた二人には、船内に不審人物の影がないか、隈なく調べてもらったのでお礼と共に労を労う。


「ありがとう。それでは、二人の幻術を解除してあげてください」

「は、はい。しかし、よろしいのでしょうか? 【誓約】を解除する事は、その……、彼との契約違反になるのでは?」


 不安そうに訊ねてくるウィステリアを安心させるように、笑いかけつつ首を横に振る。


「ショーン君も、予め幻術を解かれる点は想定済みです。だからこそ彼は、【強制コーゲンス】や【権威エクスカテドラ】ではなく、あえて【誓約ユーラーティオー】という、比較的軽い幻術を彼女たちにかけたのでしょう。まして、あの条件であれば【支配者ドミナートル】までも使えたのです。あるいは、我々も知らないような、彼オリジナルの幻術を使うという選択肢もあったはず。しかし、それをしませんでした」

「たしかに……。【権威エクスカテドラ】などの強い強制力を有する幻術ならともかく、【誓約ユーラーティオー】は枷としてはかなり緩いですね……」


 ウィステリアの言葉に、此方は一つ頷いた。

強制コーゲンス】や【権威エクスカテドラ】は、為政者が重要な商談などにおいて、平民商人に使ったりする場合もあるが、使用頻度は極めて稀だ。それこそ、国家の趨勢に関わるような重要な事業でもなければ、まず使われない。

 この二つ程の幻術ともなると、生命力の理での抵抗レジストや同じ幻術での解除も、かなり難しくなってくる。それこそ、ショーン君レベルの使い手であればわからないが、並の幻術師では解除はまず無理であろう。

 しかも、これを使うのは相手を信用していないと言っているようなものであり、かなり失礼な行為だ。当然、貴族を相手に行使するのは、非常に侮辱的と捉えられ、明確に法に反している者にでもなければ、まず使われる事はない。

 とはいえ、その二つはまだ【支配者ドミナートル】よりはマシである。【支配者ドミナートル】はそれこそ、奴隷に対して使われる幻術だ。そこまでくると、いかな方法であろうとも、当人の意思だけで解除するのは至難になる。たとえその人物が【神聖術】の使い手であろうとも、【支配者ドミナートル】を解除しようとする意思は、幻術によって抑制されてしまう。

 解除には、どうしても外部からの協力が必要になる。だが、ショーン君はそれらの術式を使わず、やろうと思えば双子自身でも解除できるような幻術をかけた。

 ここまであからさまだと、その真意を読み違える方が難しい。結局のところショーン君は、こちらが約束を守るだなんて、端から思っていないのである。


「それもまぁ、仕方がありません。我々が教会である時点で、どの幻術が用いられようとも、あまり意味がありません。ショーン君が【誓約ユーラーティオー】を用いたのも、そういった意味での当て擦りです」

「……なるほど……」

「なにより、お二人の情報を得られる機会は、教会上層部とて欲してやまないものとなっています。我々がどれだけ口約束をしようとも、だからと上層部がそれを墨守して、姉弟の情報をみすみす逃すだなんて、此方とて信じられませんもの」


 そう。これが教会以外の勢力が相手であれば、【権威エクスカテドラ】や【支配者ドミナートル】を使う意味はあっただろう。だが、我々はなのだ。


「どのような幻術も、【神聖術】を用いれば容易に解除できてしまう。高度な幻術を使うだけ、魔力の無駄でしかない、という意味ですか……?」


 ウィステリアが、あまり得心いかないような顔で口にする疑問に、此方は苦笑する。実に素直な捉え方だ。ウィステリア自身も、ショーン君がそのような負け惜しみじみた当て擦りの為だけに、あのような軽い条件で【誓約ユーラーティオー】を使ったとは思っていないのだろう。


「少し違いますね。【神聖術】であれば、すべての幻術が解除できる、というだけです。いかな神からの恩寵たる【神聖術】とて、あらゆる幻術に対して、万能の効果を発揮するわけではありません」

「? それは、どういう……?」

「すぐにわかります。ともかく、二人の【誓約ユーラーティオー】を解いてきてください。その後、二人にもここに来るよう告げてください。お願いしますね」

「わかりました」


 なおも疑問を顔に浮かべたウィステリアが、しかしそれ以上拘泥せず船倉へと戻っていった。現在、【甘い罰フルットプロイビート】の二人には、船倉での謹慎を申し付けている。

 彼女たちが【布教派】の意向で動いていた事は間違いないだろう。それに彼女たちは、孤児院の出身で教養に乏しい。上層部の意向で操る事は、容易かっただろう。本来罰されるべきは、そういった連中なのだが……。

 それでも、此方の立場では責任を取らせないわけにはいかない。たった四人しかいない、女性の聖騎士として仲良くしたくはあるのだが……。残念ながら、二人には嫌われてしまっているので、派閥の違いがなかったところで、どの道仲良くはしてもらえなかっただろう……。

 それにしても、ショーン君がどうして女装していたのか、あれだけ言葉を尽くされたものの、やはり良くわからなかった……。もしかして、そういう趣味だったのに、恥ずかしいからベラベラと言い訳をしていたのだろうか?

 だったら別に、恥ずかしがる必要なんてないのに。良く似合っていたし。なんなら、今度会う機会があったら、彼に似合いそうなドレスを持参しようか。


 穏やかな潮騒の中、此方はしばらくそのような事を考えていた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る