第101話 偏在する灰、嗤う猫

 ●○●


「チッ! なんでこんなところに、ショーン・ハリューがいるんだ。まさか、私の動きに気付いて……――いや、それはないだろうな」


 私とショーン・ハリューは、いまだ接触すらない。バスガルを倒した以上は、間接的に知ってはいようが、この状況で彼が私を狙い澄ました行動など、起こす蓋然性などない。顔を兜で覆い、名前も隠しているせいで、こいつの発見が遅れたのは、単なる偶然と見るべきだ。

 おそらくは、連中には連中なりの狙いがあって、人間なんぞの戦に顔を出しているのだろう。


「クソ、消耗した分にはまったく足りないが、拘泥すれば尻尾を掴まれる惧れがある……。退きどき、だな……。まったく、本当にお前は忌々しい事ばかりするな、ショーン・ハリュー」


 私は踵を返すと、もはや未練はないとその地をあとにする。一から仕込みをしてきた身からすれば、惜しくないと言えば、それは強がりになるだろう。

 だがしかし、私も私で危ない橋を渡っている自覚はある。石橋は、叩いて渡る。少しでも懸念があれば、絶対に渡らないくらいの慎重さが必要なのだ。

【崩食説】と、人類側で正式に呼称されるようになったらしい、あの生命力回収方法が知られたときよりも、これはマズい状況だ。間違っても、このに勘付かれるわけにはいかない。

 下手をすれば、この私が他のダンジョンコアに袋叩きにされかねん。


「それにしても……、なんだって、ダンジョンコアの眷属が、人間なんぞの戦争に手を突っ込んでいるのか……」


 狙いがあるにしても、それがわからん。

 いや、ちょっと待て。帝国が短期間に、ほとんど損耗もなく山越えできた理由は……――。い、いやいや、まさか。いくらなんでも、そこまで人間に肩入れするような真似をするなど、あり得ない。流石に考えすぎだ。


「だが、懸念が生じたならば、調べるか……。石橋は叩いて叩いて、蟻の一穴など許さぬ状況を整えるべきなのだから」


 そして、万が一この懸念が現実のものであるというのなら……――


「そのときは、覚悟しておけよ? ハリュー姉弟……」


 もう一度、忌々しげに戦場へ振り返った私は、そう吐き捨ててから、帝国のへと連絡をつなぐ。


 ●○●


 眼前の、グレイと名乗った女から手渡された書状。これで、通算三通目だろうか。どうやら、第二王国側はかなり切羽詰まっているようだ。

 しかしどうして……。


「ポールプル公子様、もしよろしければ、僭越ながらこの私が手紙に記せない、第二王国の事情をご説明してもよろしいでしょうか?」

「ふむ。聞こう」

「は。それでは憚りながら……、実を申しますと、第二王国はこれ以上西側に意識を割きたくないのです。先に失陥した、ヴェルヴェルデ王国領の回復が、現在はなによりも優先されるからです」

「ほう。まぁ、わからぬ話ではないな。あの遊牧民包囲網の構築を、神聖教が号令しなければ、第二王国はパティパティアを越えた先の領土などではなく、いまなお異教徒が割拠する、旧ヴェルヴェルデ王国の奪還に動いていたであろう」


 既に、我が国の一部族となった遊牧民らの襲撃によって、第二王国王都が失陥した折、各選帝侯は王都を包囲するように四方八方から攻め立てた。それは、本来異教徒どもの盾となるべき、ヴェルヴェルデ王国やシカシカ大司教領の兵らも参戦する、大規模なものとなった。

 流石に、あの時点で大帝国の末裔たる第二王国そのものがなくなるような事態は、北大陸全土の――そこまでいかずとも、少なくとも現第二王国領内の秩序の崩壊を意味していた。下手をすれば、第二のクロージエン公国群ができていた可能性すらある。

 私の意見に、グレイはゆっくりと頷いた。


「ご賢察です。しかし、山向こうの領土を得てしまったばかりに、第二王国の中央は否応なく、帝国の動きにも左右されてしまうようになりました。此度の帝国の動きにも、少なからぬ労を割かざるを得ませんでした」

「それもまた、むべなるかなよ」


 もしも、完全に第二王国が無警戒であったのなら、それこそ帝国は第二王国との関係悪化も恐れず、ゲラッシ伯爵領を奪ったかも知れない。そうなれば、スパイス街道を完全に、帝国が掌握できるのだ。

 そのメリットは、第二王国との関係悪化というデメリットと、天秤にかけられる程度には魅力的だ。外交関係に関しては、あとから取り返しも利くのだから。

 グレイは続ける。


「結果、ヴェルヴェルデ大公陛下と、我々第二王国中央との軋轢は深まるばかり。実際、此度の帝国の動きに際して、ヴェルヴェルデ大公陛下からの助力は、一切得られませんでした。それだけ、彼の元王陛下の我慢は限界であり、我々に対する不信は根強いのです」

「なるほど。話が見えた。パティパティア以西のゲラッシ伯爵領を失う代わりに、旧ヴェルヴェルデ王国領の奪還を成したいと、そういう話か」

「はい。重ね重ね、ご明察にございます。流石は、音に聞こえたポールプル侯爵家の公子様です。どうやら、侯爵家の将来は安泰でございますようで」


 あからさまなおべっかに、私は軽く手を振って笑う。


「世辞はいい。だが、その目標の為に、どうして領土を捨てる? 勝手にやっていれば良かろう?」

「帝国がナベニ共和圏を得るのは、既に既定路線でしょう。ですが、統治をおざなりにすれば、以前の二の舞は必定。それに加えて、旧ゲラッシ伯爵領であるサイタンとシタタンです。ここでさらに、第二王国の領土に食指を伸ばす程、帝国の手は多くはありますまい」

「ふむ。一理はあろうな」


 たしかに、ナベニ共和圏、サイタン、シタタンと得た直後に、その地を背にして第二王国にまで攻め込むのは、なかなか危険だ。下手をすれば、それらの地域がいっせいに反旗を翻し、パティパティア山脈の向こう側に、侵攻軍すべてが閉じ込められかねん。


「なるほど。第二王国側の意図はわかった。しかしな……、事はやはり私の独断で動かせるものではないぞ。現侵攻軍の全権は、タルボ侯が握っているのだ。そこで、私が勝手に軍を動かせば、死罪すら免れぬ愚行だ」


 まったくもって忌々しい。もしも、我がポールプル派の将軍が司令官であれば、いや、そうでなくともある程度作戦に携われる立場にあれば、この話はなんとも旨味の多い話だったのだが……。

 完全にベルトルッチ平野を注視し、こちらに柔らかい脇腹を晒しているゲラッシ伯爵領から、パティパティア以西の領地を掠め取るだけの、簡単な任務。だが、その見返りは莫大だ。

 スパイス街道を有す、サイタンとシタタンを領する意味は絶大である。いかに、あの忌々しいトンネルがあろうと、塩、砂糖、香辛料のすべての輸送路を、そこのみに依存するわけにもいかない。第二王国を経由する事になろうとも、やはりスパイス街道を使った交易は重要なのだ。

 しかも、それは現在帝国最南端を領す、タルボ侯の権益だ。だが、スパイス街道の入り口を押さえるという事は、そのタルボ侯の権益を削れるという事を意味する。

 この私をコケにした、あのタルボ侯に逆捩さかねじを食らわせるのだ。なんとも愉快痛快ではないか!


「……だが、無理であろうな。タルボ侯はおそらく、ここでわざわざ戦線を広げる判断は下すまい。それには、私も同意する。なにより、この話はおそらく、ゲラッシ伯爵にも内密で進めるのだろう? つまり、領地は我らの兵が奪う形にせねばならないと……」

「はい……。我が主人も、流石にゲラッシ伯に『領地を明け渡せ』とは命じられません。そんな真似をすれば、彼の伯はこれ幸いと、その立ち位置を王冠領へと変え、非難はこちらに集中する事になりましょう」

「然もあらん」


 どだい、封建国家において領主に領地を明け渡せなどという命令が成立するわけがないのだ。君主がそんな真似をすれば、すべての領主が明日は我が身といっせいに反発する。そうならぬように、謝意が伝わるような対価でもって、なんとか譲らせるというのなら……、いや、それでも譲らぬ領主は多かろうな。

 領主というものは、基本的に一所懸命。一所を守る為に命を懸けるものだ。


「一応、タルボ侯へ話はつなごう。しかし、この件に私は一切関与せん。なんの確約もせんし、後々の事を考えて名を認めた書も残せん。これが結論だな」

「致し方ございませんね……」


 ちっともそんな事を思っていなさそうな、変わらぬ薄笑いを浮かべたグレイは、肩をすくめて嘆息する。この者は所詮、トラヌイ男爵の使いでしかなく、事の成否にはそれ程関心はないのだろう。

 私がそう考えたところで、焦ったようなノックの音が響いた。



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