第108話 地下工房と地下空洞

「それにしても驚いた」


 ゲラッシ伯爵が最低限の旅装を整える為に退出した執務室に、セイブンとこっちが取り残されていた。しばし流れた沈黙ののちに、セイブンはやたらと感心するように、こっちを見ながら呟いた。


「なにが?」

「いや、まさかお前が、貴族相手にあんなにまともな応対ができるようになっていようとはな。使者にお前を遣わせたと聞いたときは、流石にショーンさんの人選ミスだと思ったが、よもやここまでとは……」


 なにやら感慨深そうな表情で、目の前で起こった出来事を噛みしめるように頷くセイブン。なんだかその姿が、まるで子の成長を見守るババアのようで、いちいち癇に障る。いやまぁ、たしかに以前のこっちであれば、貴族に伝言を伝える以外は、黙っていた方がマシな礼儀しか持ち合わせなかったが。


「ハリュー家の家令殿には、いずれ改めて礼を言わねばなるまい。あのシッケスが、己の意見を――それも相手を非難するような意見を、どこまでも礼儀を守りつつ奏上できるとはな」

「ま、こっちもハリュー家で遊んでいるんじゃないってワケよ。ホント、ザカリーのマナー指導ってキビシーんだから」


 こっちもィエイトも、あの家令にどれだけ叱られた事か。


「それにお前、あんな事を思っていたんだな」

「あんな事?」

「ショーンさんについて、町について、その空気について、だ」

「ま、バカはバカなりに考えてんのよ」


 こっちの思想の根幹にあるのは、戦闘民族として戦士を尊ぶ慣習だ。こればかりが正しいとも思っていないし、ゲラッシ伯が述べたように、力というものを有しない民の側からの視点が欠如しているといわれれば、たしかにその通りでしかない。

 だがまぁ、そんなものを考慮してやる道理もなければ、考慮した結果があのザマなら考えも配慮も必要ないとは思う。まぁこれも、力を望めば得られるダークエルフの傲慢な考え方と言われれば、それまでだが。


「たしかに、我々は悪手を打った。中規模ダンジョンのバスガルの討伐、それに加えて【崩食説】という、新たなダンジョンの手管の周知徹底を優先するあまりに、アルタンの町の民衆への対応が等閑になってしまった」

「さっきゲラッシ伯も言ってたっしょ。それはギルドの職掌からズレているって。冒険者ギルドは、あくまでもモンスターとダンジョンに対処する機関であって、行政代行サービスじゃない。代官と、その上に立っていたゲラッシ伯の仕事なんさ」


 なにかを悔やむセイブンに、手をひらひらと振って応える。

 実際問題、ギルドが『ハリュー姉弟は英雄だ』と大々的に宣伝していれば、現状も変わったかも知れないというのは事実だ。が、それをしなかったのを落ち度というのは、流石に酷というものだ。冒険者ギルドは別に、そういう事をする場所ではない。

 とどのつまり、誰も彼もが忙しすぎたのが悪い。ギルドはギルドで忙しく、ゲラッシ伯はゲラッシ伯で、常から忙しい。代官や騎士とて、町中に新たに生まれたダンジョンとその対処、討伐後の諸々の対処で忙しく、ショーン・ハリューの名声というものを保護する方向に意識が向かなかったのだ。


「ショーン君もまた、己の功績を誇示する事に無頓着過ぎたのも、悪いといえば悪いんだよねぇ。自分はあのダンジョンを討伐するのに、これだけ役に立った。お前らが生きているのは自分のお陰だって、言外に伝える努力を怠っちゃった……」

「それを悪いと言えるわけがない……。ショーンさんは、冒険者としての名声に、然程も興味を抱いていない。なんとなれば、商人とのつながりは別の形で既に得てしまっている」

「だよねぇ……」


 本来、功を挙げた冒険者は、己の功績を誇示する。否。しなければならない。それが商人や有力者たちからの信用になり、新たな仕事につながるからだ。冒険者ギルドとしても、民からの名声を得ている冒険者を蔑ろにはできない。

 だが、セイブンも述べたように、ショーン君は生計たつきの道として冒険者を選んだ訳ではない。ダンジョンを研究するのに丁度いいから、冒険者としての資格を得たのだ。そして、上級冒険者になった以上、これ以上その階級を上げるつもりもない。

 まぁ、ウチにも似たような、ノインだのジューだのがいるからわかるが、こういう連中はとにかく、己の功名というものに無頓着だ。眼前の興味のあるものにしか目が向かず、その他の諸々は、必要があれば他人に任せ、必要がないと判断すれば本当に微塵の興味すら示さない。


「いまはどうか知らんけどね、たぶん代官や騎士たちだって、悪意があってショーン君を放置したわけじゃないと思うよ」

「まぁ、そうだろうな。彼らも彼らで、一連の騒動で手が回らなかったというのが実情だろう。だからといって、結果が結果なので擁護は……」

「できないよねぇ……」


 とりもなおさず、責任者が責任を取るしか、現状を収める方法はないのだ。そうでなければ、責任を転嫁するしかない。代官たちはそれをしようとして、更なる失敗を招いてしまったというだけだ。


「すまない、待たせた」


 丁度いい話の区切りで、旅装のゲラッシ伯が執務室に戻ってくる。

 このあとは、セイブンの宿に行って、いくつかの荷物を回収すれば、その足で出発である。恐らくは、件の【扇動者】の手の者からの襲撃があるだろうが、まぁ、セイブンがいればまず間違いなくゲラッシ伯の身の安全は守られるだろう。ここにセイブンがいたのは、ある意味では僥倖だった。

 問題は、アルタンの町の騒動が、どこまで進んでいるか、だ。ショーン君なら大丈夫だとは思うが……、町ごと火の海に沈んでいて、そのど真ん中でショーン君とグラちゃんが、楽しそうに研究をしている、なんて事態はあり得そうで笑えない。


 それも自業自得と肩をすくめ、こっちはセイブンと一緒にゲラッシ伯のあとを追った。


 ●○●


 水に流された俺が辿り着いた地底の世界は、いくつかの太く黒い柱が林立する地下空間だった。天井までは何十メートルもある。地下だというのに、あまりにも頭上の空間が広い。

 その柱は、俺の近くにも立っている。足元には水溜りが広がり、柱の側面には開いた扉からいまも水が流れている。

 どうやら、俺が掴んだ手掛かりは、水を排出する為のレバーだったようだ。その排水口こそが、先へ進む扉だったのだろう。

 本来なら、水ムカデを倒したあとにあの穴を探索して見付けるべき仕掛けだったのだろう。それを、偶然とはいえ俺が咄嗟に作動させてしまったという訳だ。

 水に流されたどさくさで、俺は水ムカデの拘束からは解放されていた。その水ムカデも、少し離れた場所の地面で、ビチビチと蠢いている。

 完全に水から離れた事で、水ムカデも焦っているようだ。どこかに水がないかと、岩肌を跳ねながら探している様子が窺えるが、見渡す限りの暗い地下空間には、ヤツが入れるような深い水が溜まっているような場所はない。


「しかし、わかっていた事だが、デケェな……」


 水ムカデの全長は、エルナトさんの倒したものと比べてもはるかに大きい。全長は二〇メートルくらいはあるのではなかろうか。まぁ、それはあの空中交叉路にまで届いた時点でわかっていた事ではあるが、こうして実際に目にしても信じられん。

 俺はそう思いつつも、既に水ムカデは自由に動けるだけの水場を失い、あとは乾いて死ぬのを待つだけだ。とどめを刺すにも、もう少し弱ってからの方が安全だろう。そう判断し、俺は周囲を確認する。

 これまでの姉弟の工房とは、明らかに趣の違う空間。足場こそ綺麗に均されているものの、岩肌も剥き出しな周囲の景色。確実に人の手が加わっていたこれまでの工房とは違い、まるで大坑道とでも呼ぶべき空間だ。所々に壁を照らすような強い照明のマジックアイテムが用意されているおかげで、完全に暗闇に囚われるという事はないものの、それでも薄暗く他にいる生き物はあの水ムカデだけという空間は、不気味の一言である。

 どうして姉弟は、町の下にこんな巨大な穴を掘っているのか……。


「どうしてここに、こんな穴を掘っているのか、疑問ですか?」


 背後から聞こえた、鈴を転がすようなあどけない声音に、ぞわりと背筋が粟立った。慌てて振り向いた先には、鎧姿のショーン・ハリューとグラ・ハリュー。本物のハリュー姉弟の姿。ショーン・ハリューは腰の後ろに二丁の手斧と、手には件の嘴付きの杖。グラ・ハリューは長大な斧槍と、腰には反りの深い南方のシミターとかいう剣に近いものが携えられている。

 どう見ても戦闘態勢だ。とはいえ、それも当然だろう。こちらは完全に、こいつらの財貨を奪いに来ているのだ。ここにきて、なぁなぁの対応などお互いにできまい。

 そう、お互いに。


「まぁ、理由は単純。実は、この場所には宝石の鉱脈がありましてね。それを掘っていたらこんなに広くなってしまったんですよ」

「宝石?」

「ええ、こういう宝石なんですけどね」


 ショーン・ハリューはそう言って、どこからか色とりどりの宝石を取り出すと、ザラザラと岩場に放ってしまう。まるで、そこになんの価値も見出していないと言わんばかりに。傷が付くのも構わずに。

 俺は、ついついその宝石に目が向いてしまったが、姉弟を視界から外す愚を覚り、即座に二人に視線を戻す。そんな俺の行動の意図を観察して、ショーン・ハリューはクスクスと笑う。神経に障る笑い方だ。まるで俺を、下等生物だとでも思っているような。


「それで正解です。僕らから意識を逸らしていたら、いまここに残っていたのは残像だったでしょう」

「残像?」

「ええ、僕の使うオリジナルの幻術の一つです。まぁ、然して難しいものでもありませんから、似たようなオリジナルを編み出している幻術師もいるでしょうが」


 そこになんの不利益もないと言わんばかりのショーン・ハリューは、勿体ぶるそぶりすら見せずに、己の手札を開示する。油断や傲慢の類かと思ったが、即座に違うと覚る。そのような余念に捉われている者の目ではない。

 こちらを見下すように細められている茶色の瞳の奥からは、冷え冷えとした敵意が窺えた。それは、奥にある感情をあえて閉ざした、蓋のようなものだ。

 こちらに、己の抱く感情という情報を与えまいとする、敵対者の瞳だ。

 いいだろう。それでいい。俺は、お前の敵だ。こちらが悪いのは重々承知の上で、それでも仲間を殺された逆恨み、晴らさでおくべきか。

 俺は、流される間に失ってしまった短剣の代わりに、鎧の背に隠していた、柄の短いダガーに手を伸ばす。普段は投げるものだが、この状況でこのダガーまで失うのは得策ではない。これ以外の武器はもはや、投げ矢ダートや、武器というよりも道具と呼ぶべきものしか残っていないのだから。

 こんな装備で、ハリュー姉弟を二人とも相手にするなど、正気の沙汰ではないだろう。だが、構わない。勝てなくてもいい。

 カス。チーキャン。アラタ。仲間たちの顔を思い出して、俺は眼前の敵を睨む。

 わかっている。お宝狙いでハリュー邸に侵入した、俺たちが悪い。十人にこの状況を説明すれば、十人がそう答えるだろう。

 だが、それでも、仲間を殺された恨みは別だ。そこに道理が通らずとも、感情というものは抑えが利かない。


「…………」

「…………」


 俺とショーン・ハリューが、互いに見つめ合う。いや、睨み合う。片方はニコニコと、感情の窺えない笑顔を浮かべているが、そこに穏やかさなど欠片もない。そして、俺自身は俺の表情などわからないが、きっと険しい顔でショーン・ハリューを睨み返しているはずだ。


「ふむ。それでは、私はあちらを相手にしましょうか」


 そんな俺たち二人の睨み合いに、横から口を挟んだのは、グラ・ハリューだった。その視線は、俺とあの水ムカデが排出された柱に向いていた。その、化け物の口腔を思わせる、真っ暗な排水口から、のそりと現れたのはエルナトさんだった。



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