第106話 ダンジョンの主の力

 ●○●


 丸三日かけて、パティパティアトンネルに戻ってくる。スタルヌートがいれば、一日で走破できただろうが、まぁない物ねだりをしても仕方がない。あれはあれで目立つから、帝国軍に見つかるリスクが高くなるしね。

 ひとまずはここで待機して、グラからの連絡を待とう。本当に帝国が動くなら、グラからなんらかの連絡が入るはずだ。


「流石に人が多いな……」


 帝国からベルトルッチ平野に抜ける唯一の道なので、仕方がないのだが、流石にこの場所で人目をしのぐのは苦労する。まぁ、その辺りは幻術の十八番でもあるので、問題ないといえば問題ないが。


「うん? なんか騒がしいな……」


 ウカの、管理人室兼研究室まで近付いた僕は、帝国兵らの奇妙な様子と物音に首を傾げる。いくらなんでも、人が集中しすぎている。これでは、通行もままならないだろう。ガツガツという、重い音が響いているのも気になる。

 人垣に紛れるようにして、音の発生源に近付けば、彼らは研究室の扉を、破城鎚のような丸太で破壊しようと試みていた。


「ああ、なるほど……。ウカさえ確保できれば、トンネルの維持は問題ないと考えたわけだ」


 いやまぁ、できるけどね。きちんと、帝国側がウカを受け入れられれば、という注釈は付くが。

 なにより、こんな強引な手段でその身柄を押さえたとしても、それで言いなりになるかな? あの子、まだ生まれたばかりの子供も同然だから、そういう好き嫌いにはすごいうるさいぞ?


「……まぁ、そんな未来は訪れないんだから、考えるだけ無駄か」


 僕は【僕は私エインセル】を構えると、彼らを一網打尽にすべく詠唱する。数と暴力で、一人の女性をいいようにしようとする、帝国兵らの下卑た表情にも、うんざりしていたところだ。


「【死を想えメメントモリ】」


 一人残らず、DPになってくれ。


 ●○●


「はぁ……」


 アタシはため息を吐く。扉の外には、人間の群れ。

 なにがどうしてこうなったのか知らないし、興味もないが、これはアタシの創造主たちが想定していた事態だ。そして、この状況に陥った際の対処法も、既に伝えられている。

 すなわち、できるだけ抵抗したのち、一切の証拠を残さぬように自爆する。

 まったく、短い生涯だった。とはいえ、これが天命だったと思えば、それ程悪くないものだった。少なくとも、アタシのカバーである奴隷などに生まれるよりかは、随分と恵まれていたといえる。


「少なくとも、十分に美味しいものが食べられたしねぇ……」


 主らがナベニ侵攻戦に忙殺されている間も、帝国から運ばれてくる物資で、アタシは飢えとは無縁の生活を送れた。普通の人間の二倍以上の食料を必要とするこの体でもだ。

 そう考えれば、人間などに生まれて、空きっ腹を抱えて生き、生涯一度も美味しいものなど食べられないよりは、よっぽどマシだったと断言できる。人間の八割くらいは、そんな者らで占められているのだから。

 ドシンドシンと、扉が軋む。ダンジョンにおいて、壁と違って扉は不壊ではない。DPを循環させる必要がある為、一定以上の硬度を持たせられないのだ。勿論、普通の木製扉とは比べるべくもない強度ではあるが。

 しかし、そんな扉ももう限界だろう。扉の向こうには、二、三〇〇程度の人間。こいつらがなにを求めているのかは、短い付き合いながら良くわかっている。

 短期的には、アタシの持っている装具と、この体。要は、物欲と性欲の発散だ。そして、長期的にはアタシの持つダンジョンに関する技術と知識だ。

 これは、当初から創造主たちが懸念していた事項であり、幾重にも対策が施されている。なんとなれば、アタシはダンジョンを譲られた経験はあるが、一から作った事はない。

 ダンジョンを維持する方法そのものは知っているが、そこに手を加えて意のままに操るというのは、また別の技能である。そして、リスク管理を徹底している主たちは、それをアタシに教えるような迂闊な真似はしないだろう。

 アタシの生命力の総量的に、ダンジョンを拓く為の消耗は、かなり命懸けだというのもわかる。これもまた、アタシが創造主たちを裏切った際の保険だろう。こんな脆弱な体で、どうして主を裏切れようというのか。

 それも、扉の向こうの無能どもを頼るなど、間抜けもいいところだ。


「とはいえ、そんな無能どもにアタシは殺されるんだけれどねぇ……――えっ?」


 瞬間、ずぞぞぞと背筋を悪寒が駆けのぼった。唐突に、体の中に肉食の昆虫でも生まれたかのような、強烈な違和感と嫌悪感。

 私は、無意味と思って切っていた扉の向こうの光景へと、意識を向ける。そこにいたのは、我が創造主の片割れ――小さな体に、この世のすべての悪意を詰め込んだのではないかと錯覚する程の、ドス黒いオーラを纏う少年――ショーン・ハリューだった。

 いまのいままで、自分のダンジョンに侵入された事にも気付いていなかった事に、絶句する。これは、アタシがダンジョンの扱いに慣れていないせいか、それとも主の潜伏技能が卓抜しているからか……。

 彼の周囲には黒い粒子が雪のように降り積もり、地面からは漆黒の骸骨がその半身を覗かせている。多くの帝国兵が、急激な状況の変化に対応しきれず、動揺からか早くも死者が生じ始めている。

 この時点で、既に勝敗など見るまでもないと思うのだが、ショーンは躊躇わずに詠唱を紡ぐ。


「『暮夜ぼやに生まれ、深更しんこうを謳歌し、残夜に死せ』」


 朗々と、その鈴を転がすような声音は、しかしどこか不吉で、まるで死を告げる鐘のように響いた。


「【モート】」


 見なきゃ良かった……。

 一つわかった事は、アタシの主はものの数十秒で三〇〇程度の人間など、皆殺しにできる存在だったという事だ。逃走できた帝国兵は、僅か二名。自分のダンジョン内ではなくても、これだけの事をやってのけるのだ。

 ダンジョンコア様ってのは、心底おっかない相手だと実感できた。人間と天秤にかけて、どうしてそれが向こうに傾くというのか……。


 ●○●


「うん? どうしたウカ?」

「い、いや……。その……」


 帝国兵を鏖殺した僕を、迎え入れたウカの様子がおかしい。顔も青いし、どこか怯えた様子だ。

 ああ、そうか。覚悟はしていても、人間たちに集団で襲われたという状況は、十分に恐怖に値する。僕だって、初めて本格的に大人数がダンジョンに侵入してきたときにはかなり焦った。いまだに、あのモッフォとかいう六級冒険者の顔が、脳裏をチラつく事があるくらいだ。

 ウカの相対していた敵なんて、その比じゃない数と武装だったのだから、怯えるのも当然だろう。だが、悪いがあまり時間はない。


「ウカ、悪いけどさっさと死体をして欲しい。このままだと、僕らの行動が問題になる惧れがある」


 とはいえ、ここまで堂々とこちらを襲撃してきた以上は、帝国が僕らを裏切ったというのは、まず間違いない。なので、死体処理の一番の理由は事態の発覚と僕らの居場所を、できる限り秘匿する意味合いが強い。


「は、はい。えっと、DPに変換して吸収すればいいん、だよね……?」


 うーん……。やはり、どこかいつもの、飄々としたウカの態度と比べると、ぎこちない。まぁ、すぐに折り合いは付くだろうと結論付け、僕は彼女に頷き返す。

 あるいは、初めて目の当たりにする殺人に戸惑っているのかも知れない。そう考えると、死と触れ合う最初の機会が【モート】というのは、流石に教育に悪かったような……。

 諸々の事態が終息したのちには、ウカに対して死生観や道徳に関しての、聞き取りをすべきかもしれない。その内容次第では、今後の教育方針を多少変える必要があるかも知れない。


「――終わりました」


 やがて、静かな口調でウカが報告をくれる。これで、死体からは完全にDPを抜かれ、戦利品とでも呼ぶべき、諸々の品々は保管庫にまとめられているはずだ。まぁ、保管こそそのものは投棄していくしかないので、有機物はどうにもならないな。無機物なら、あとから回収して再利用する事もあるかも知れないけど。



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