第100話 ご飯を守れッ!!

 ●○●


 眼前に迫った危機に、わたくしはなに一つ行動を起こせなかった。武器を構える事は勿論、回避に移る事すらできない。所詮、わたくしの戦闘能力など、この程度のものでしかない。

 音が消えた世界に、男とわたくしの二人だけになったかのような光景。ゆっくりと迫る刃は、確実にわたくしの命を刈り取るだろう。

 ここが、本来の戦場であれば、きっとアルティがわたくしを守ってくれただろう。だがしかし、徒歩でこの場に来た以上は、そのような他力本願など無意味以前の厚顔無恥だ。

――ただし、わたくしは迫る男の刃から、決して目は逸らさない。それこそが、戦場に立つと決めた己の覚悟であり、最期の最後までわたくしであったという証明なのだから。


「ふぇ?」


 だが、そんな覚悟を決めた凛々しい顔付きも、数秒後には間抜けなものと変わっていた。兜があって幸いだった。このような間抜け面、間違っても配下の者らに見せられるものではない。


「な、なんだこりゃッ!?」


 わたくしに剣を振り下ろした大男が、困惑に声をあげる。だが、それも当然だろう。わたくしの兜と、男の剣との間にはいま、透明な膜のようなものが張り、その勢いを完全に殺してしまっていたのだから。

 普通の速度と騒々しさを取り戻した世界に、コツンと、なんとも間抜けな音がする。わたくしの兜と、男の刃がようやく接触した音だ。


「ッ! 届け――【フジクジラ】ッ!!」


 先に我に返ったのは、この場において一番この状況を理解できるわたくしだった。腰から抜き出した【フジクジラ】を構えて、その名を叫ぶ。手元から伸びた斧は、まるで投射兵器のように男の腹へと食い込むと、男とわたくしの間に絶対的な距離を作ってくれる。


「うぐぁ!?」

「お嬢様ッ! 大丈夫ですか!?」


 すぐに駆け付けたシモーネや、近くの兵らによって、その男は瞬く間に討ち取られる。無数の剣や槍が突き刺さり、息絶える最期はあまりにも凄惨な光景だった。

 だが、そのような事に動揺していられるような余裕は、いまはない。


「大丈夫ですわ! それよりもいまは――」

「死ねェ!! マフリースの魔女めッ!!」


 兵らの動揺を治めようと指示をしかけたところで、再び隣から刺客が剣を手に突っ込んでくる。だが、今回は周囲の兵らも警戒していたようで、わたくしとの間に身を滑り込ませ、盾で防ぎ、再び四方八方から滅多刺しにされていく。


「――ったァ!!」


――と思っていたら、さらに背後から男の声。ドンという衝撃が背後から伝わってくる。

 どうやら、先の男は端から囮で、この背後の者の襲撃の為に、命を捨てたらしい。なんという、壮絶な覚悟だろうか。


「――なッ!?」

「天晴なお覚悟でした。さようなら」


 だがわたくしは、振り向き様に斧槍と化した【フジクジラ】を振るい、刃渡り三〇センチ程の短剣を構えて、茫然としている男に叩き込む。吸い込まれるようにして、男の脇腹に、【フジクジラ】の斧頭がめり込み、その体が一メートル程持ち上がる。

 振り子のように勢いのついた斧頭の重さがあっての威力であり、当然ながらわたくしの腕力で、大の男を持ち上げるような真似などできない。その勢いが完全になくなり、一瞬空中で静止したところを、突き刺さったままの刃を返して、地面へと叩き付ける。

 やはり、なにが起こったのかを正確に理解しているのは、この場ではわたくしだけだろう。辺りは一時的に静寂が飽和し、戦の喧騒がどこか別の世界から聞こえるような、どこか別世界のような空間が生まれる。ショーンが、幻術で別の空間を作るという噂を聞いた事があるが、それはこういう事なのだろうか……。

 見れば、背面に形成されていたであろう、結界術の【甲羅テストゥド】が、一部割れてしまっており、その奥に先程と同じく水の膜ができている。あれが、再び襲撃者の攻撃を防いでくれたのだろう。

 思い起こせば、戦の前にわたくしの鎧を作った際、ショーンが言っていたのだ。重すぎる全身鎧や、体のラインを強調する卑猥な鎧を拒んだわたくしに、胸甲鎧を用意したショーンは、酷く面倒臭そうに、適当に言ったのだ。


『君が、重さに耐えられないからって全身鎧を拒否したのは、わからないでもないけどね。でも、その代わり胸甲鎧にしたせいで、防御力が下がっている事は自覚しなよ? 特に背面に関してはガラ空きもいいところだ』


 胸甲鎧の構造上、その防御は前面に偏っているのはたしかだ。戦場で、全方位から狙われるような場合、この程度の装備では心許ないというショーンの言には頷けた。

 あえて、マッスルキュライスの卑猥な造形については、語らないらしい。


『まぁ、一応マジックアイテム化して、防御の為の機構も仕込んだから、最低限の身の守りにはなるだろう。生命力の理が使える実力者や、単純に力の強いモンスターとかだと、すぐに突破されてしまう程度のものだし、気休め程度だと思ってきちんと周囲を警戒するように』


 そう言って最後に、本当に適当な調子でぼそりと付け加えたのだ。


『……まぁ、ただの雑兵相手だったら、たぶん大丈夫でしょ』


 それが、この結果である。

 水の膜がなにかというのは、既に当たりはついている。ショーンの使う【ヨロイザメ】にも使われている【水盾】だろう。

 だが、やはりわからない。どうして水の膜は、わたくしがなんの対処もできていないのに、勝手に発動したのだろう? 二度目の襲撃なんて、わたくしは攻撃されるまで、相手の事を視認もできていなかったのに。

 いかな奇跡を現実のものとする【魔術】であろうと、術者の知らぬところで勝手に発動し、身を守ってくれるなどという機能は、これまで聞いた事がない。【魔術】の根幹は、魔導術で記された理であり、そこに魔力を流す事で発動する、実にシステマティックなものだ。門外漢のわたくしでも、その程度の事は知っている。

 だからこそ、まるで自動防御とでも言わんばかりのこの仕掛けは、不可解極まりない。常に、微量ながら魔力を消費するという点に、なんらかの絡繰があるのだろうが……。


「お嬢様っ!」

「シモーネ……」


 ついつい考え込んでしまったところに、青い顔をしているシモーネが必死に問いかけてきてくれたおかげで我に返った。いまは、思考に耽っていられるような、時間的な余裕はない。


「大丈夫ですわ。……総員! 足並みを乱すな! わたくしに構う必要もないッ!! いま一度、わたくしたちの目標を唱和せよ! ご飯を守れぇ!!」

「「「応!! ご飯を守れッ! ご飯を守れッ!!」」」


 軽くシモーネに応答してから、わたくしは声を張って兵らに号令を発する。それに応えて、まるで鬨の声のように大音声でがなり立てる周囲の兵。

 わたくしが、襲撃者を自ら撃退したからか、目に見えて兵の士気は高く、その場しのぎの為に参集したとは思えぬ団結を見せる。もはや、夜襲による混乱は治りつつあった。


「クソ、これまでか。撤退! 撤退ぃ! 総員、退けぇ!!」


 こちらが早急に軍を立て直したのを察した敵の指揮官が、これ以上の無理はせぬと撤退を指示する。相手が退くというのなら、その背に追い討ちをかけるのがセオリーだ。

 ただ、我々は体勢を立て直したばかり。ここで無理をするべきか否か……。わたくしに判断がつくわけもなく、すぐに隣のシモーネを窺う。


「ここは無理せず、敵が退くのを待ちましょう。万が一、さらなる奇襲部隊が存在し、我々があの連中の背に追い縋った隙に、今度こそ背後の兵糧庫を襲撃されたら意味がありません。なにより、その伏兵にこちらが攻撃される惧れとてあるのです。当初の作戦目標通り、ご飯を守りましょう」

「ふふ……。そうですわね。総員、このまま警戒を続けよ! ご飯よりも敵のお尻に興味のある方のみ、適当に突っ込んで、勝手に死になさい!!」


 わたくしの地口に、兵らの間にあった空気が弛緩し、大口を開けて笑う者もいた。いまだ警戒は必要だが、夜襲が起こってからずっと、わけもわからず右往左往してきた彼らに、自軍が優位であり、もうすぐこの戦いも、敵の撃退という最良の形で終わると意識させる。

 人間の心というのは、常に張り詰めていられる程、強いものではない。最後の一踏ん張りをする為にも、ここで人心地つけてあげるべきだと判断したのだ。


「随分、指揮官が板についてきたじゃん」


 やがて、当たり前のように前方からやってきた、血まみれの鎧武者が、からかうような口調でそう言ってきたが、姿がホラー染みていて返答に困る。特に、血の滲む布に包まれた、丸い物体を腰から下げている点に、また余計な名声が増えそうで……。


 もしかして、またわたくしの結婚を遠のかせようとしてます?



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