第105話 不純物
さらに暫時船上の風景と海の音楽を楽しんでいたら、海鳥の鳴き声が少なくなってきたところで、二人を連れたウィステリアが戻ってきた。メラ・ピウス司祭はいない。彼は権力の匂いというものをことさらに倦厭する
苦笑しつつ三人を出迎える。
「気分はどうです?」
「最低な気分でごぜーますね。あんなガキんちょにいいようにされたうえ、その失態をあなた様に見られ、尻拭いまでされちまったんでごぜーますからな!」
「あんな形で手打ちにしなくても、どうせオレたち教会とあの姉弟とは相容れねぇんだから、おりこうさんに和解なんぞしなくて良かったんでごぜーますぜ!」
あまりの態度にウィステリアなどは注意も忘れて目を剥いているが、これでも彼女たちは最大限此方に丁寧に接してくれているつもりなのだ。
「ここは船上。余人の目があるわけでもありませんし、此方もあの姉弟に関する情報を聞きたいと思っております。其方らが、不慣れな喋り方に気を取られて、情報共有に差し障りがあっても困ります。普段通りの口調で構いません。此方が許します」
なにより、そのような口調では逆に笑ってしまいそうで、お互いに礼を失してしまう事態に陥ってしまいそうだ。
此方からの許しを得てなお、双子騎士は常の不遜な態度には戻らず、たどたどしく一連の経緯について話してくれた。その内容は実に不可解であり、極寒の地底世界だの、影の術式だの、ショーン少年が人外に変身するなどという、とてもではないが信じられないような、荒唐無稽な話のオンパレードだった。
変身したショーン少年が、ヴェルヴェルデ大公の食客であったスタンク・チューバに攻撃を仕掛け、その隙に二人が撤退したところで話は一段落する。その後の逃避行にも興味はあるが、そちらは帝国といざこざに関わる事情である為、いまは割愛しよう。本国に戻れば、どうせ話を聞かねばならないのだから、詳細を訊ねるのはそのときでいい。
「「…………」」
双子からの説明を聞き終えた此方とウィステリアは、同じような顔で黙り込んでいた。当然、真っ先に考えるのは、二人の話の信憑性だ。そして、そうなれば当然懸念点となるのが、相手がショーン・ハリューという稀代の幻術師であるという点に尽きる。
「カラメッラ、ジェラティーナ、お二人に訊ねます」
「なに?」
「なんだよ?」
不機嫌そうな二人に、此方は意味のない質問をする。
「其方らのその記憶は、どこまで正しいと思っていますか?」
「は? どういう意味?」
「全部正しいに決まってんだろ?」
当然ながら、二人はそう答える。だが、だからこそこの質問には、意味がないのだ。その点に思い至ったウィステリアが、ああ、そういう事かと納得したような表情になると、疲れたように嘆息した。
此方も頷きつつ、眼前の二人に対する説明と、ウィステリアの認識に齟齬がないか、たしかめる為に言葉を紡ぐ。
「其方ら二人は、先程ショーン君の【
「は? い、いや……」
「……。あいつなら、ありえる、かも……」
二人は、常なら強がりを言いそうなところでも、困惑も露にあり得ると零す。それだけ、ハリュー姉弟を難敵と認めているのだろう。
「ええ、そうです。一度でも、あのショーン君に幻術をかけられてしまったという点で、我々は其方ら記憶に全幅の信頼をおけなくなってしまいました。また、いま現在あなたたちを縛っている幻術であれば、【神聖術】でそれを取り払う事はできます。ですが、もしも既にその認識自体が歪められていた場合、それを後から元の形に戻す事は、流石の【神聖術】でも不可能です」
此方がそう述べれば、ウィステリアとカラメッラは「それはそうだ」とばかりに頷いた。ジェラティーナは初耳だったのか、どうして治せないのかわかららず、首を傾げていた。
「いいですか、ジェラティーナ? もしも幻を見せたあと、【正道標】を使ったとしても、その幻を見たという記憶は消えません」
「あん? んなの当然だろ?」
そう当然である。記憶の中にある幻術の存在まで、綺麗さっぱり消えてしまうなど、それはもう記憶の置き換えでしかない。そんな【神聖術】は、恐ろしくて使えないだろう。
おっと、いけないいけない……。下手な認識や畏れは、【神聖術】に対して悪影響を与える惧れがある。此方一人の認識でどうこうなるものでもないが、さりとて信仰は信仰であり、小さかろうと影響は影響である。
此方は悪いイメージを払拭するように
やがて祈りを終えて気を取り直した此方は、ジェラティーナに対して説明を続ける。
「失礼。続きを説明しますね。といっても、先の説明がすべてなのですが、幻術が影響を与えたあとの記憶は、いかな【神聖術】でも治せません。そういった記憶のサルベージは、それこそ幻術の領域ですが、その場合あなたたちの精神がどうなるか、わかったものではありません」
幻術での記憶のサルベージともなると、被術者の安全を考慮して行うという事は、まずない。そもそもが、禁呪と同等レベルで秘匿されている術式であり、使う相手も犯罪者や、敵国の人間に限られる。
また、頭の中を直接引っ掻き回すような術である為、下手をすれば命にも関わり、そうでなかったところで韋編を解いたかのごとく、記憶はしっちゃかめっちゃかになってしまう。
「うへぇ……」
「それは嫌だな……」
「大丈夫です。流石に教会上層部も、聖騎士二人を使い潰す程の必要性は、姉弟に対して見出していません」
此方がそういうと、二人はあからさまに安堵の息を吐いていた。
「もしも二人の話が、ある程度常識の範囲内であれば……――、いえ、それでも疑われるでしょうが、それでも現状よりはマシです……」
「どういう事?」
「仕方ねーだろ。アイツらマジで、非常識なんだからよ!」
カラメッラは首を傾げて訊ね、ジェラティーナは両手を頭の後ろに組んで、つまらなそうに吐き捨てる。この双子は、外見こそソックリだが、性格にはかなりの差異があるようだ。
「いまの説明をそのまま上にあげても、おそらくはショーン・ハリューのまやかしを疑われるでしょう。それだけ、荒唐無稽な話だったのですから」
「それは、まぁ、そうだろうね……」
「ったってなぁ……。実際オレたちは、連中の隙をついて逃げてきてんだぜ? ただの幻にビビって尻尾巻いたって思われんのは、正直ムカつくんだが?」
カラメッラは納得の色を見せるも、ジェラティーナの方は不満げだ。それもむべなるかな。自分たちの報告に、問答無用で疑義を呈されているのだから、当たり前である。
「ボクは少しわかるよ。正直、あいつらと戦ってると、どこからが現実で、どこからが幻なのか、わからなくなってくるんだ。あり得ないような光景のすべてを幻だと切って捨てられれば楽なんだけれど……」
「そんな事してたらオレたちはとっくに、ダンジョンの餌だったぜ」
カラメッラの言葉に、ジェラティーナは肩をすくめて首を左右に振りつつ吐き捨てる。そんな彼女に頷いてから、カラメッラはなおも続けた。
「だから、ボクらの話を人伝に聞いた連中が、それを疑いたくなるって気持ちもわかる。でも、少なくともボクらは、アレが植え付けられた幻だとは思えない」
「ま、そうだわな。あのとき感じた恐怖、地下世界出会った死神の存在感、倒せない大犬への絶望感、そして人から化け物へと変身していくショーン・ハリューへ感じた不気味さ――暗闇に、人としての根源を覆される感覚……。それらすべてが嘘だったなんて、それこそあり得ねぇよ」
双子から、強い視線が飛んでくる。まるで此方が二人の意見を蔑ろにしていると思われているようだが、どちらかといえば此方は、二人の話がそのまま真実なのではないかと思っている。
だが、ここで二人にそれを言ったところで、信じてはくれまい。此方は双子からの信頼を得るのを諦め、話を進めた。
「とにもかくにも、あそこで幻術を使われてしまった時点で、あなたたちの情報には不純物が混じてしまいました。上層部はそれを理由に判断を保留するか、姉弟の脅威度を低く見積もるでしょう。できればそれを避けたかったのですが……」
「大公側の賛成が痛かったですね……」
ウィステリアのセリフに、此方も嘆息しつつ頷いた。あそこで、同じく姉弟との間柄が思わしくない大公勢力を味方にできれば、もっと別の条件で手打ちにできた可能性はある。
だが、彼らが姉弟の条件に頷いてしまった以上、ランブルック・タチの、ひいてはその後ろにいるタルボ侯や帝国、そして当然ヴェルヴェルデ大公の手前、こちらもそれを呑まざるを得なかった。
下手な対応をすれば、すべての責任を教会側に被せる為、その両勢力が手を組む惧れすらあったのだから。
帝国と第二王国は良好な関係にあり、その間にも然したる蹉跌はない。つまり、帝国にとっては教会よりも第二王国の方が、手を組みやすい相手なのだ。
残念ながら、帝国と教会の間には、そこそこの火種が燻っている……。
「じゃあなんで、呑んだんだよ? 突っぱねれば良かったじゃねーか!」
そういった政治的スタンスを意に介する様子など一切見せず、自明の理とばかりに文句を言える、ジェラティーナの立場に、少しだけ羨望を抱いてしまう。もしも此方にそれが許されるなら、どれだけ楽なものか……。
「いい加減にしろ! たしかに口調に対しては、エスポジート様より許可がある故指摘は控えるが、政治が絡む判断にまで、君たちが口を挟むような勝手は許されん!」
ウィステリアが双子を叱責するも、当の二人は怒られた事よりも『政治』というワードに顔を顰めた。
「うへぇ……。なんだそりゃ」
「やめやめ。そういう面倒臭い事情なら、ボクらはもうなにも言わないよ。お偉方で勝手にやってくれ」
そう言って二人は、逃げるように此方らに背を向けた。いや、文字通り厄介な話題から逃げたのだろう。
此方とて、逃げられるものなら逃げたいというのに……。
我々教会とハリュー姉弟との間柄に、不穏な影を残しつつ、ひとまずは今回の一件はこれで落着とせざるを得ない。本当ならば、なんらかの謝罪の証でも立てて、和解をしておきたかったのだが、ショーン君にはそれすらも拒絶されてしまった……。
相当に、こちらに対して不信感があるのだろう。それもまたむべなるかな。
なんとかこの空のように、我々の間の暗雲も晴れぬものかと、益体もない願いを抱いてしまうが、それが難しい事は重々承知している。
此方は何度目になるかもわからぬため息を吐いてから、波と風の織りなす船上の音楽鑑賞に戻る。
船は一路ゴルディスケイル島から離れ、ナルフィ王国へと向かっている。久々の帰郷に、美しい自然の
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