第107話 シッケスの思い
襲撃を予測できている現状を看過し、実際に襲撃が起こってなお対処を怠ったうえで、ショーン君たちに責任を負わせる行為は、為政者としての責任の放棄に等しい。だがむべなるかな、アルタンの町を任されている代官と騎士には、この件に対する危機感が欠如している。
このサイタンの町に向かう前に顔を合わせた、アルタンの町の代官と、衛兵を統括するゲラッシ伯の騎士は、己の職掌は町の行政の維持と、主要施設の保護であり、一つの家の興亡など知った事ではないというスタンスだった。
それはたしかに、彼らの任せられている職分に則しているといえるだろう。しかし、あまりにも近視眼的な行為としか思えない。要は短慮であり、無責任である。
「むぅ……」
その、あまりにも攻撃的でありながら、文句を付けようのない内容の手紙に、ゲラッシ伯が唸る。当然だ。これに文句を付けるなら、どれだけ言葉を修飾したところで、それはつまり『面倒だからお前が死ね』という内容にしかならない。
どのような法も、領主も、個人の自力救済を否定はできない。これを否定するという事は、完全なる生存権の侵害であり、それではもはや、ただの宣戦布告でしかない。
無論、その自力救済が、他者の権利を侵害するような濫用のされ方をしない限りにおいては、という注釈は付くが。
「ゲラッシ伯。蓋し本件に関する事態の一因は、伯の派遣した代官と騎士の、事態の解決に対する積極性の欠如に基づくものであると、及ばずながら愚考いたします」
「ふむ。つまり、ワシの采配の不備である、と?」
多少不快そうにしながらも、納得の色を浮かべるゲラッシ伯。今回の一件に際し、こっちとセイブンという、一級冒険者の目がある前で、責任のすべてを『ハリュー姉弟』というスケープゴートに投げかけるのは不可能だ。であれば、どこか別の場所に責任を投げなければならない。
こっちはそれを、代官と騎士にしてはどうかと、提案しているのだ。だが当然、そいつらはゲラッシ伯の配下であり、責任の一端は伯にも波及するだろう。しかし、ゲラッシ伯自身も、それが一番穏便に事態が収まる手段だと思っているようだ。
まぁ、この対応は全部、ショーン君の受け売りだが……。
「ゲラッシ伯だけの責任とは申せません。ギルドもまた、冒険者の統括に失敗しました。ハリュー家もまた、周囲の住人たちとの協調関係を築く事に失敗しました。ですが、本来それらを取り纏め、裁定するのが代官の仕事。いざ事が起これば、法を犯した側を取り締まる事が、衛兵の仕事。それを怠った代官と騎士は、相応の責任を取って然るべきかと存じます」
「道理である」
ゲラッシ伯は重々しく頷き、言葉を続ける。
「なにより、ギルドは本来町の中よりも、外の安全を守るが役目。胡乱な冒険者が罪を犯すなど常の事。それを取り締まるは、町を管理する代官と騎士の役目ぞ。ハリュー家に至っては周囲との関係などという、軽度の諸問題程度の話でしかない。それを治められずして、なんの代官か。なんの騎士か」
ゲラッシ伯の、恥じるような、嘆くような口調に、こっちとセイブンは頷いた。本来、ハリュー姉弟――というか、ショーン君に向けられる理不尽な非難など、許すべきではなかったのだ。バスガル討伐の後、ハッキリと討伐に貢献したハリュー姉弟を称賛し、英雄として扱うべきだったのだ。
そうすれば、不心得な住人などが生まれる土壌など育たなかったはずだ。あるいは、家族を喪った者が不平不満を抱いたとて、それを公言すれば非難されるような環境を作れたはずなのだ。
あの子は、バスガルというダンジョンの主から、多くの住民を守ったのであって、殺したのはそのダンジョンの主なのだ。ショーン君はその仇を討ってくれた恩人ではないか。それは称賛されこそすれ、非難されるような行為ではない。ハッキリと、偉業といっていいまでの成果である。
あの、巨大なダンジョンの主を前に、圧倒的不利にあったこっちたちを逃がし、一人で残ったショーン君の献身に、唾を吐く真似。こっちはそれが、心底許せない。
聞けば、こっちたちを逃がしたのも、一人でダンジョンの主に相対したのも、自滅前提の幻術に、仲間を巻き込まない為だったと言うではないか。実際、駆け付けたこっちたちは、ダンジョンで力尽きるように倒れたショーン君を目の当たりにしている。
あそこまでの献身を見せた英雄を蔑ろにして、なにが無辜だ? なにが民だ!? お前らはただの厚顔無恥な暴徒だ。恥を知らない、ただの無知蒙昧だ!! 脅威に抗う事すらせず、ただただ与えられた平穏を貪ってなお、それを与えた戦士を蔑ろにする愚者であり、下衆である。
この事態が始まってからこっち、こっちの恋愛感情とは別に、戦友の名を貶める真似に、戦闘民族ダークエルフとしての怒りはどこまでも高まっている。昂っている。
「……シッケス殿よ。そう睨むな。ワシとて、件の姉弟に対する扱いには、思うところがないではない」
「私は明白に、思うところがございます。ハッキリと申さば、ィエイトと私の役割が逆であれば、暴徒どもは私の槍の露として消えていたでしょう。戦友の名を辱めるは、我らにとっては宣戦布告に等しき愚行。伯の領民の暴挙は、寛恕し難き無礼と存じます」
民の為に戦った戦士に対して罵声を浴びせる行為。そんなもの、許されるものか。許されざる無思慮であり、不条理であり、下劣である。
敗北したならまだわかる。それでも、戦えぬ民は、そんな己の代わりに血を流した戦士を労わり、感謝すべきだとは思うが、流石に戦闘民族に
しかし、ショーン君は勝ったのだ。その命を賭して、あの強大なる中規模ダンジョンの主を、相討ちに近い形とはいえ、単独で打倒せしめたのだ。それは本来、セイブン並みの英雄と認められてもいい偉業である。
「……そうだな。ワシも一人の地方領主として、戦士としては、同感である。だが、家族を喪った者らの、やり場のない思いはある程度考慮してやるべきであろう」
疲れたようなゲラッシ伯の言葉に、こっちは一度頷く。だが、それは同意を意味しない。
「その捌け口になるべきは、政を為す側であり、一領民に過ぎないショーン・ハリューでは、断じてありません。その意味でも、伯の遣わせた代官は、無責任であると言わざるを得ません」
「……そうだな」
再度、同じ言葉で頷くゲラッシ伯。しかし、今度こそ続く言葉はなかった。
ショーン君本人が、積極的に否定せず、その非難を受け入れてしまったのも、良くなかったといえば良くなかった。彼は彼なりに、多くの住人を死なせてしまった事に責任を感じている節があった。当人がそれを悔いるのは仕方がない。それができたかどうかではなく、できなかった己の無力さ嘆くのは、どうしたって止められるものではない。
こっちも、山賊に殺されている人間を目の当たりにすると、同種の無力感を覚える。そう。できたかどうかではなく、できなかった事を考えてしまうのだ。
だが、そこにあぐらをかいて、代官が住人を諫めないというのは違う。それが、今回の件を燃え上がらせた原因といえる。住人たちに、ショーン・ハリューという人物は叩いてもいいのだ、と錯覚させたのが、なによりも愚かだ。
「その件に関しては、我々【
セイブンが、眉間に深く皺を寄せ、血を吐くように言葉を紡ぐ。たしかに、セイブンが本気で相手をすれば、あのズメウの早期打倒は可能だっただろう。だがそれには、形振り構わぬ攻勢が必要であり、後々のダンジョンの主との戦闘時における戦力の不足をも意味する行為だった。まぁ、結局ショーン君が一人で相対したせいで必要なかったわけだが、それは結果論に過ぎない。
「住人たちにとって【
ゲラッシ伯の声には力がない。それを悪手と知っていなお、そう行動してしまった代官に対して、ある程度理解を示している。例え己が、代官の立場であっても、同じようにショーン君を身代わりに、槍玉に上げたかも知れない、と。
そう、ショーン君が無力な存在であれば、彼はスケープゴートとしては最適だったのだろう。
まぁ、これにはダークエルフにも似たようなところはあるので、あまり人間だけを責められない。結局、コミュニティを築くだけの社会性を有する生き物は、責任を押し付け合い、一番弱い者にお鉢が回るようにできているのかも知れない。虫唾が走る思想ではあるが、それこそが人間であり、社会性を有する知性体の醜悪な本性なのかも知れない。
「恐らくは、自分が叩かれたくなかったのでしょうが、あまりにも拙劣としか言いようがありません。その責を、ショーン・ハリューに担わせてしまった結果が、住人たちの暴動紛いの動きです。そこに【扇動者】なる要素が介在したとて、それも含めて治めるのが、代官と騎士の職分だったはずです」
こっちのセリフに、ゲラッシ伯は心底落胆するようにため息を吐く。
スケープゴートにした相手が、羊どころか竜だった。この件が大事になってしまっている最大の理由が、代官たちがショーン・ハリューという存在を、過小評価していた点にある。
たしかにショーン君は、姉であるグラちゃんと見比べれば、多少見劣りする魔術師に思えるかも知れない。だがその実、その才は並の魔術師の及ぶところではない。
あのバスガルのダンジョンで、モンスターに包囲されながら、たった一日で高度な属性術である【
そして、幻術という一点に限れば、その才能はグラちゃんをもしのぐ。たとえグラちゃんが、同じ幻術を使えたとしても、ショーン君程上手くは扱えないだろう。特に、人間に対しては……。
「ゲラッシ伯、ご裁可を。この件、いかな収め方をなさいます?」
セイブンの追及に、ゲラッシ伯はその眉根に深い皺を刻みつつ、重々しく答えた。
「即座に、ワシ自らアルタンに赴き、裁定をくだす。悪いが、すぐに動ける騎士の中から峠を越えてもいい者を選出せねばならぬ。山脈のこちら側にも、最低限の戦力と、それを指揮できるだけの者を残さねばならんからの。動くのはごく少数の騎士のみ。
「「は」」
ゲラッシ伯の願いに、こっちとセイブンは同時に頭を垂れた。
恐らくは、事態はこれで、ショーン君たちの不利には働かないだろう。問題は、この騒動がどこまで波及するのかだが……、流石にそこまでは責任を持てない。それこそ、為政者たちの責任だよね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます