第106話 第二王国領邦、王冠領、ゲラッシ伯爵領

 〈10〉


 こっちは伯爵領の領主にして、この第二王国において最も過酷な封土を与えられたといっても過言ではない相手、ゲラッシ伯爵を前に頭を垂れていた。隣には、同じくこのタイミングで伯爵を訪ねていたセイブンもいる。

 このクソ忙しいときに、どこで油を売っているのかと思えば、どうやら伯爵を動かしてアルタンの【扇動者】を討滅しようと考えていたようだ。その考えは真っ当だが、長くショーン君の側でその動向を窺っていた身としては、遅きに失したといわざるを得ない。

 この、いつも偉そうなおっさんが、歳若いショーン君に振り回されている姿は、なんとも言えない愉悦を覚えるが、流石にこればかりは、コイツが悪いとは言えない。ショーン君がトラブルメーカー過ぎるのが悪い。

 こっちも、パティパティアの峠道――帝国、第二王国、スティヴァーレ圏での呼び方が様々ありすぎて、いつしか端的にそう呼ばれるようになった峠道にて、恐らくはそんな【扇動者】たちの手の者と思われる連中に襲われた。無論、もう全員生きてはいないが、奴らは確実にこちらの動きを警戒している。


「……それ程までに悪化するか……」


 バケツ一杯の苦虫でも噛み潰したかのような伯爵のセリフ。髪には白いものが混じり始め、顔にもその人生において味わった苦悩を滲ませる皺が幾筋も刻まれている伯爵の、苦渋に満ちた言葉。それは、進むも苦難、退くも艱難、逃げるは至難の先行きに対する懊悩のセリフだったのだろう。


「は。もはや、此度の騒動の裏に、他国の間諜がいるは明らかでございます。このサイタンの町は、第二王国との間にパティパティアを挟む、いわば飛び地のような町。後方を扼すアルタンに意図的に起こされた騒乱の火種に、鞴で火を送る者が現れるのは必定。下手をすれば、騒動にこれまで関わっていない国も、そこに加わる惧れすらあるでしょう」

「……そうか……」


 セイブンの言葉に、老齢のゲラッシ伯は力なく頷いた。

 そう。なにもかも、この飛び地のように第二王国領邦となっている、伯爵領の立地が悪い。この土地を切り取った第二王国ですら、ハッキリ言ってこんな場所、得たくもなかったというのが本音だろう。

 だが、それは許されなかった。なにが許さないかといえば、当時の遊牧民包囲網とでも呼ぶべき、国同士の同盟が許さなかったのだ。

 周辺国が連合して、略奪やダンジョン対策への非協力姿勢を示す遊牧民を包囲した連合だが、その大義名分は第二王国の前身たる聖ボゥルタン王国滅亡であった。その後継を名乗り、また、南東の異教徒たちとの防波堤として、大きな力を有していた聖ボゥルタン王国の早急な代替を欲していた北大陸及び神聖教圏の諸国にとっては、第二王国の存在は必要不可欠ともいえた。

 だが、だからといってパティパティア山脈を隔てた北西に無関心でいられては困る。なにより、遊牧民に対する包囲網が築かれた最大の要因が、聖ボゥルタンであったのだ。

 結果、第二王国は各国の同盟の証として、現在のゲラッシ伯爵領となっている、シタタンやサイタンの町を取り戻した。まったくもって、欲しくもない山脈越しの領土であったが、それこそが食糧生産能力という意味では拙い遊牧民族に対する包囲網の力となったのは間違いない。

 だがやはり長期的に見れば、その維持に苦慮するハメになった。なんといっても、パティパティア山脈の向こうにある土地だ。繋いでいるのはか細い峠道のみで、アクセスを考えるなら確実に第二王国よりも帝国の方が治めやすい。

 それは王冠領としても同じだ。いや、それでも王冠領としては、かつての伯爵が統治するのであれば、協力態勢を築く事はできただろう。王冠領はその結束によって、古くからパティパティア以西との防壁として立ってきた歴史がある。だがしかし、件の遊牧民の侵攻の折り、その防壁が破られ、かつてのゲラッシ伯爵の血は途絶えてしまった。いまは王国から遣わされた、新しい伯爵――つまりは眼前のゲラッシ伯爵だが――が治めているものの、そこにかつての王冠領としての強い紐帯は存在しない。なにせ、このゲラッシ伯は王冠領会議に出席する権利が認められてもいないのだ。これでは連帯もクソもない。

 現在のゲラッシ伯爵領の政治的危うさは、まさにそこにある。

 立地的には帝国に近すぎ、政治的には第二王国に近すぎ、歴史的には王冠領に属している。そしてそのどれもから、敵視とまではいえないものの、潜在的な裏切り者のように見られてしまっているという、あまりにも難しい立場なのだ。

 帝国にとっては、第二王国そのものには敵対はしない――できないものの、パティパティア山脈のこちら側にありながら、帝国領ではない伯爵領に対して、明確に目のうえのたん瘤扱いである。無論、そんなゲラッシ伯爵領が有するスパイス街道の重要性は理解しているし、手を出せば第二王国そのものとの戦になるのは明白な為、表向きには友好関係を築いているが、その忿懣は確実にゲラッシ伯へと向いているだろう。

 危う過ぎる熾火。周囲に燃えやすい枯れ草が散らばった、燎原に放置された燻ぶる燃えさし。それがこの、ゲラッシ伯爵領という土地の宿痾である。


「して、その方の用向きは?」


 セイブンから諸々の事情を聞き終えた老騎士ゲラッシ伯が、こっちを見て訊ねてくる。こんなおじいちゃんに、さらに心労を負わせるのは気が引けるが、それでも領主に虚偽の報告をする訳にはいかない。当人も、それを望まないだろうし、領地の為にもならない。

 それでも気が重くなるのを感じつつ、こっちは言葉を紡ぐ。


「は。その【扇動者】が率いる集団の内の一部、冒険者派閥が先走り、ハリュー邸に侵入を試みました。これはわたくしがこの地に遣わされる前の情報ですので、賊に加担する冒険者どもは既にハリュー邸に侵入を果たしているでしょう」

「なんだと!?」


 驚きを表情に表したのは、ゲラッシ伯ではなくセイブンだった。セイブンとこっちは、このサイタンの町の城塞にて顔を合わせ、セイブンのアポに便乗する形でゲラッシ伯に報告をする機会をねだった為、ほとんど情報共有ができていなかった。そのあまりにも急な展開に、状況把握ができていなかったゲラッシ伯よりも、セイブンの方が驚いたのだ。

 これはショーン君のトラブル体質が招いた悲劇といえるだろう。こっちも、セイブンも、そして冒険者ギルドや町の代官たち、果ては原因たるショーン君自身でさえ、ここまでの急展開は予想していなかった。


「これは件のハリュー姉弟、弟のショーン・ハリューの調べた情報と、それに基づく予測ですが、確証があるものではありません。それでも、報告してよろしいでしょうか?」

「うむ。聞かせろ」

「は。【扇動者】たちには、恐らく【扇動者】派閥と冒険者派閥が存在し、その目的が違います。冒険者派閥の者は、ハリュー姉弟の有する宝物が目当てですが【扇動者】派閥の目的は、ゲラッシ伯爵領の混乱です。その目的意識の違いから、そして派閥同士の主導権の握り合いから、逸った者が現れたようです」

「ハリュー姉弟の宝物か……」


 ゲラッシ伯は重々しい口調で天井を仰ぐ。あの、光の角度で色が変わるガラス細工は、たしかに見る者が見れば目の色を変え、それこそいくらでも金貨を積み上げて欲しがるような代物だ。なにせ、現在ハリュー姉弟以外に作れる者がいないのだ。希少価値という点では、現存しているあらゆる宝物に優越する。

 今後あの姉弟が同じガラス細工を作らなければ、そしてその技術の模倣ができなければ、その価値はいやが上にも高まり続けるだろう。なにより厄介なのが、その事を作り手たるハリュー姉弟――というよりも、ショーン君が、明確に自覚している点にある。

 まず作らないだろう。作ったとしても、その数は今後十を超えまい。その希少価値を下げるような愚行は、彼らにとってもマイナスなのだから。

 ゲラッシ伯は、あのガラス細工を得られた事は喜ばしいと思っているのだろう。当たり前だ。無から得られたお宝であり、濡れ手に粟なのだから。だが、その価値を考えれば、自分の手には余るとも考えている。だからこそ、それを王家に献上するという選択をしたのだろう。

 だがこの場合問題なのは、そのような繋がりが、敵側に露見してしまった点である。ハリュー姉弟は領主に宝物を献上し、良好な関係を築いた。その情報は【扇動者】やそれに協力する冒険者たちの目論見を、根底から破綻させる危惧を孕んでいた。


「ゲラッシ伯、こちらを。ハリュー家当主、ショーン・ハリューよりのお手紙です」


 こっちはこのタイミングで、ゲラッシ伯にショーン君より託された手紙を手渡す。正直、内容はあまり現状に即しているとは言い難いものだ。なにせ、襲撃発覚よりも前に書かれたものだ。

 だがそこに記されている内容は、現状を追認させるには十分な、脅し文句である。ショーン君曰く――


『もしも攻めてきたら全滅させるから、嫌なら警戒を強めて、そちらできちんと取り締まれ。それが領主としての仕事だ』


――との事。こっちとしても、その言には頷くところだ。



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