第109話 本気の相手

「エルナトさん!」

「おお、マス。無事だったか。そんで、いよいよダンジョンの主がご登場ってか? お前らがハリュー姉弟だな?」


 エルナトさんはこちらを一瞥すると、ニヤリと笑みを浮かべてから、すぐにハリュー姉弟に向き直る。


「その通りです。初めまして【天剣】のエルナトさん」


 まるで、顔を合わせたから挨拶をしたとでも言わんばかりの、ここがギルドや表通りとなんら遜色のない場所といったショーン・ハリューの態度が、なんとも言えず気持ちが悪い。


「おお、初めましてだな【白昼夢の悪魔】と、そっちが【陽炎の天使】か。まぁ、たしかにツラは悪くねぇ。隣に、おんなじ顔がなけりゃな」


 しかしエルナトさんは、そんな姉弟の態度には一切構わず、むしろ不敵に笑いながら対応する。

 そうだ。俺も、こいつらの底知れない雰囲気に呑まれてはいけない。気を張れ。相手は【白昼夢の悪魔】だ。心を乱されれば、幻術の餌食だ。


「お前らの作ったダンジョン紛いは、そこそこ面白かったぜ。まぁ、流石に本物のダンジョン並み、とまではいかねえがな。少なくとも、上級冒険者には通用しねぇ代物だったぜ」

「恐縮です。おっしゃる通り、我らのダンジョンは、まだまだ上級冒険者を迎え撃つには、力不足だったようです。その点は、認めなければなりません。忸怩たるものがありますがね」


 言葉とは裏腹に、ショーン・ハリューは軽く肩をすくめる。対して、姉のグラ・ハリューは、その美貌を僅かに翳らせる。どうやら、自慢の工房を攻略された点に、思う所があるようだ。


「で? そこに転がってる、マジもんのモンスターについては、どう弁明するんだ? あんなもの、町中に連れ込んだなんて知られれば、お前ら二人とも絞首刑だぜ?」


 エルナトさんが、それまでの軽い調子を一瞬で消し去り、真剣な面持ちで姉弟に問う。

 そう。なによりも問題なのが、あの水ムカデというモンスターだ。町中でモンスターを飼っているなど、本当に軍が動きかねない重大事だ。無論、馴致したモンスターを、労働力として用いている場合はある。だがそれも、調教できるモンスターを、許可を得て使役しているに過ぎない。

 見た事もない、見るからに凶悪で凶暴なモンスターを、己の施設の中だからといって、勝手に飼育していいなどという話にはならない。まして、どこから連れてきたという問題もあるのだ。

 真剣な表情でエルナトさんに詰められても、ショーン・ハリューはへらへらとした態度を崩さない。


「どう、と問われましてもね。そもそもそれをあなた方に答える義理はありませんし、なにより、我が家の地下にモンスターがいるだなんて荒唐無稽な話、あるわけがないでしょう?」

「ほう? つまり、そんなものはないし、それを見た者も、って意味か?」

「それ以外の意味に捉えられたとしたら、申し訳ない。もっと端的に申し述べるべきでした。改めまして――」


 わざとらしくコホンと咳ばらいをしてから、ショーン・ハリューは悪意たっぷり笑顔を浮かべて、エルナトさんを見下すように、改めて口を開く。


「――盗賊風情に詳らかにしてやるような情報はなしなどない。無駄口なんぞ叩かず、さっさと死んで口を噤め」


 その悪意に、エルナトさんは笑う。それは、凶悪に表情を歪ませ、原始的な威嚇としての笑顔。敵意と殺意を、見る者にありありと伝える凶相だった。


「上等ォ……」


 しゅらりと剣を抜き、それを構えるエルナトさん。その白刃にて、目にも留まらぬ速さと、あの頑丈な水ムカデを切り裂くような切れ味の、英雄級の剣技を放つ事を、俺は既に知っている。上級冒険者という、人類最高峰の戦力に相応しい実力であると、知っている。

 故に俺は確信している。エルナトさんならば、ショーン・ハリューになど負けないと。


「ショーン。その者の相手は私だと述べました」


 だが、そんな二人の間に割って入ったのは、またもグラ・ハリューだった。彼女はその長大なハルバードを地面に突き立てると、エルナトさんと同じように剣を抜いた。

 まさかあの女、長柄の武器があるのに、わざわざ剣で戦うつもりか? あの【天剣】に?

 信じられない思いで見つめる先で、まるで場の空気も読まずにスタスタとエルナトさんに歩み寄っていくグラ・ハリュー。そんな彼女の背を、仕方ないと見送ってショーン・ハリューはこちらを向いた。


「ま、仕方ないね。グラのご指名とあっちゃ、僕が横取りするわけにもいかない。良かったね、マスさん。君の相手はグラから僕になった。明確に敵が弱くなったんだ。喜びなよ」

「おい! あんだけの啖呵を切っといて、姉の背中に隠れるつもりか!?」


 エルナトさんの怒声にも、もはやショーン・ハリューは振り向きもせずに、手を振って応える。


「グラが倒す相手を指名するなんて初めての事でね。僕としても、彼女の要望を叶えられる数少ない機会なんだ。君の命なんぞよりも、僕はグラのお願いの方が大事なんだから、仕方がないだろう? グラが満足いくまで戦って、それから死んでくれ」

「ハン。姉がボロボロにされるのを見てぇってぇなら、構わねえぞ。そのあとで、お前を殺すだけだ」

「ハハハ。面白い冗談だ」


 エルナトさんの挑発にもまるで取り合わず、ショーン・ハリューは姉の勝利を一切疑っていないような口振りだった。あるいは、俺がエルナトさんの勝利を疑わないのと同様、ショーン・ハリューもまた姉のグラ・ハリューが絶対に負けないと信じているのかも知れない。

 ならば、どちらが正しいのか。生き残って確認してやろうじゃねえか。


「さて、じゃあ始めようか。とはいえ、流石にこの戦況では君に不利だ」


 そう言って、ショーン・ハリューは己の腰にあった手斧を一丁、こちらに投げてきた。足元の岩肌に突き立つ斧に、思わず後退る。それと同時に、屈辱と怒りが俺の頭を埋め尽くした。


「舐めてんのか!? 俺はお前を殺すつもりなんだぞ!? そんな俺が不利だから武器を渡すだと!」


 ふざけんな。俺はダガーを投擲すると、その斧を手に取って駆け出した。


「ぶっ殺す!!」


 当たり前のようにもう一丁の斧でダガーを弾いたショーン・ハリューに向けて、斧を振るう。だが、俺のそんな攻撃も、ショーン・ハリューに顔面目掛けて杖を突き出された事で、中断を余儀なくされる。

 仰け反った隙を庇うように、バックステップで距離を取る。ダガーを弾いた方の斧で、隙だらけの胴体を叩き割られては堪らない。


「舐める、というのとは少し違う」


 ショーン・ハリューは滔々と語る。


「僕にとって君たちは、弱い者であられると困る。この戦いが、弱い者いじめになってしまうと困る」


 ショーン・ハリューは朗々と語る。


「君たちは、僕にとって殺すべき敵であってくれなくては、困るんだ。善良であっては困るし、弱すぎても困る。殺さなくてもいいような、余計な感情を挟んでしまうような状況でも困る。要は、泥棒は泥棒らしく死んでくれという、どこまでも僕の自己都合を優先したまでだ。それともう一つ」


 ショーン・ハリューはそこで一度言葉を区切り、今度は訥々と語る。


「僕もまぁ、己の嗜好というものを、すこしは理解してきた。なんというか僕は、本気で僕に向かってくるヤツが好きなようだ。相手も本気で、僕も本気になれる状況が、どうやら好きなようだ。バーサーカーの気持なんか、わからないと思っていたんだけれどねぇ……。己が人でなしだと気付き、思い知ってからは、なんであれ相手が本気である事が、まぁ、なんだ、僕もなりふり構わず、余事に意識を割かなくてもいい……違うな。余事に意識を割けれない状況が、好きになったとでも言えば正しい、のかな……?」


 己の心理状態を確認しつつ、たどたどしく呟くショーン・ハリューは、そこでまっすぐに俺を見た。蓋のように閉じられたその瞳の奥から、すこしだけ滲む色。

 それは……なんだろう。わずかな間、その瞳から覗いたその感情は、もしかしたら期待だったのかも知れない。


「だからさ、マス。君は化け物を倒す、冒険譚の英雄のような気持ちで僕を殺せ。僕は食事をするように、君を殺そう」



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