第97話 追い詰められるナベニ軍

 ●○●


 決戦の地は、銀貨の発行元として有名な自治共同体コムーネである、ウォロコの町だ。高く、古びた城壁に、ぐるりと囲まれた大きな都市であり、見るからに防御力が高そうだ。

 延々、畑や草原を行軍してきた帝国軍はついに、その牧歌的でありながら代わり映えのしない景色から解放され、目標地点のウォロコの町を一望していた。現在は、その大きな城塞都市の動向を監視できる、なだらかな丘陵に陣を張って、旅の疲れを癒しているところだ。

 ただ、堅牢さが窺えるウォロコの城塞都市だが、平城であり、水の手は引き込んでいる川のようだ。ここを堰き止めれば、水攻めも可能だろう。いや、向こうもそれはわかっているだろうし、なんらかの手を打ってはいるか。

 それに、水攻めが上手くいけば、早期の降伏、開城もありえるだろうが、そうでなければ力攻めか、籠城戦という事になる。そして、あの城塞都市を一息に武力制圧するなんてのは、不可能に思える。すんなりと敵軍を蹴散らせるとも思えないし。

 ナベニ軍に籠城されたりしたら、いくら帝国軍が数的に有利でも、かなり攻めあぐねるだろうなぁ。ここから長期戦になるのか……。まぁ、そのときはさっさと帰って、ディラッソ様の方に行こう。


「いえ、どうやら敵は打って出て、野戦で決着を付ける腹積もりのようです」


 そう思って、籠城戦になったらさっさと帰るとベルントさんに伝えたら、彼は首を横に振って答えた。僕は驚いて聞き返した。


「え? なんでです? 相手方は八万近くの軍勢でしょう? 帝国軍は十万と少し。戦力が足りてないのでは?」

「理由は、時間と士気の二点です」


 時間と士気? ああ、なるほど。つまり、時間をかければかける程ナベニ軍の士気が下がって、反乱や内部分裂の可能性が高まり、軍団を維持できなくなる可能性が高いという話かな? 籠城戦とか、神経すり減らしそうだしね。おまけに、援軍が来る予定もない。無限に時間稼ぎをするわけにもいかない以上、さっさと打って出て、一か八かの勝負に出るという事か。


「ナベニ軍は現在、かなり切迫しています。籠城戦ともなると、八万という軍勢が逆に大きく足を引っ張ります。外から物資を運び入れる事が出来ない籠城戦では、早々に兵糧も底を突きましょう。敵は、この戦に時間をかけられないのです」

「なるほど。軍が半分、いや四分の一とかなら、長期の籠城もできたかも知れません。となると、もしかすればナベニ単体の方が、籠城戦的にはマシだったかもしれませんね」


 ただ、そうなると援軍もない状況で、延々帝国に対峙して城郭内に引き籠らないといけない。それこそ、城壁内はギスギス培養装置になる。

 帝国はこのウォロコを包囲しつつ、周囲の自治共同体コムーネを一つずつゆっくりと攻略していけばいい。やがて、中の人間たちの心も折れるだろう。


「さらに、彼らを追い詰めているのが、いま現在ナベニ共和圏で流れている噂です」

「噂ですか?」

「はい。竜甲女ドラキュリアベアトリーチェ様の武勇伝と同時に、先のナベニポリス内でなにがあったのか。いま、どうして帝国とナベニポリスが争っているのか。それが広まりつつあります。ショーン殿の策が、見事に嵌まりましたね!」


 ベルントさんが実に嬉しそうな笑顔で、僕に語りかけてくる。間諜として役目を果たせる事が、嬉しくて仕方ないといった様子だ。

 対する僕は、内心とても驚いていた。


「え? あ、ああ……。な、なるほど。そこまで上手くいったか……。ちょっと予想外でしたね。味方の鼓舞がメインの狙いでしたが……」

「民草にとって、戦争の大義名分なんてものは、基本的には二の次です。徴兵の義務を果たす、もしくは報酬を得る事が、彼らが戦に参陣する理由です。まぁ、故郷を守りたいという思いがないとは言いませんが……」


 いままさに、その故郷を侵さんとしている自覚があるのか、ベルントさんの口調がわずかに淀む。とはいえ、そこまで強い葛藤でもないようで、すぐに気を取り直していた。


「ですが、自らが英雄に討伐される、悪役に立ったという自覚が生じてしまえば、民らも素直に戦えはしません。反乱騒ぎが起こる事までは期待できないでしょうが、少なくとも、士気には多大な支障が生じましょう」

「さらに、その毒は最初の一点目である、時間によってさらに回るという算段ですか。流石は音に聞こえた【暗がりの手】ですね」


 きっと、この情報工作の為に、彼らもかなりの労力と人命を割いた事だろう。結果、敵軍の籠城策を根底から挫くとなれば、やはり流石と言わざるを得ない。タチさんが影の巨人と恐れられるのも、納得の暗躍ぶりである。


「ハハハハ。ご謙遜を」

「うん?」

「え?」


 あれ? なんか会話が噛み合ってない?


「ショーン殿、竜たちの食糧の事なのですが……おっと、お取込み中でしたか。失礼……」


 駆け寄ってきたシモーネさんが、ベルントさんの存在に驚き、謝罪をしてから離れていこうとする。顔見知りとはいえ、ベルントさんは【暗がりの手】の中でも、そこそこ重要人物のようだと察しているようだし、シモーネさん的には恐縮してしまうのだろう。

 そんな彼に、僅かに口元だけで苦笑するベルントさん。普段は無表情に近いのだが、所々で感情表現が顔に出る人だ。まぁ、グラに比べれば彼くらいの無表情など、鉄面皮どころか餃子の皮が貼り付いているようなものだ。その表情を読む事など、児戯にも等しい。

 その皮も、変幻自在のホフマンさんくらいになると、逆にその奥にある真の表情を読むのが難しくなるのだが……。


「おや、ザナルデッリ殿。いえいえ用件は既に終わって、いまは世間話に興じていただけですから。それでは、ショーン殿。私はこれで失礼」

「ええ。くれぐれも、ウカの件、よろしくお願いしますね」

「勿論。我々にとっても生命線ですから」


 そう。今日、ベルントさんの元を訪ねたのは、くれぐれもウカに手出しをしない事を約束させるのと、万が一帝国軍の何者かが手出ししてくるようであれば、こちらも実力行使をする由を伝える為だった。

 これで一応は、もしも問題が発生しても、こちらの非とされる事はないだろう。まぁ、帝国軍全体で結託されるとどうしようもないが……。


「お邪魔でしたか?」

「いえ。本当に、用件は伝え終えたあとだったので大丈夫ですよ。それで? 竜たちの食糧の件でしたか?」

「あ、はい。実は、マフリースから離れたせいで、現地調達できる肉の量が減っておりまして……」


 やはり竜の食糧問題は、行軍中はかなりのネックになるな……。特に、ベルトルッチは餌となるモンスターの絶対数が少ない為、行軍中に現地で得るのがなかなかに難しい。

 とはいえ、絶対に不可能というわけでもない。野生の狼だの熊だのを、【誘引ピラズィモス】で引っ張り出せば、竜二体分の餌くらいなら、それなりに賄えると思う。


「できるだけ、兵士たちの食料には影響を及ぼさない方向でお願いします。最悪、僕かお嬢様ベアトリーチェに声をかければ、狩りそのものは行えます」

「はい」


 食べ物の恨み程、怖いものはない。戦場で背中を気にしなくてもいいように、竜たちの餌は自前でなんとかしたいものだ。



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