第105話 ショーン・ハリューの離脱

 ●○●


 ベアトリーチェたちが死体を回収して戻ってきた。とりあえず、ベアトリーチェとその騎士たちは、最優先で洗浄と消毒を行う。他の兵たちにも、疫病蔓延のリスクを伝えた帝国軍司令部の判断で、魔術師が遣わされ、身を清める為の措置が施されているはずだ。


「さて、向こうはここからどう手を打つか……」


 ベアトリーチェの機転、というにはやや感情任せの行動ではあったが、帝国軍はトゥルゴヴィシュテの悪夢にうなされる事はなさそうだ。さらにいえば、現ナベニポリス元首ドージェのピエトロさんは、ワラキア公程の統率力があるようには思えない。

 下手をすると、あの串刺し晒しは、ナベニ軍の士気の方が悪影響を受けている惧れすらある。

 ここから、彼らがどのような巻き返しを図るのか、ベアトリーチェの行動と同じくらい、興味深いところだ。

――……などと、物見遊山だった僕の元に、それどころではない情報が飛び込んできたのは、それから三日後の事だった。


「は……?」

「繰り返します。我々、カベラ商業ギルドが掴んだ情報では、帝国軍後方に不穏な動きあり。まだハッキリとした事はわかっておりませんが、最悪の場合――かと」


 別に聞き逃したわけではなかったのだが、カベラの伝令は律儀にも同じ内容を復唱してくれた。

 それは、当初から懸念していた内容。しかし、まず起こらないと高を括っていた事態でもある。


「本当に、帝国がそんなバカな真似を?」

「先程も申しました通り、ハッキリとした事はわかりかねます。ただ、帝国軍の後方に、不必要なはずの物資が回されており、軍にも動きが見えます。これが、ベルトルッチ方面に回される軍であれば問題ないのですが、ポールプル侯爵公子はナベニ侵攻軍司令部から疎んじられて、前線から外されたはずです」

「なるほど……。たしかに、極端に前線で損害が生じたとかでもない限り、彼らを戻すとも考えづらい、か……」

「はい」


 なるほど……。たしかに、それは臭いな……。だが、自分で備えておいてなんだが、本当にこんな事態が発生するとは思っていなかったせいで、少し動揺している。

 いや、帝国が小金を惜しんでそんな真似をするなんて、本気で警戒しているわけがない。あまり車に乗らなくても、自賠責の他に保険に入るような感覚だ。いや、高校生だった僕には、正直馴染みのない例えだが……。


「ホント、なに考えてんだか……」


 僕が、呆れ半分当惑半分で呟くと、カベラの伝令さんもこくりと頷いていた。


「正直なところ、我々にとっても意外な展開でした。ジスカル様は、すっかり爾後の宝石の取り引きばかりを気にしていたせいで、報告を受けて珍しく顔を顰めておられました」

「うわっ、それはちょっと見てみたかった!」


 いつも微笑みの仮面を崩さない、あの褐色長髪イケメンが、思わず浮かべた渋面なんてレアもレアだ。是非とも、アーカイブに連ねておきたいスチルだろう。

 僕の軽口に、伝令さんもくすりと笑う。そんな彼に、謝礼として幾枚か金貨を渡し、お礼を言う。すぐに僕のテントから出ていく彼を見送ってから、考える。


「さて、どうするか……」


 とりあえず、このまま帝国と一緒に行動するのは良くない。流石の依代ぼくでも、十万人からなる帝国軍をすべて相手にしていては、勝ち目がない。とっととこの場から撤退し、パティパティアトンネルまで戻るべきだろう。

 そこでウカと合流したら、一度僕らのダンジョンまで退避すべきだ。帝国軍のどこまでが、この公子の動きを察知しているかわからない。いや、それをいうなら、どこまでが信用に値するか、という話だ。

 決まっている。ひとまず、すべてを疑ってかかる。タチさんやホフマンさん、タルボ侯も含めて、帝国のレッテルが貼ってあるものは須らく疑ってかかるべきだ。彼らはきっと、忠誠の為なら僕との約束など、あっさりと破る人たちなのだから。

 ただ、そうなるとベアトリーチェをどうするか……。


「いや。ここは伝えずに去った方がいいな」


 僕と帝国が全面的に敵対した際、下手に情報を知っているとグルと思われて、それだけで殺されかねない。正直、過保護にし過ぎてベアトリーチェ自身の緊張感も薄れているきらいがあるし、ここらでお守はお役御免だ。


「スタルヌートはおいていってあげよう。一応、帝国に売った竜だしね」


 そうと決めたら善は急げだ。戦場という事で最小限だった荷物を纏めると、さっさと天幕をあとにする。夜陰に紛れるようにして、野営地から離れていく際に、ふとウォロコの城郭を振り返る。


「良く考えたら、これって彼らにとってはまたとない機会だな。果たして、この千載一遇のチャンスを掴めるか。そして、帝国軍とベアトリーチェは、この逆境を乗り切れるか……」


 正直、特等席で観戦できないのが惜しいくらいのシチュエーションだ。ナベニ軍が逆転する展開も、ここまで快進撃で進軍してきた帝国軍が七転八倒する展開も、どちらも第三者的には見物である。

 きっと、この戦は歴史にも戦史にも残る。だからこそ、間近でそれを確認し、歴史の証人になりたかった。いやまぁ、証人といっても、記録に残すつもりはないが。

 僕の視点だと、不都合な裏話が多すぎて、後世の歴史家たちから創作を疑われてしまうだろうしね。


「ま、仕方ないから、あとは吟遊詩人に聞くとしよう」


 そう言ってから、今度こそ僕はウォロコ付近に陣を構える、帝国軍前線から離れた。そして、二度と戻る事はなかった……。



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