第66話 命乞い

「私の為に、人を殺してください」


 いつにないグラの言い回し。


「私を助けると思って、人を食らってください」


 さらに紡がれる、らしくない言葉のチョイスに、僕は戸惑う。そして――


「私の為に、私を生かす為に、私を思って、どうか人間をやめてください」


 それはまさに、懇願だった。別の言い方をするなら、命乞いだ。

 己の死を避ける為に、僕に僕の望まぬ選択を強いてくる。そうすれば、僕がその願いを拒めないという事を知っているのだ。

 それはまるで、僕がこれから選択する結果には、僕の責任は皆無であり、僕の意思ではないと強調するかのような行い。自分が強要する事によって、少しでも僕の心を軽くしようとしてくれている。

 なにを――


「私を一人にしないでください。私を死なせないでください。私を助けてください」


 なおも沈黙し続けた僕に焦ったのか、それまで以上にあからさまに言い募るグラ。そこには、それまではかろうじて残っていた彼女らしさなど残っておらず、なりふり構わず懇願するような卑屈さがあった。


「私を――」


 さらに言いかけた言葉に応じず、僕はベッドから立ち上がる。机までは……ちょっと遠いな。仕方がないので、僕はベッドから降りると、すぐ近くの床へと蹲る。


「な、に、を――」


 思いっきり頭を振り上げると、躊躇せず額を床に叩きつけた。以前グラも同じような事を言っていたが、なるほどたしかにそれ程ダメージがない。己に対する罰としては、あまりに温い。


「――言わせてんだ、僕はぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!?」


 それでも僕は、ガツンガツンと地面を打つ。床が罅割れるが、構うものか。ダンジョンコアの体が、硬すぎるのが悪い。

 あの誇り高いグラに、命乞い紛いの言動を取らせて、なにが弟だ!? なにが守るだ!? なにが死にたいだッ!?


 甘ったれんな!!


 彼女のアイデンティティを曲げてまで、お前は自分の自己満足に死にたいのか? んなわけがない。彼女を彼女のまま生かしたい。彼女を彼女のままに、ダンジョンコアとして、神に至らせたい。それこそが、僕の望みであったはずだ。

 その過程で死にたいというのは、僕の勝手な都合であり、必ずしも必要ではない要素だ。

 そうしなければ彼女が彼女でいられないというのなら、そんな不要なものはさっさと切り捨てろ。ただの未練、ただの妄執、ただの自己嫌悪、ただの自殺願望、ただの自己満足だ。捨ててしまえ。

 僕がいなければ、グラが生きていけないと言われた時点で、それはもう王手飛車角取りなのだ。王将グラを守りたいなら、飛車自殺願望は諦めるしかない。角行自己嫌悪すらも、もはや諦めざるを得ないのだと認めろ。本当に大切なものを守りたいなら、それ以外を切り捨てる事は選択肢の一つだ。


 頑丈なはずのダンジョンの床が砕け、地面が露になる。柔らかい地面に頭を打ち付けても、自戒にならない。そうも思ったのだが、どうせならこの行為を少しでも有益にしようと思い、頭で地面を掘る。

 頭の先に生命力のドリルを作るイメージで、地面を掘る。地面を掘る。地面を掘る。生命力はかなり消費するが、これがダンジョンコアの本能なのか、深く深く潜っていくと、どこか安心する自分がいる。


 なるほど、人間をやめろというのは、実に的確な表現だ。

 人間を殺す事に躊躇せず、人間を食らう事に躊躇せず、そこに一切の嫌悪感も罪悪感も抱かないというのは、もはや人間の精神ではないだろう。所謂サイコパスというヤツだが、それもまた人間の肉体と脳を持っているからこそ、そう呼ばれる。

 僕は違う。体は元々ダンジョンコアで、たまに依代に移るような、人間とはあまりにも違う。精神とて、こうしてグラと二心同体状態になると、彼女の心と混じり合うような代物。

 これでは、あまりにも違い過ぎてサイコパスなどとは呼べないだろう。そのまま、化け物と呼ぶべきだ。


――いいだろう。僕は、化け物になる。


 これまでとは明確に違う、人を人とも思わぬ化け物になろう。人を食ったような、人を食らう化け物になろう。人の皮を被った化け物となろう。


「――ショーンッ!?」


 グラの声に、僕は頭を打ち付けるのをやめた。いや、これまでも聞こえてはいたのだ。それでも、自分が許せず、この行為をやめられなかった。覚悟が決まり、ようやくグラの声に応える余裕ができたのだ。


「グラ……――」


 僕の姉の名を呼ぶ。

 地球に残してきた姉ではない。母でも父でももう一人の姉でも両祖父母でもない。そういった、もはや戻れない家族に対する未練を断ち切る事から、まずは始めよう。この世界において、僕の唯一の寄る辺である姉の名を呼ぶ。


「……なんでしょう?」


 恐る恐るという調子で、グラが応じる。僕がこれから話す言葉が、これからの僕らにとって重要なものだとわかっているのだろう。その通りだ。僕はいま、ここで、これまでの僕と、決別する。

 どっちつかずな化け物から、明確に化け物のほうへと歩み寄った化け物へと。


「――僕は、人間をやめる……」


 僕は人を殺す。僕は人を食らう。もはやそれに躊躇しない。後悔もしない。葛藤もしない。……できるだけ。

 そう決意を込めて、僕は言葉を紡いだ。

 いずれは、笑いながら殺せるようにもなるだろう。どころか、殺してもなにも感じないようになるかも知れない。それでいい。そうなろう。

 僕は化け物だ。

 グラと同じ、化け物だ。

 化け物に、なろう。

 狭い竪穴の中で放った言葉は、すぐに湿った地面へと吸い込まれ、なににも響かず消えてしまう。それでも、僕のなかで聞こえた「ありがとう」という言葉は、いつまでも消えず、いつかの冒険者が放った言葉を拭い去っていった。

 きっと、あとしばらくしたら、忘れられるだろう……。



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