第59話 ダンジョン三層の攻防

 ●○●


 小鬼集団の攻撃を『閉傘隊』が受け止めてから約十分。六本の傘の内の一つが、パキパキと音をたて始める。


「ヘイタの四番が崩れる! 周囲の連中は準備しろッ!! ヘイタは焦るんじゃねぇぞ! きちんとフォローはしてやる!! 聞こえたなテメェら!?」


 その様子を確認したチッチが、声が裏返るのも無視して前線に注意を喚起する。その檄を受けて、周囲の冒険者らもまた傘のうしろで警戒する。

 いかに、敵の衝撃力を受け流し、減衰させる形状である傘といえど、当然結界としての限界はある。当初チッチが懸念した通り、【結界術】というものはやはり、マジックアイテムとしての運用が非常に難しい魔力の理なのだ。

 程なく、パキリという甲高い音を立てた直後に、結界製の槍は乾いた氷が砕けるような音で光の粒子になる。


「穴を塞げ! 慌てんな!! 想定してた事態だろうがッ!! オタオタしてんじゃねぇぞ!? ヘイタ! お前はチコと交代しろ!」


 途端に、傘の抜けた穴に向かって小鬼たちの軍勢が押し寄せる。だが、チッチが号令を発するよりも前に、冒険者たちは挙って雪崩れ込む小鬼に対処する。そこは兵と兵の鬩ぎ合いであり、本来の防衛線の様相を呈していた。

 傘が欠けた穴から一気に防衛線が崩壊するという、最悪の想定は回避されたが、それなりの混戦が繰り広げられていた。また、結界を破壊された『閉傘隊』の男――おそらくヘイタ――は、チッチの指示に不満そうな態度を見せたが、この状況で問答をするような愚は犯さなかったようだ。

 ただ、その表情にはありありと「俺はまだやれる」という戦意が滾っていた。その様子を、チッチもまた苦笑して眺めている。

 なんであれ、戦意が旺盛であるのはいい事だ。それが、最前線で敵を押し留めていた盾役タンクの態度ともなれば、周囲の人間は自軍の優位を感じるようだ。

 そして人間という生き物は、戦意というものが集団戦闘能力に大きく影響を及ぼす。そういう点は、同じ社会性を有する生き物である、蟻や蜂とは違った特性といえるだろう。彼らは末端から頂点に至るまで、完全に社会の為の歯車として作用する生き物であり、自己保身というプログラムが備わっているとはとても思えない。当然、士気などというものが戦闘の趨勢を左右する事はない。

 四層の虫系を創造するショーンも、この辺りの生態プログラムに悪戦苦闘させられていた。


「前方退避ぃ!! 方角『固定』! 座標『安定!』 結界張ります! いきますッ! 天晴れ――【閉傘サニーデイ】!」


 ヘイタの抜けた穴に小柄な少女――チコが飛び込み、むくつけき男たちの間で『ロケットパンチの構え』をとってから、甲高い声を張りあげた。周囲は小鬼と冒険者が乱戦を繰り広げているものの、彼女の側には六、七級と思しきベテラン冒険者たちが控えている。近付く小鬼は鎧袖一触で葬られ、彼女の周囲の安全を担保していた。

 また、前方に注意喚起をしたものの、むしろ小鬼らに戦線を押し込まれている現状では、無用の行為であった。ただし、常にそうであるとは限らぬ為に『閉傘隊』には、最初の一撃以外で『閉傘サニーデイ』を起動する際には、必ず前方に注意を発するよう厳命されている。


「持ち直しましたね……」

「そうねぇ。ただ、やっぱり多少は怪我人も出ているみたいね。死者は……、いないといいけど……」


 私の言葉にクロッカスが頷きつつ、心配そうに呟いた。前線にいるのが全員中級冒険者であれば、この程度の襲撃で死者を心配する必要もないのだが、残念ながら現在前線で戦っている者の多くが下級冒険者である。その為、死傷者が発生している可能性は十分にあった。

 無論、残念なのはあくまでも冒険者視点であり、私としてはむしろ喜ばしい事態であるのだが、流石にそれを表に出さない程度の分別は身に付けている。

 チコが傘の穴を埋めた事で、戦線は再び硬直した。傘のうしろに入り込んだ小鬼もそれなりにいるが、完全に多勢に無勢であり、現状は一体につき数人に囲まれているような状態だ。殲滅は時間の問題だろう。

 この小鬼に『閉傘隊』を攻撃されない限り、この戦線はまず盤石といえる。勿論、隙間から這入り込んでくる小鬼の対処も必要になり、徐々にマンパワーを消費しつつあるのは否めない。ただしそれは、小鬼集団も同じである。


「ねぇ、小鬼連中の統率が乱れつつあるように思えるんだけど……」


 クロッカスの言葉に、私は思案顔で応答する。


「たしかに……。指揮官たる、新種の小鬼の数が足りなくなりつつあるのでは?」

「そうかも知れないわね。一応、チッチに報告してくるわ」

「ええ、よしなに。連中が及び腰になった瞬間が、我々の攻めどきです。頃合いを見誤らぬよう、また敵の誘いに乗らぬよう、注意も添えて報告してきてください」

「フフ。はぁい。流石の冷静沈着さね。いくら新種の小鬼といえど、そこまでの知能はないでしょうに」

「希望的観測に命をベットできる程、私はギャンブラーではありません。我らの手元にある情報カードには、状況を楽観視材料はなかったはずですが?」

「それはそうね。戦況が優位だから、ちょっと気を抜いちゃったかしら?」


 クスクスと笑いながらそう言って、チッチの元まで駆けていくクロッカスを見送りつつ嘆息する。

 死者が発生しているかも知れない状況で、あそこまで気楽そうに振る舞うのは、果たして冒険者としてどういう評価を受けるものか。不謹慎として白眼視されるのか、はたまた戦場での立ち居振る舞いとしては安心材料といえるのか……。やはり、人間らしく振る舞うというのは、難しい……。


「もう一つ崩れますね」


 クロッカスがいなくなった事で、周囲にはラスタとランだけになり、誰にともなくこぼした言葉に、答えが返ってくる事もなくなった。直後、さらに傘の一つが落ちる。

 チッチが号令し、冒険者どもが即座に動き、交代要員が新たな傘を張る。先程の焼き直しのように戦線を維持するが、やはりというべきか、傘の後ろに這入り込んだ小鬼の排除に多少手こずっているようだ。さらにこれで、万全の魔力を有す『閉傘隊』の交代要員もいなくなった。

 ここからは、お互いに消耗戦である。小鬼の物量がこちらの対処能力に勝るか、はたまた冒険者が耐え切るか……。

 実際、小鬼集団はその半数が既に魔石と霧、ついでに受肉体を残して死亡している。クロッカスの見立て通り、この損害は看過し得ないものであろう。

 対する冒険者側も、『閉傘隊』の魔力が払底しているわけではないが、十全でもない。また、下級冒険者らによるモンスターの処理能力は、削られつつある。予備戦力である掃討部隊に属していた七、六級冒険者も、前線の維持に回りつつある。


「戦況は、ややこちらに優位といったところですか。ただ、なにかがあれば覆る程度の差でしかありませんね。敵の衝撃力を最後まで受け切れるか否かが、勝負の分かれ目ですか……。ここで敵陣に、遠隔で一撃入れられれば決定的なのですが……」


 私に要請がかかれば、確実に敵陣を崩壊させ得る決定打を見舞える。だが、チッチは戦況が決定的になるまで、私という戦力を温存したいようだ。この好機にあっても、私を呼ばないのだから徹底している。

 理由は単純で、もしも敗色が濃厚となった際には、私と【アントス】の力が必要になるからだ。それまでに魔力を消耗させてしまうのは、いざというときの自分たちの命脈を断つ行為だと考えているのだ。

……なんともまぁ、人間らしい手堅いやり口だ。己の力で掴んだ好機なのだから、少しくらい迂闊なところを見せれば良いものを……。

 流石にショーンが、私たちのダンジョンを攻略させる者として、選んだだけの事はある。実際問題、このダンジョンが生まれたばかりの私のダンジョンで、三層の最奥に私が待ち受けていたとすると、チッチは実に厄介な指揮者だっただろう。これを客観視できているのは、ややもすると地上生命を侮り、過小評価しがちなダンジョンコアとしては、実に有意義で有益であった。

 状況を整えたショーンには、改めて感謝と敬意を表したいところである。流石は我が弟。


「お姉様、私が前線に赴いて――」

「私はあなたの姉ではありません」


 ランの言葉をぴしゃりと遮る。まったく、この人間は何度同じ注意を私にさせるのか……。いや、最近わかってきたのだが、むしろこの者は、私にこうして注意されるのを望んでいる節がある。

 都合良く使えるのはいいのだが、ハッキリ言って勝手に姉と呼ぶのだけはいただけない。ショーンに言わせれば、この呼び方も義理の姉妹のようなもので、決してショーンの立場に取って替わろうとしているわけではないそうだが、やはり嫌なものは嫌なのだ。私を姉と呼んでいいのは、この世にただ一人なのだと言いたい。

 いずれショーンが結婚したなら、私を義姉と呼ぶ存在も増えるのだから、いまの内から慣れておいた方がいいと言われたが、やはりそれは忸怩たるものがあるのだ。


「失礼しました! 我が主人様、僭越ながらこのしもべが、前線に赴き、ご主人様に代わって敵に【魔術】を叩き込んできてもよろしいでしょうか? グラ様と弟君のご威光を示すに、丁度いい機会かと!」

「ふむ……」


 まぁ、たしかに、現状はショーンの戦術を十全に発揮できているとは、とても言えない。現状の押し合い圧し合いは、こちら側の遠距離攻撃手段の欠如が大きい。むしろ小鬼らの方が、スリングでの投石攻撃をしてきている。

 その攻撃は、傘の形状と洞窟という戦場のおかげで、ほぼ無力化されている。そうでなければ、兜を厭う事の多い冒険者にとっては、致命傷にもなりかねない攻撃であった。

 ここでランを送り込めば、ショーンの戦術思想を体現できるだろうか……? いや、無理だ。


「あなた一人の処理能力では焼石に水です。せめて五、六人程度の術師がいれば、この狭い空間なら十分な威力になったのでしょうが……」


 魔術師というのは、国というマクロな視点においてすらも貴重な存在である。単純な戦力としてもそうだが、社会全体を下支えするインフラそのものと言い換えてもいい役割を担っている。

 その為、基本的に魔術師の社会的地位は高く、国は【術士爵】という貴族籍を用意してまで、その才を保護している。まぁ、我ら姉弟のように、束縛を厭うてあえて在野に留まる変人も、それなりにいるのだが……。

 その為、冒険者という危険かつ身入りも然して多くない界隈には――とりわけ下級冒険者の中には、魔術師は少ない。その数少ない魔術師を『閉傘隊』として使ってしまっている為、現状はパンチ力に欠けるのだ。

 そんな戦場に、ランを単独で投入しても意味がない。やはりショーンの言う通り、無理なく【閉傘サニーデイ】を戦力化するならば、魔力に依らない遠距離攻撃手段を確立しておくのが無難だろう。あるいは、魔術師以外を用いたマジックアイテムによる遠距離攻撃か……。

 魔石の消費量を思えば、素直に投石でもさせた方が効率的だろう。


「グラ様!」


 私がそう結論付けたところで、ラスタが焦燥と歓喜の滲む声で呼びかけてくる。その視線の先は、真っ直ぐ敵陣を捉えていた。


「敵小鬼集団の一部が、潰走を始めましたっ!」

「そのようですね……」


 指揮を担っていたゴブリンの死亡数が部隊維持の限界点を超え、生き残りの小鬼を統率できなくなったのだろう。いくつかの集団が、なおも統率を取り戻そうとギャアギャアがなり立てているものの、一度崩れた集団を立て直すのは人間にすら難しい。

 集団の末端から、吹き散らされる砂のように崩れていくのが、俯瞰しているこちらからは見て取れた。この辺りの行動は、人間の軍が敗北するときに似ている。

 以前、サイタンの近郊で起こった人間同士の戦で、瓦解した帝国軍の様子と重ねつつ、崩れる小鬼集団の様子を見遣る。あそこからの立て直しは、人間ならともかく、ゴブリンには不可能だろう。

 つまり、攻めどきといいう事だ。


「さて、それでは私たちの出番です。逆襲の用意をなさい」

「「はいっ!」」


 戦況が決定的になれば、いくらチッチといえど私を出し惜しみはしない。私と【アントス】を主軸とした掃討部隊を突入させ、敵の数を大きく削りにかかる。組織が維持できない程に痛打を見舞えれば、三層全体の戦況が大きくこちらに有利になるだろう。

 それがわかっているのか、冒険者たちの熱意が一気に高まる。その戦意を肌で感じ、ダンジョンコアとしての本能的危機感が警鐘を鳴らす。

 大丈夫だ……。私はいま、彼らの味方としてここにいる。私たちは、彼らの攻略を跳ね除ける算段を、十分に講じている。そう己を鼓舞して、私は声を張る。人間らしく。


「掃討部隊、前線に向かいます! 一匹でも多く小鬼を屠り、この層での優位を確立しますよ!!」


 私の声に、冒険者どもの戦意旺盛な鬨の声があがる。勝利を確信した、忌々しい勝鬨であった。



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