第65話 グラの願い

 思っていた十倍交渉が楽に片付いた為、僕らは再びベッドへ潜り込み、休養をとる。ぶっちゃけ、ある程度精神を休ませたいま、感覚的にはもう万全といえるのだが、この休養はグラを宥めるという意味もあるので続行である。


「……ショーン」

「どうした?」


 ベッドの布団に包まっていると、小さな声でグラが語りかけてきた。


「……もう、危ない真似はやめてください……」


 常の凛としたものではない、弱々しい彼女の声に、僕はなにも言えなかった。


「……本来、ダンジョンコアは孤独なものです。孤独に生まれ、孤独に生き、孤独に死ぬ。徹底的に、一個で完成された存在です。なので、こんな考えに至る私は、ダンジョンコアとしては異質なのでしょう……」


 そう前置きしてから、たっぷり十秒は言い淀んだグラが、その本心を吐露する。


「……それでも私は、あなたを失ったら、生きていけません……。あなたが依代を破壊され、戻ってきたときから、私の心には、安堵とともに拭えぬ恐怖が刻まれています……。あなたを、失うかも知れないという恐怖が……」


 彼女の声はどんどんか細くなっていき、僅かに震えているように思えた。


「安堵も、あなたが戻ってきてくれた事より、あなたを失わなかった事に対するものが大きい……。ですからどうか、もう二度と危ない真似はしないでください。もしも危険を冒す必要があるなら、私もそれを背負います。相手がダンジョンコアであったとしても、……躊躇なく壊します……」


……それは、僕と同じ同族殺しに堕ちるという事だろうか?

 それはダメだ。彼女に、いまの僕のような思いを抱かせてはいけない。罪悪感と自己嫌悪で死にたくなるような、そんな思いをさせてはいけない。それでは、彼女を守った事にはならない。


「グラ、それはダメだ。ダンジョンコアは僕が殺す」


 固い決意を込めてそう言ったのだが、グラからは否定の言葉が返される。


「いいえ。私だけが安穏と守られ、そのせいでショーンが傷付く方が、よっぽど辛い。それならば、敵は私の手で葬ります」

「ダメだ。同族を殺し、同族を食らうなんてのは、外道の振る舞いだ。グラのような高潔な者が手を染めていい行いじゃない」


 グラを、僕のようなクズ野郎と同じステージにあげてはいけない。もはや僕の罪は贖えない程に深いのだ。同じものを、彼女に背負わせるなど酷だ。

 しかし、グラは納得しない。


「私は、その外道をショーンに強いているのです。どうして私だけが、己が手を汚さずにいられましょう?」

「僕は必要に迫られていたから、仕方なくそうした。グラは——」

「——私とて同じ事です。ショーンを失う危険を冒すくらいならば、私は同族を殺し、食らいます。私を守る為に、あなたがそうしたように」


 それは——……ダメだろう。

 どうしたらわかってくれるんだ。こんなに、辛くて、苦しくて、悲しくて、虚しい思いを、彼女にだけはして欲しくないというのに。たまに、己がガラス細工の人形だったら良かったのにと思い、それを思いっ切り床に叩きつけられたらと妄想するような、歪んだ存在になって欲しくないのに。


「ダメだ……。同族を殺し、食らうなんて真似、どちらかがしなければならないなら、僕がやるべきだ。これは、それくらい罪深い行為なんだ……」

「私にとって、人間は他種族です。生まれたその瞬間から、食らう為の食物としてしか見ていませんでした。私にとって、人間を食らうという行いはただの食事であり、当然の行為でした」

「そうだね。人間が牛豚を殺し、食らう事と同じだ」


 だから僕は、彼女が人間を殺し、食らう事を嫌悪しない。


「ですが、こうして同族を倒さねばならない状況に至り、ようやく少しだけあなたの思いが理解できました。これまで、辛い役目を任せ切りにしてしまい、申し訳ありませんでした……」


 心底申し訳なさそうな、グラの声が痛い。胸がジクジクする。


「もっとあなたの身になっていれば、人間を殺して食らうのは、私が担うべき役目でした。ですから今回は、私が覚悟を決めるべきなのです。これまでショーンに押し付けていた責任を、負うべきなのです」


 グラの声に、いつもの凛としたものが戻ってくる。そこに込められた覚悟に、なにも言えなくなってしまった。


「——私は、バスガルのダンジョンコアを破壊し、食らいます」


 決然とした、同族殺しの宣言。あまりにも凛然としたその言葉に、僕は痛々しさすら覚える。

 対バスガルにおいて、僕は彼女がそんな思いをしなくてすむように、いろいろと手を尽くしてきたというのに……。人間を誘導し、討伐を丸投げするのも、依代で向こうに乗り込んだのも、できる限りグラの手を汚させない為だった。

 だというのに……。


「なのでショーン。お願いです」


 彼女は、再び弱々しい声音で僕に言う。


「もう、人間を殺す事を、悩まないでください。人間を食らう事に、躊躇しないでください。人間を、やめてください」


 そのあまりに悲痛な願いは、僕を心配する姉としてのものだ。僕が自分を責め、葛藤し、卑下する事をやめ、己を赦し、共に人外として生きていこうという。

 同族としてではなく、化け物として、牛豚を殺すように、人間を殺し、魚鳥を食うように、人間を食らって欲しいという、化け物からの懇願。


 共に生きて欲しいという、姉からの願い。


 応え、答えてあげたいと思ったのに、やはりその行為は罪深いと思ってしまう自分がいた。即座に応諾できなかったのは、僕の心はまだまだ人間すぎるからだ。


『人間だとでも思ってんのかッ!?』


 いつかの冒険者の言葉が、また聞こえた気がした。たまに思い出しては、自己嫌悪を促す声だ。

 この言葉に葛藤する事自体が、僕自身が自分をまだどこかで人間として捉えている証拠なのだろう。あるいは、人間でありたいという未練かも知れない。

 しかし、いつまでも迷ってなんていられない事もわかっている。いつかは吹っ切らねばと思うのに、いつまで経っても踏ん切りが付かない。

 口籠もる僕に、なおもグラは言葉を続けた。



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