第99話 違和感
●○●
「……すごい……」
一人で最前線に飛び込んだショーンを見て、わたくしは思わずそうこぼした。隣にいるシモーネも、その言葉に頷くと、しみじみと呟いた。
「あの人は幻術師だという話ですが、戦士としても十分な戦闘能力を有していますよ。少なくとも、私などよりははるかに強いです」
「ショーン自身は、武器での戦闘は苦手で、弱いと自称しておりましたが?」
一緒に狩りをした際に、そう聞いたのを思い出す。魔術師である彼が、どうして戦斧を振るって戦っているのか、気になって問うたのだ。その際にショーンは、苦笑してそう言っていた。
だが、実際にはほとんど幻術すら使わずに、あの鎧袖一触の戦いぶりである。アレで弱いとは、いったいなんの冗談だろうか。
「あれで弱かったら、少なくともナベニの騎士は全員弱者の烙印が捺されてしまいますよ……。他国の平均が、ナベニとは隔絶しているとは、思いたくないですが……」
「ナベニの騎士全員より、ショーンの方が強いという事ですか?」
「いえ、流石にそうまでは言えないでしょう。ただ、【魔術】込みで考えると……」
なるほど。近接戦のみで評価しても、ショーンはナベニの騎士の上澄みと同等の戦力。本気を出せば、さらにそこに厄介な幻術が加わるわけだ。
「本当に、弱いとはなんだったのかしら……」
「たぶんですが、目標が高すぎるのでしょう。なので、あの人にとっては、あれでも全然足りていないという意味なのだと思います」
「なるほど。目標はグラですか……」
随分と、大きな物差しを用意したものだ。それでは、わたくしたちの常人の尺度で測れないのも、致し方のない事である。
「軍勢の様子はどうです?」
とはいえ、いつまでもショーンの戦見物をしていられるような状況ではない。わたくしは意識を切り替え、ハッキリとした口調でシモーネに問う。シモーネもまた、英雄紛いのショーンの戦いぶりから意識を引き剥がして、状況を確認する。
「混乱は収まりつつあります。敵兵にとっても、この夜陰は厄介な障害となりましょう。また、ショーン殿の奮戦によって、敵兵全体の士気に翳りが見えます。着実に持ち直していますよ」
「そうですか……」
一安心といったところだろうか。いえ、体勢を立て直したならば、まずは敵の目的の阻止に動かなくては!
「兵糧庫の防御に動きます! 移動開始!」
「はっ! 作戦目標! 兵糧庫の防御!! 少しずつ移動を始めろ!」
シモーネが目一杯口を開いてがなる号令に、周囲の帝国兵らが、ゆっくりとではあるが移動を始める。わたくしを中心に築かれた円陣が、横にスライドするように敵と兵糧庫との間に、移動を始めていた。
だが――、
「火、火の手だ! 食糧庫に火が付いたぞ!?」
誰かの声に振り返れば、たしかに食料の備蓄をしている天幕から、火があがっていた。どうやら、我々が防御に回る前に、あそこまで紛れ込んだ敵兵がいたようだ。
「消火は味方に任せなさい! 防御優先!! 大丈夫! 兵糧庫はあそこだけではありません! 被害を広げぬ為にも、わたくしたちは敵兵を叩き返し、これ以上の攻撃を許さぬ事を専一に! 足並みを緩めるな! 防御の手から力を抜くな! わたくしたちのご飯を守れぇ!!」
「「「応ぉォ!!」」」
細かな指示は、シモーネら士官らが伝えてくれる。わたくしはただ、自分たちの戦う意味と目的、そしてその場所を味方にわかりやすく伝えてやればいい。
誰だって、ひもじい思いなどしたくはない。だからこそ、大義名分やお為ごかしの善悪よりも、この方が兵らのやる気もあるがるだろう。
――と、そのとき――
「食らえ、この魔女めがッ!!」
味方の兵に紛れていたのか、背後から槍を構えた男がわたくしに襲い掛かってきた。バクンと、大きく心臓が跳ねる。迫る槍の穂先が、やけに遅く感じられた。
「お嬢様!!」
シモーネが掲げていた槍の石突でその男の足を払い、もんどりうったところで喉を踏み付ける。ある意味小気味のいい、寒気のするような音が響き、男は沈黙した。
ここで、危機は去ったと安心してしまったわたくしは、どうしようもなく間抜けだった。ここが戦場という事すらも、忘れていたのかと恥ずかしくなる。
トッ、という足音が、背後から聞こえたのも、それに振り返ったのも、この喧噪のさなかにあっては、ただの偶然だった。
そこには、既に剣を振り上げた男の姿があった。
●○●
「人、殺すコツ? 相手、人だと思わないコト」
シュマさんの言葉が、脳裏に蘇る。まさしく至言だ。この量の人間を、人間と思って殺していては、動揺から致命的な隙を生じかねない。いまだ、人を紙屑のように殺せる精神性は有していないが、それでもかなり折り合いはついてきた。
斧を振る。血飛沫が舞う。
「そっすね。ぶっちゃけ、人の命よりも自分の命。敵の命よりも味方の命。そうして、命の優先順位をつけておいて、緊急時にはなにがなんでもそれだけを守るってインプットして、他の事考えなければ、迷わなくていいっすよ? まぁ、後味はクッソ悪いっすけど」
そんな事を言っていたのは誰だったか。まぁ、こんな相談、ある程度相手の為人を知っていないとできないので、ただの韜晦だが。
斧を振る。悲鳴があがる。もしくは、あがらない。
「それが悪で、罪深い行いであると理解しているなら、きっとあなたは大丈夫です。あなたにも、守るべきものが多数あるのです。いざというときに臆しては、その守るべきものを取りこぼしてしまいかねないという事を、忘れないでください」
セイブンさんの真摯な声は、きっと僕という若者を守る為に発されたものだったのだろう。それが、僕という人類の敵の糧となってしまうというのは、実に皮肉な事ではないか。
結果、僕は己を振るう。そしてまた、一つの命を刈り取った。
「ンっと、気分悪い!!」
手に残る感触も、耳に残る断末魔も、なにより既に人の命を摘み取る事に慣れ始めている自分にも――なにもかもが気持ち悪い! だが、そのような不快感を堪能し、己の人間らしさを楽しんでいられるような、余裕はない。
「おかしい……――」
僕は阿鼻叫喚の地獄絵図の渦中にあって、独り言ちる。
思えば、最初から違和感があった。なぜ僕は、敵襲がある前に目を覚ました? 虫の知らせ? 敵襲の気配を察した? 僕は武人か。本当に、僕にそのようなご都合展開を生んでくれる、特殊な危機察知機能があるとでも?
「ぎゃぁああ!? 腕がぁ!?」
「――シッ!」
襲い掛かってきた男の、剣を持っていた腕を斬り飛ばしてから、もう片方の斧で袈裟から腹にかけて致命傷を負わせる。流れるような自分の動きを、余さず制御できている。
この感覚も変だ。僕にしては、あまりにも上手く戦えすぎている。いや、普段より明らかに技量があがっている、というわけではない。ただ、寝起きで、これだけの大人数を、それも人間を相手にしてなお、自分のベストパフォーマンスが発揮できているという事態が、かなり違和感なのだ。
「死ねぇぇええ!!」
吶喊してきたナベニ兵の槍の穂先を斧で逸らし、すぐに別の斧で叩き折る。剣ではなかなかできない武器破壊も、斧ならば容易く行える。それは、剣もまた同じだ。
「うぐぁぁあ!?」
僕の一撃を、剣で受けたナベニ兵に、勢い余った【橦木鮫】が深々と突き立てられる。彼が保持していた剣は、真っ二つであり、剣先の方はどこかに飛んでいってしまった。
……やっぱりおかしい。
「く……ッ、死兵があの猛者を足止めしている間に、なんとしても帝国軍の兵糧庫を燃やせ! 油をかけよ!」
「応! 閣下、一足先に向こうでお待ちしております!」
おっと。流石にここまで暴れ回ると、敵も本腰入れて僕に強者をぶつけるつもりだな。完全に包囲される前に、味方に合流したいな……。
そのとき、背後の味方から、大きなどよめきが起こった。思わずそちらに目を向けそうになったが、すぐにそんな事に意識を割いていられないと中止する。
僕の眼前には、ナベニ軍の騎士らしい男が、突っ込んでくるところだった。
さて、これまでの雑兵とは、きっと強さの桁が違うぞ……。気を引き締めないと。
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