第103話 異世界のドラキュラと聖女

 ●○●


「ああ、もう! そう来たか。そう来たかぁ……」


 あの夜襲から、なんとなくそんな気はしていたが、ナベニ軍は帝国軍の経戦能力そのものに対して、攻撃を仕掛けてきているようだ。要は、直接的な戦闘での勝利ではなく、こちらの兵站の崩壊による、帝国軍の撤退を目的としているのだ。

 これは、遠征軍である帝国軍にとっては、非常に有効な戦略といえる。辛うじて兵糧こそ守ってはいるものの、常時緊張を強いられる帝国軍の士気は低迷を余儀なくされている。このまま攻城戦に移行するのが正解だろうが、兵力的には優勢であるものの、籠城する敵を下すには心許ない。

 ただし、ナベニポリスにとってもこれは、諸刃の剣となる。なにせ、このやり方で戦うと、どうしても時間がかかる。時間は、彼らにとって毒なのだ。

 それでもなお、そのデメリットを覚悟したうえでのチキンレースを仕掛けてきたわけだ。わかりやすい、決戦でなくゲリラ戦じみた散発戦闘と、物資に対する地味な攻撃で、帝国軍の兵士らの心を打ち砕こうとしているのである。

 その決意の表れが、僕らの眼前のである。


――串刺しにされた、幾人分もの帝国兵の亡骸。


 林のように立ち並ぶそれらの数は、一〇〇には届かないだろうが、見る者を戦慄させるには十分な光景だった。実際、帝国兵は見るからにドン引きしており、連日の夜討ち朝駆けで萎え気味だった戦意が、さらに衰えている様子が窺える。

 払底も間近といった塩梅で、あの死体の群れの間で、血の滴るステーキでも食べられたら、それだけで泣き喚いて撤退を始めそうである。

 あのコンスタンティノープルを陥落させ、ビザンツ帝国を滅ぼしたメフメト二世ですら、この方法で撤退を余儀なくされたのだ。まぁ、流石に串刺しにされている数が違うが……。

 夜襲の度に、やたら捕虜を取っていたのも、これが狙いだったのか……。てっきり、隠密性をギリギリまで維持する目的だと思っていた。

 その役は、ベアトリーチェが担うものだと思っていたのだが、見事にお株を奪われたらしい……。将来のブラムストーカーの主人公は、どうやらピエトロ君に決まりのようだ。ベアトリーチェには、やはりエリザベート・バートリー役が残っているので、そっち方面で頑張って欲しい。


「いくら神聖教との間柄が思わしくないからって、良くやるよ……」

「……ええ」


 ようやく絞り出すように頷いた、大役を奪われたベアトリーチェも、流石に眼前の光景には慄いているらしい。まぁ、当然か……。逆に、こんな光景を前にして、平然としているような人格破綻者など、味方としても敵としても信用に値しない。

 こんな真似、たとえ宗教が味方でなかったとしても、なかなか実行には移せないだろう。ヴラド三世の末路も、然もありなんというものだ。やはり、彼女には別の役が合っている。


「ベアトリーチェ、疫病に注意しろ」

「疫病……、ですの?」


 周囲は、眼前の状況に茫然としており、シモーネさんですら僕らに注意を払う余裕をなくしている。流石に、同じ神聖教徒同士で、ここまで凄惨なやりようを予想していた者は少ないのだろう。

 だからこそ、僕はここで地球の歴史を元に注意喚起を徹底する。


「そう。もしもここで、自軍内に疫病が発生でもしたら、そのときこそ士気は完全に崩壊する。死体を放置すると疫病が蔓延するというのは、温室育ちの君でも聞いた事くらいはあるだろう?」

「それは、まぁ、はい……」


 曖昧に頷くベアトリーチェ。この光景を前に、それどころではないだろうという視線を感じるが、逆に言いたい。それどころでないのは、こちらの台詞だ。

 これが一兵卒なら、眼前の状況に対して蒼惶とし、慨嘆していても許される。彼らには、それ程の責任はないのだから。

 だが、指揮を担う席に着き、その功で成り上がろうととしているのであれば、それは許されない。このような状況であるからこそ、軍団の維持と勝利の為に、頭をフル稼働させ続けなければならない。


「なんだ、その気の抜けた返事は? もうお家に帰りたくなったかい、お嬢ちゃん? 帝国に逃げ帰って、メイドさんにいい子いい子されながら、ベソかきつつ普通のお嬢様として生きるのか? あの夜、君が僕に示した覚悟と矜持は、その程度の代物だったのかい?」


 バッと、二つの兜越しに僕の目を見るベアトリーチェ。お互いに表情を読めない、アーメットの奥の表情だけで語り合う。

 やがて、気を取り直したベアトリーチェが、跨っていたアルティの首を撫でて、なにかをお願いする。直後、キュロロという甲高い、されど力強い鳴き声が響き渡り、眼前の光景に圧倒されていた兵らが、一斉にこちらに向き直る。

 その視線の先にいたのは、竜甲女ドラキュリア。手にした【藤鯨】を掲げて、力強く彼らに宣言する。


「狼狽えるな!! その動揺こそ、敵の狙いだ! 気を張れ! 悪に屈するな! 眼前の悪行に慄き、憤った者よ! 其方らの思いは正義である! なればこそ、悪に怯え、屈するな!! 気を強く持ち、立ち向かうのだ!! わたくしたちは正義の名のもとに、この悪逆を成した者どもに誅罰をくださねばならない!! でなくば――」


 ベアトリーチェが、斧の切先で前方を指し示す。そこには、帝国兵を震撼させた光景がなおも林立しており、濃厚な死の気配が兵らの心を圧迫する。しかし、ベアトリーチェは凛然と、彼らに向けて語りかける。


「――誰が彼らを、我らが戦友を、正義の為に戦った仲間を弔えるというのです!? わたくしたちがここで退けば、彼らはあのまま野晒しでしょう!! あの所業だけでも度し難いというのに、それを放置して逃げ帰る事など、わたくしにはできません! 自らの死後、串刺しにされ、放置されても良いという者だけ、ここで二の足を踏む事を許します! それ以外の――我らが戦友の亡骸を辱める所業を、看過できぬという者だけ付いてきなさい!! 仲間の遺体を奪還しますッ!!」


 おいおい。疫病に気を付けろと言った端から、あの遺体に近付くつもりか? いやまぁ、遺体が傷む前に荼毘に付せば、たしかに疫病の発生リスクは低減するし、万が一少数の兵が罹患しても、帝国の有する治癒術師が治療にあたあるから、疫病蔓延のリスクは最小限に留まる。彼らのキャパを超えない限りは、疫病蔓延からの士気崩壊という、最悪の未来につながる可能性は低くなるだろう。

 勿論、予防は必須だし、下手をすればベアトリーチェのせいで、帝国軍全体に疫病を蔓延させてしまうという展開も、考えられるが……。


「まぁ、その点はフォローしてあげるか。僕としても、ベアトリーチェの物語が、そんな回り道をすると興醒めだしね……」


 そう独り言ちてから、帝国軍本陣へと向かう。彼らに頼んで、エウドクシア軍の疫病予防に、治癒術師を回してもらう算段をつけよう。幸い、エウドクシア軍以外の帝国軍は、いまだに戦慄から立ち直れていないようだし、あの救出劇に携わる帝国兵も、最小限ですむはずだ。

 それにしても、この世界の医療技術がガチの中世ヨーロッパレベルじゃなくて、本当に良かった。四体液説を元にした瀉血だの水銀医療なんて、【神聖術】と【魔術】のあるこの世界においては、廃れる前に駆逐された民間療法でしかない。

 床屋さんは、普通の床屋さんだ。安心だが、そうなるとあの赤と青の目印は、この世界には生まれない事になるのだろうか……。そう思うと、ちょっとだけ寂しい。


「それにしても、この世界の人間もやるなぁ……」


 僕はスタルヌートの背に揺られつつ、背後のウォロコの町の城郭を眺める。この作戦をとったピエトロ・パーチェさんは、おそらくヴラド三世と同じ事がしたかったのだろう。それを、独自の思考だけで辿り着いたのだとすれば、彼もまた戦史に名を刻むに足る偉人の一人という証拠だ。

 勿論、ヴラド三世に比べれば規模も小さく、そのせいで影響も限定的だ。即座にベアトリーチェが軍を立て直せたのもその為だろう。だが、その観点に独自の思考で辿り着いたという点はたしかに賞賛に値する。


「やっぱり、人間ってのはすごいな」


 それだけに、手強い相手だ……。僕はそう認識を新たにし、兜の緒を締め直すつもりで、気合を入れ直した。




【どうでもいい備考1:中世ヨーロッパにおいて、床屋は外科医も兼任していました。歯を抜いたり、傷口に熱した油をかけたり、重傷者の手足を切り落としたりしていました。すべて麻酔なし。また、止血は基本的に焼灼止血法です。

 なお、瀉血治療も床屋で行われていたそうで、現在も使われる赤と青の目印も、その名残だとか】

【どうでもいい備考2:四体液説は、血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁の四種類を人間の基本体液とする、体液病理説です。この思想に基づき、血液を汚れとして瀉血医療などが行われ、彼の天才モーツァルトも命を落としました】

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