第102話 整えられた状況と偽書
「し、失礼します! 帝都より、ポールプル公子様に密書が届きました」
配下の一人が、部屋に入ってくるなり慌てて申し述べる。本来、部外者であるグレイがいる場で、密書の存在を明言すべきではないのだが……。まぁいい。
「密書だと? 何故私に、このタイミングで?」
「わ、私には、わかりかねます」
「寄越せ!」
埒もない事を問うた。どだい、密使でもないこの兵が内容を知っているはずもない。
私は兵の手から密書をひったくると、その内容に目を通す。これは予感だ。この密書には、非常に重要で、非常に重大な――それでいて劇的な事が記されている。そう思った。
まるで、カチリとなにかが嵌まったような音。すべてが、私に都合良く転がり始めている、そういう予感が聞こえた。
「なんとッ!? 皇帝陛下が、帝都が、第二王国襲撃を許可!? 速やかに、ゲラッシ伯爵領を侵奪せしめ、帝国の版図とすべし、だと……?」
なぜ、皇帝やその側近どもが、このような性急な判断を下した? おかしい。流石におかしい。
いまの帝国は、第二王国と争ってまで、寸土を欲する状況ではあるまい。幸い、ナベニ侵攻も順調だ。だからこそ……? いや、やはりここで、無用に戦線の拡大をするのは、帝国にとっては利よりも害の方が大きかろう。
「どうやら、我々の仲間が帝都まで無事に辿り着いたようですね。その密書は、それを踏まえたうえでのご下命なのでは?」
「…………」
好転しそうな状況に、グレイは嬉しそうに微笑みながら、こちらに問うてくる。
いったい、なにがどうしたら、このような命令が発されるに至ったのだろうか。だが、密書に続く文章で、なんとなくではあるが、その意図が見えてきた。
「――ただし、第一目標は侵犯ではなく、ハリュー姉弟の弟幻術師、ショーン・ハリューの殺害とする……? 姉弟の双方を討つ事が叶えば申し分なし。この一点を成せたならば、ディートリヒ・フォン・ポールプルの功績の大なるを認め、勝ち得た領土を報奨として下賜する……だと……」
この命令の意図するところは、すなわち皇帝や帝国が疎んじているのが、ハリュー姉弟の弟であるという点だ。では、その弟が帝国に対して、なにをしたのか。
明々白々。パティパティアトンネルを通し、今次の戦において無類の功績を立てた。そして、その対価として莫大な妖精金貨を要求している。帝国中央においても、この点を看過できない勢力があったのだろう。
それに関しては、宣戦布告の前から私も問題視していた。タルボ侯はそれに取り合おうとせず、姉弟への報酬は既定のものとして処理されていた。当時は、パティパティアトンネルの存在を知らなかったからこそ、私もそれには疑念を呈した。実際に、その坑道のおかげで、今次の戦を優位に進められている現状を思えば、なるほど出すだけの意味のあった出費だと考えてはいるが……。
だが、帝国中央からすれば、やはりこの手痛い出費は、なかった事にできるのなら、それが一番なのだろう。
相手は、単なる個人。帝国という巨大な組織からすれば、容易く踏み潰せる相手でしかない。
そもそも、帝国内からいっせいに、妖精金貨が消失すれば、経済的にもかなりの打撃を覚悟せねばならぬ。これが、ネイデール金貨やポールプル金貨であれば話は多少変わってくるのだが。
それに加えて、短期間でパティパティアを貫通するトンネルを作る技能だ。あんなものが第二王国にある状況では、帝国は常に東に気を配り続けねばならない。姉弟の秘匿技術である内に、闇に葬れるならば、それに越した事はないだろう。
「なるほど……。ふむ……。なるほど……」
状況は理解した。足枷もなくなった。そしてこの状況は、私にとって、待ちに待った機会である。
もはや、足を止める理由などない。
「グレイ」
「は」
「朗報だ」
私はニヤリと笑いつつ、彼女に決定を告げる。
●○●
「ははは」
まったく、これだから人間ってヤツは。
帝国の軍事要塞をあとにした私は、意気揚々と帰路に就く。帰路といっても、別に行く当てがあるわけでもない。トラヌイとやらの元に赴く必要もない。
そもそも、あのような愚者には、失脚の噂が帝国に届くまでの間しか、価値らしい価値などなかったのだ。
「まったく、あれで自分は他の畜生どもよりも頭がいいと思っているんだから、本当に度し難い。状況を整えてやれば、自分の都合のいいようにしか考えられないのだから、パブロフさんちのワンちゃんと、どれだけの違いがあるというのか」
やはり人間など、我々ダンジョンコアに比べれば、下等生物でしかない。
「戦時中なのだから、偽書の類が飛び交うなど当然の事だろうに……」
自分の欲求を優先するあまり、その点をすっかり失念していたあの若造の間抜けさといったら。まぁ、それもこれも、こちらが丁寧に状況を整えたからではあるが。
とはいえ、私の持ち込んだトラヌイ男爵の押印がされた密書は本物だ。これが偽物では、あの若造もこちらに対する疑念を払拭できなかっただろう。
ただし、あのバカは既に、第二王国中央においては、権力の座から遠ざけられている間抜けである。既に求心力という意味では、先代とは比べるべくもない。トラヌイ男爵家は斜陽の家として、第二王国の中央では周知されている。
とはいえ、流石にその情報は、まだ帝国には伝わってはいまい。トラヌイ男爵の零落は、つい最近の出来事だからな。
さらに、帝都から届いたという密書に関しては、もうこれは完全に偽物である。帝国の上層部に、私の手駒を紛れ込ませるというのは、至難を極める行為だ。為政者どもをコントロールするような手管は、流石の私にも持ち合わせがない。
「だからまぁ、諸々の印や文体は、偽造したけれどね」
「それでもまぁ、慣れた者には見せられない出来だったわけだけれど……」
「それは仕方ない。だからこそ、タルボ侯やその配下、さらには【暗がりの手】なんぞには、とても見せられないものだったじゃないか」
「そういう意味では、この状況であの【バカ公子】という駒があったのは、幸いだったといえるね」
「然り。相手はあの、ポールプル侯爵家の嫡流だ。内心では、帝国の皇帝すら軽侮しているであろう、傲慢の権化だろう? この状況では、お誂え向きさ」
合流した私たちは、互いに独り言を言い合う。そう。ここにいるすべては私の分身であり、依代であり、私自身の意識を投影する人形であり、この繰り言はすべて独り言でしかない。
そしてこいつらは、大事な大事な中継装置でもある。本来、こうして固まっている事は、その役割的には好ましくない。だがしかし、いまは状況が状況であり、人手が必要なのだ。
「さて、ハリュー姉弟……。君たちは本当に、我々の陣営か……?」
私はゲラッシ伯爵領のある方角に向けて問う。当然、答えなど返ってくるわけもない。だがしかし、それはこの先の展開でたしかめる。
なにより、ダンジョンコアやその眷属にとって、一番の攻略法は物量戦である。ダンジョンという、我々にとって安息の地であり、最高の殻から抜け出している彼らは、迂闊以外のなにものでもない。
地上で人間に敵対するというのは、我々ダンジョンにとっては悪手も悪手なのだ。敵を倒しても、生命力を吸収できないという点も含めて。
「まぁ、別に倒せなくても構わない……」
そう言ってから、今度はナベニポリスがある方角へと視線を向ける。正確に言えば、その間にあるパティパティア山へ……。
雪冠の山々は泰然とそこに佇み、私の疑問に答えてはくれない。だからこそ、この目でたしかめにいくのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます