第10話 悪役令嬢
「おっと」
僕の顔面めがけて飛んできたダガーを、シュマさんがあっさりと掴み取る。カチャンと、硬質なもの同士がぶつかる音が、文字通り目と鼻の先で鳴った。
ぶっちゃけ、あの速度なら僕でも避けられたし、なんなら当たってもダメージはほぼ皆無だっただろうが、ここはシュマさんにお礼を言うべきだろう。
「ありがとうございます。助かりました」
「ん。お前ら、なにすんの?」
僕にはたった一音で頷いたシュマさんが、常は無機質な声音に、存分に怒りを籠めて怒鳴り付ける。実力たしかな上級冒険者の威圧に、二人の少女はビクりと肩を震わせた。
「こ、これは……」
言い淀むメイドさんに、シュマさんは剣呑な目つきのまま続ける。
「シュマたちは、鬼どもの群れに襲われてたお前らを助けた。ノックもしたけど、返答がなかった。もしかしたら、中で大怪我してたり、最悪死んでる可能性もあるからドアを開けて確認した。そこに一切、疚しい点はない。そんなシュマたちに対する礼が、コレ?」
そう言ってダガーをひらひらと見せ付ける。
まぁ、たしかに酷い話だが、ぶっちゃけ襲撃されて気を失っていたところに、僕という見知らぬ男が下着を覗いていたら、混乱してしまうのも仕方がないと思う。だからってナイフ投げられる謂われはないが、高貴な身分のご令嬢の貞操事情に疑義が生じるような状況であれば、まぁ、わからないでもないかなぁと思っている。僕があのハーパンのような下着を見たせいで、赤スカートのお嬢様が一生独り身でいるか、歳の見合わないヒヒジジイの元にしか嫁ぎ先がなくなる、とかだったら流石に悪いし……。
「……で、どうすんの?」
まぁ、シュマさんのこれも、礼金の吊り上げ交渉だと思う事にしよう。本来の礼金に、慰謝料と口止め料をプラスで貰えれば、僕もシュマさんもいまの一件を今後誰にも話さないと、契約するのはやぶさかではない。その辺りが落としどころだろう。
「…………」
メイドさんが青い顔でブルブルと震えているが、当然彼女に謝礼金プラスαの裁量などできないのだろう。僕とシュマさんの視線が、自然と後ろのお嬢様に向かう。
「…………」
そちらはメイドさんとは違い、その気の強そうな顔には一切の悪びれた様子もなく、先程シュマさんにビビっていた名残は微塵も残っていない。富の象徴である金の長髪を縦に巻き、見るからに彼女の強い意思を伝えてくれる
一目で高級品とわかる、赤を基調としたドレスに身を包み、適度に宝飾で着飾った、文字通り絵に描いたような貴族令嬢がそこにいた。
彼女は僕に向き直ると、キッとその鋭い眼差しで睨み付けてくる。
「まずはあなたが謝罪しなさい。わたくしの下着を覗いた事に対し、地べたに額を擦りつけて許しを乞うのです!!」
あ、ダメだ。コイツめんど臭い。
「シュマさん、帰りましょう。関わり合いになるだけ、時間の無駄です」
「……そだね」
「なんですって!? ちょっとあなた! このベアトリーチェ・カルロ・カルラ・フォン・エウドクシアの名において、いまの発言の分も重ねて謝罪を命じます!!」
うわ。エウドクシアって……。女性でその姓ってのがもう、かなり縁起が悪い。いや、これは完全に偏見だけどさ。でも、ファーストネームが完全にスティヴァーレ語なんだよ、この人……。
いやまぁ、ヴァンダリズムの語源になったヴァンダル族のローマ略奪の原因は、あくまでもマクシムスであり、史跡や文明の破壊はガイセリック王に責がある事で、リキニア・エウドクシア后に直接的な非があったわけではない。
だがしかし、やはりヴァンダル族をローマに呼び寄せた直接的な原因として、僕にとっては不吉なイメージしかない名である。彼女が不幸なのは認めるが、然りとてローマの文化と財産と人命のことごとくを懸けてまで、マクシムスを打倒するだけの意味はあったのか? 結果としてマクシムスは死に、ありとあらゆる金銀財宝は略奪され、教会は燃やされ、多くの職人とローマ市民が奴隷としてカルタゴに攫われる結果となったローマ略奪が、彼女たちの不幸な身の上を救う代価として適当だったのか? そして最終的に、本当に彼女たちは幸せになれたのか?
ローマ略奪について勉強した際に、僕が思ったのは『お前も為政者なら、自分の行動がどういう結果を招くのか、きちんと考えてから行動しろ』というものだった。一般人がバカをしても、周囲から指差して笑われるだけで済むが、権力を持つ者の愚行は多くの人に影響を及ぼすのだ。
その点、マクシムスは自分の行動がどのように波及するのかは、きちんと理解をしていたのだろう。だからこそ、自ら暗殺した皇帝の后を妻にしたのだろうし。対してエウドクシアは、自分の行動がどのような結果に結びつくのか、わかっていなかった節がある。その結果が悪名高いローマ略奪である。
そんなエウドクシア皇后と同じ姓の女性が、眼前にいる。完全に偏見であるが、正直さっきの言動も含めて、本当にもう関わり合いになりたくない。こいつは所謂、厄種と呼ばれる人種だと判断した。
僕らはさっさと馬車から離れると、シュマさんが倒した豚鬼の元に戻る。豚鬼の背には、僕が突き立てた【鎧鮫】がまだ残っていた。結構深々と刺さってしまって、シュマさんの力では引き抜けなかったらしい。
「豚鬼の革は、防具には不向きだけど柔軟性に富んでてて、頑丈。長靴や作業用エプロン、傷が少ないものは作業ズボンとして重宝する」
もうあの令嬢の事など綺麗さっぱり忘れたとばかりに、豚鬼の素材について説明してくれるシュマさん。ちなみに、豚鬼の肉は、鬼系モンスターの常として非常に不味く、人の食用としては不向きらしい。
ただし、放置すると野犬や他のモンスターの餌になるので、処分はきっちりしないといけない。
「そうなんですね。じゃあ、この皮も結構な値になりますか?」
「ん。ここまで傷が少なければ、冒険者ギルドも大喜びで査定してくれる。今夜の食事は豪華にできる」
ふんすと、自慢げに胸を張るシュマさんに苦笑して、僕は背から斧を引き抜いた。背側からだが、皮剥ぎの際にはここからナイフを入れるのがいいだろう。もう一体の方は、セオリー通りに胸から裂くようで、そちらはシュマさんが作業していた。
「いえ、今夜のお食事は我が家でご馳走しますよ。もう準備してますので、是非とも召し上がっていってください」
「ん。ご相伴に預かる」
シュマさんがフッと、口元に笑みを浮かべる。数瞬後には消えてしまうような幽かな表情の変化だったが、グラで慣れている僕はそれを見逃さなかった。本当に美味しい食事が好きらしい。
なお、三〇分くらいかけて豚鬼の皮を剥いでいる間、後ろで誰かがギャーギャー騒いでいたが、本当に面倒だったので割愛する。
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