第104話 やせ我慢

 ●○●


「まったく、敵も上手く捌くものだ……」


 我ながら、あの策は会心の出来だと思ったのだが……。

 しかし、いま私が立つ城郭の下にて作業する、ベアトリーチェ嬢麾下の軍勢は、まるで士気の衰えをみせず、むしろ己こそが救世の軍の一兵とでも言わんばかりの顔つきだ。これでは、達せた作戦目標は三割といったところでしかない。


「パ、パーチェ殿……、い、いま連中を攻撃すれば、ベアトリーチェを討てるのでは?」

「いや……、それは悪手だろう」


 エンツォ・エウドクシアの提案を、私は即却下する。ベアトリーチェを討つという点は、作戦目標としては悪くはない。だが、問題は彼女らの後ろにいる帝国軍だ。帝国軍とて、ベアトリーチェらの献身を目の当たりにしている。こちらが襲撃をすれば、この光景に二の足を踏んでいる彼らの心に、わざわざ火をつけてしまいかねない。

 できる事なら、彼らの心には冷えてもらいたい。それこそ、心胆を凍え付かせる程度には……。だというのに、文字通り火に油を注ぐなど本末転倒もいいところだ。

 また、そこから一気に全面衝突となった場合、我々は力負けする。どこかで、決定的に勝敗をつけねばならないタイミングはあるだろうが、それはここではない。

 いまはじっと、機を待つ。そうだ。本当にあるかどうかもわからないそれが、目の前に現れた際に確実に掴む為、いまはしっかりと準備をしておかねばならぬのだ。


「まぁいい……。彼らの心臓に打ち込んだ楔は、確実に怯懦という毒でその心身を蝕んでいる。ひとまずは、これで満足しておこう」


 そう独り言ちた私は、帝国軍に背を向ける。だが、すぐに思い直して、眼下で懸命に兵らを鼓舞する少女の影を見下ろした。

 竜に乗る、黒と金の鎧姿の騎士は、良く目立つ。これだけ離れていても、一目でその場所がわかる程だ。

 これ幸いと、矢を射掛ける兵もいたが、以前の報告でもあった水の盾に守られて、矢は通らない。随分と便利なマジックアイテムを揃えていると感心したものだが、属性術師に聞いたところ、それ程実戦向きなものでもないだろうとの事。

 恐らくだが、条件付きで【水の盾】を自動発動させているのだろうが、そのトリガーは常に発動していないと意味がない為、常時魔力を消費する。要は、経戦能力が低いという話だ。

 また、トリガー次第ではあるが、意図せぬ発動が頻発して視界や挙動を阻害する可能性も高い、と断言していた。例えば、幻術で【危機感】を発動の鍵としていた場合、使用者が危機を覚える度に勝手に発動するらしい。

 たしかにそれは、実戦向きとは言い難いと、私にもわかる。敵と斬り結ぶ際に、相手の攻撃にいちいちアレが間に挟まっていたら、敵だけでなく自分の動きとて阻害される。鬱陶しい事このうえない。

 熟練者からすれば、余計なもので防がずとも、自分で対処すると言いたくなる装備なのだろう。危機感を抱けない不意打ちには、無意味だしな。


「つまりはまぁ、戦闘の素人の為の安全装置といったところか……」


 とはいえ、必ずしも剣戟を交わす必要のない指揮官にとっては、悪くない代物でもある。特に、ベアトリーチェのように、これまで一切戦闘に携わって来なかった者にとっては。


「パーチェ殿?」

「うん? ああ、いや、失礼……」


 声をかけてきたエンツォに、誤魔化し笑いを向けつつ、今度こそ私は戦場に背を向けた。

 ああ、羨ましいやら妬ましいやら……。小奇麗なお題目を掲げて、我こそは正義とばかりに振舞える彼女の状況に、さもしいと重々承知のうえで、嫉妬を禁じ得ない。私がこれまで、どれだけこの手を――否。

 これは、誰かに責を負わせるべきではない、間違いなく私が私の意思で成した悪行だ。特に、その家族を手に掛けた以上、誰よりも彼女に向けていい感情ではない。

 気持ちを切り替えるべく、私は副官に質問する。


「魔術師たちはどうです?」

「昨夜の作業で、かなりの疲労が蓄積しているようです。やはり、あれだけの杭……を、一夜の内に地面に突き立てる作業というのは、いかに魔術師といえど大変だったようです。魔力的には問題ないそうですが、肉体と心が……」


 すらすらと答えた彼だったが、その表情は優れない。やはり、彼もまたあの所業には思うところがあったのだろう。勝利の為には必要だと割り切ってくれているようだが、果たして同じように考えられる者がどれだけいる事やら……。


「ふむ。やはり、魔術師はその数の少なさがネックですね。学べば、ほぼ全員が習得できるというのなら、学び舎でも作って広く魔術師の育成に励めば、国力の増強になるはずですが……」


 まぁ、多くの国がそれをしないのは、【魔術】という力を国の上層部で独占しておきたいからだろう。胡乱者や反逆者たちに【魔術】が浸透した際の厄介さを思えば、それもむべなるかなだが……。


「魔力的に問題ないというのであれば、動かなくていい作業を割り振ってください」

「動かなくていい作業ですか?」

「土の属性術を得意としている者は言うまでもなく、他の属性術師にもやる事はたくさんあります。火も水も、需要はどこにでもありますから」


 本来、属性術は満遍なく学ぶものらしいが、資金や修学期間の問題で、使える属性が偏る事はままある。一番食いっ逸れがない土の属性術を学ぶ者が多いが、冒険者や傭兵には火や風を使える者も多い。海に携わる者は、なにをおいても水の属性術を優先して学ぶ。


「風はどうしましょう……?」

「通常通り、敵からの攻撃の警戒に当たらせなさい。別の作業に割り振る余裕はありません」

「はっ」


 風を使って、毒気を送ってくるなど戦ではよくある事だ。いち早くそれを察知する為には、同じく風の属性を操れる属性術師に、常に敵情を観察させておくしかない。こういった作業は、マジックアイテムで代替はできない、人の目と頭が必要な作業だ。

 酷使して申し訳ないが、風の属性が使える魔術師は、伝令の役割もあるので、別の作業に使う余裕はない。


「たまに、魔術師を戦に使えと言う輩もいるが、この現状を鑑みて、どこにそんな余裕があるというのか……」

「そうですね……。彼らがいなければ、裏方作業の負担は三倍……、いえ五倍にはなっていたでしょう……。その代わり、戦場に送る余裕は微塵もありませんが……」

「それでいいのです。魔術師は育てる為に、莫大な時間と資金を要する。安易に戦場で浪費していい人材ではありません。今後のナベニの為にも……」


 その今後があるかどうかは、ここでは言及しない。わざわざ副官のテンションを下げて仕事の効率を下げる意味などないのだから。

 魔術師と士官は、戦において軽々に失ってはいけない兵である。勿論、魔術師が戦場にて戦果をあげる事はままある。我々も、そういう戦力としての魔術師を温存しているし、帝国軍とて同じだろう。

 だが、それは間違いなく切り札であり、適当に切っていては勝てる勝負も勝てないのだ。まして、我々は劣勢なのだからなおさらである。


「すべては、最適なタイミングで敵に強烈な一撃を加える為の準備です。コツコツ、コツコツと積み上げていきましょう」

「はい」


 副官の返事に私は苦笑し、先を急ぐ。やる事は山積しているのだ。その事に鬱々としつつも、を思えば気合も入ろうというものだ。

 一歩ずつ、ゆっくりと前に進むのも、苦手ではない。確実に前進している実感があるのだから。



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