第98話 夜討ちの狂騒

 ●○●


 真夜中。虫の知らせというわけでもないだろうが、なんの脈絡もなく目を覚ました。

 どこか落ち着かない気持ちで、シモーネさんたちと同じ天幕から出る。夜空はまだ暗く、天幕近くの篝火と、歩哨たちの掲げている小さな明かりが、遠くでゆらゆら移動しているのを確認して、帝国軍の様子に変化はない事を確認する。

 気のせいかと、安堵の息を吐いたところで、歩哨たちの小さな明かりの一つが、不自然に揺らめき、消えたのを確認する。


「――ッ!?」


 次の瞬間、消えた明かりの周囲の明かりも、慌ただしく動く。そして――、

 カンカンカンという、異常事態を知らせる鐘の値が響く。その意味を、僕は過たず察し、戦支度の為に天幕へと戻る。

 とはいえ、ここが戦場である以上、最低限の備えは常にしている。寝るときにも鎧は脱がないし、斧だって常に二振りは手の届く場所においている。いまは、杖と残りの斧を取りに戻ったところである。

 シモーネさんとその部下の青年も、既に警鐘によって目を覚まし、準備を整えていた。


「夜襲ですか?」

「そのようです」


 言葉少なに問うてきたシモーネさんに頷きつつ、僕も【僕は私エインセル】と【箕作鮫ミツクリザメ】と【鋸鮫ノコギリザメ】、それと【葦切鮫ヨシキリザメ】を手にする。

 なお【葦切鮫】は、ベアトリーチェに渡した【藤鯨】とは違う装具が必要になった為に、急遽グラに作ってもらったもので、用途はほぼ同じだ。

 短い柄のみの形状であり、金属製のバトンのようなシルエットである。その分、携帯性にも優れているので、既に一軍入り決定の武器だ。そして、用途的が被る【箕作鮫】と【鋸鮫】の二軍落ちが懸念される状況だったりする。

 特に【鋸鮫】。対物破壊の用がないと、ホントに役立たずなのだが、僕自身があまり物を破壊する必要に迫られないというのが、戦力外通告の最大の要因だ。斧本来の使い道を強化した能力だったんだけど……。


「敵襲!! 敵襲ゥ!! ナベニ軍が攻めて来たぞッ!!」


 天幕の外から、誰かの声が響く。これでもう、先の警鐘が間違いや誤報だったという可能性は消えた。この夜陰に乗じて、敵軍が奇襲をかけてきたのだ。


「お嬢様の元へ行きます」

「はい」


 こちらの戦支度が整ったと見たシモーネさんが、そわそわしつつも浮足立った様子のない、しっかりとした口調で告げてくる。天幕の外に出れば、隣の天幕からはベアトリーチェと侍女のヘレナが外に出ていた。


「敵襲ですか!?」


 シモーネさんとは真逆の、焦燥がありありと浮かぶ口調で問うてきたベアトリーチェ。流石に、夜闇と剣戟の喧騒という合わせ技の前に、お嬢様の仮面を被っていられる余裕はないらしい。

 まぁ、それでいいと思う。むしろ、こんな状況で平然としているヤツの方が、化け物じみていて信用できない。


「どうする? ここは本陣にも近い。そっちに避難するか、現場に急行して敵の排除にあたるか」


 僕が問えば、ベアトリーチェは名状しがたい表情を浮かべたのち、すぐに両目を固く瞑ってかぶりを振る。そうして顔をあげる頃には、その顔にはいつもの彼女の表情が映し出されていた。


「現場に向かいます。ヘレナは、わたくしの代理として本陣へ使いに走りなさい。わたくしの居場所を、帝国軍司令部に伝える重要な任務です」

「――ッ、かしこまりました……ッ。御武運をお祈り申し上げております……」


 ヘレナもまた沈痛な面持ちでそう言うと、深々と頭を下げてから身を翻し、駆けていく。

 どうして、ベアトリーチェが戦場に赴き、その武運を願わねばならぬのか。自分が仕えるお嬢様は、本来もっと安全な場所で、優雅に暮らしているはずだったのに。そういう表情だった。


「行きましょう」


 だが、当のベアトリーチェは、既に迷いなどないとばかりに、凛とそう言い放つ。その手には、以前は僕も使っていた【藤鯨】。技がない僕らにとっては、力任せに振るだけでいい斧は合っているのだが、ベアトリーチェは力もないからな……。攻撃力という面では、あまり期待できない。まぁ、元々していないが。

 戸惑う帝国兵が入り乱れている中を、僕らは駆ける。中には、シモーネさんが掲げる旗を見て、安堵と期待の目をしながら集ってくる者らもいる。この混乱という濁流で、寄る辺を見付けたといった風情だ。


「そろそろですか……」


 それ程長く駆けたわけでもないのに、早くも息が切れ始めているベアトリーチェが、喧騒の近さから判断したのだろう、険しい顔で前方を睨み付けながらそう口にする。


「狙うは兵糧だ!! 敵兵が混乱している間に、手早く火をかけよ! 略奪は許さぬ!! 時間をかけるな!!」


 悲鳴と怒号の中に響いた、ナベニ軍の指揮官の声が聞こえる。どうやら、敵はこちらの経戦能力を狙ってきたらしい。

 なかなかいいところを突く。帝国軍は遠征軍であり、その兵站線は伸びてしまっている。実際、現在の前線を支えている兵糧は、帝国産三割、降った元共和圏の自治共同体コムーネから供出させたものが七割くらいの割合だろう。それだけ、兵糧の維持が困難であるという事でもある。


「ベアトリーチェ・フォン・エウドクシアですわ!! お味方は、我が旗の許に参集なさい!!」


 混乱の喧騒が渦巻く戦場に、凛とした声音が響き渡る。ベアトリーチェのこの行為自体は、判断ミスというわけではない。

 味方からすれば、混乱する自軍を纏められる指揮官の登場と、どちらに向かえばいいのかを明示できる。ベアトリーチェとしても、彼女を守る兵の層は厚ければ厚い程いい。

 だが、ナベニ軍からすれば、今回の戦における、最大級の手柄首がのこのこと現れたのだと、喧伝する行為にもなってしまう。奇襲で自軍優位の戦場において、あっさりと手柄を諦められる兵がどの程度いるものか……。

 仕方ない……。


「僕は前に出ます。シモーネさんは、お嬢様の護衛として離れないでください」

「了解です。ご武運を」


 コクリと頷いたシモーネさんに手を振ってから、兜に閉ざされたベアトリーチェを瞥見し、僕は味方が殺到してくる前方へと駆け出す。このままだとぶつかって、怪我人が出かねない。なので、向こうに避けてもらう事にする。


「【恐怖フォボス】」


 意図的に効果を弱めた【恐怖】を使う事で、眼前の人垣が綺麗に割れる。その間を、僕は駆ける。

 きっと、僕が通過したあとには、元通り閉じる事だろう。そうでないと、ベアトリーチェへの防壁として役に立たない。


「――この辺りか」


 敵味方入り混じり、戦闘が繰り広げられている場所まで辿り着くと、ひとまず敵味方の区別を付けようと周囲を見回すが、正直かなり難しい。

 帝国軍もナベニ軍も、末端の雑兵の装備はかなり粗末なものだ。十級冒険者とまではいわないが、下級冒険者並みの革鎧ばかりで、所属を表す印もない。おまけに明かりはあちこちにある篝火だけだ。

 正直、敵方だってコレ、かなり同士討ちしてるんじゃないの? 人間の目にこの暗さで、まともに個人識別ができているとは、とても思えない。


「おい、こいつ立派な鎧と斧持ってやがるぜ!」

「本当だ! きっと手柄首だぜ!」

「それに、小さくて弱そうだ! 俺がもらうぜ!」

「ふざけんな! 手柄は俺のもんだ!」


 アルタンであれば、絶対にあり得ない事を言いながら、粗末な剣や槍で襲いかかってくるナベニ軍の兵士。

 ここが戦場じゃなきゃ、投擲で出鼻を挫くところだが、ぐっと我慢して相手を待ち受ける。ここで武器を手放すと、おそらく盗まれて二度と戻ってこない。冒険者の戦い方は、ここではできないのだ。


「もらったァ!!」


 突き込まれた槍を避け、あっさりと【撞木鮫シュモクザメ】の一撃で叩き折る。ここで水の尾まで出してしまうと、僕だと身バレする可能性が高まるので、それも我慢。まぁ、危なくなったら使うけど、いまは余裕もあるので問題ない。


「んなッ!? はえ――」


 ただの棒になった槍を見詰め、呑気になにかを話していた男を、【鎧鮫】で真っ二つに割る。その男の最期に構っていられる余裕はない。

 剣を構えた男が飛び掛かってくるのを、こちらも身を低くして懐に飛び込む。予想外の行動に驚いたのか、剣を振り下ろす事も忘れてこちらを見てくる男を、掬い上げるようにして斬り付ける。うん。これも恐らく致命傷。

――次だ。

 できるだけ装具の能力を使わず、無数の敵兵を斬り捨てていく。きっと、ゲームなら楽しい無双状態なのだろうが、実際にやっていると、自分の皮が一枚一枚剥がれて、化物の本性が露になっていくような気分になる。

 だが、いまはもう、それでいい。



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