第110話 悪魔
言うが早いかショーン・ハリューは、今度は自分から攻撃に移った。
「――ッ!」
細く吐かれた息。振りかぶられる斧。速く、鋭く、力強い一撃が振り下ろされる。俺はそれを、なんとか地面を転がるようにして避けた。
ちょっと待て。なんだいまの一撃は!?
「うーん……。このスタイルで戦うのは初めてだが、ちょっと杖が邪魔だな……」
俺に対する警戒は緩めず、なにがあってもいいようにと、体勢を整えながらも、ショーン・ハリューは呑気に独り言ちる。たしかに、片手に斧、片手に杖を持っているその体勢は、傍から見ればとても戦いやすそうな装備状態ではない。
これが、以前のような短剣を片手に装備する戦闘スタイルなら、たしかにもう片方に杖を把持していても問題はなかっただろう。だが、斧を振るという行為は全身運動だ。短剣技と同列にはできまい。
「仕方ないなぁ……。そう、仕方がないんだよなぁ……。これは仕方のない事だ――どうせ殺す相手、潰える、費やす、命だ……。本気で相手をしよう。でなければ、本気の相手に失礼だ。化け物は化け物らしく、化け物としての務めを果たそう」
まるで己に言い聞かせるように、ショーン・ハリューは語る。俺にはそれが、まるで言い訳をしているような、あるいは最後の一線を超える為に己を鼓舞しているような、そんな取り返しの付かない行為に思えた。
「さぁ、それじゃあ悪役の醍醐味、変身だ。見逃すんじゃないぞ、マス君。せめて冥途の土産にするんだ」
ショーン・ハリューが喋っている最中から、その背からはメキメキと、まるで生木の裂けるような音と、湿った布でも裂くような音が聞こえてきた。見れば、ショーン・ハリューの表情は相変わらず笑っていたものの、その額や頬には脂汗が浮いている。
なんだ? この狂人は、いったいなにをしているッ?
「――あは……ッ」
狂人は笑う。間違いなく、己に対してなんらかの苦痛を強いて、それでなお凶相を湛える。まさしく狂気の滲むのその顔で、ニィと――グロテスクに嗤う。その瞳に、俺など映ってはいない。
こいつは、この戦いにおいて、徹頭徹尾俺の事なんざ見ていない。すべて自己完結している。そのくせ、言い訳として俺を使っているのだ。
やがて、ぶしゅっという、まるで水袋が爆ぜるような音を響かせ、ショーン・ハリューの背から三本の腕が生えた。
「――は?」
ぬらぬらと真っ赤な血に濡れた細い腕が、ショーン・ハリューの左の背から三本生えてきたのだ。
意味がわからない。アレも幻術だとでも言うのか? では、ショーンのあの顔もまた演技なのか? なんの為の?
「ははっ!」
己の肌を突き破って現れた異形の腕に怯える様子すら見せず、ショーン・ハリューはその手の内の二本に、己の杖を握らせて笑う。その笑顔だけは無邪気だが、その事実がよりいっそう、眼前の状況の狂気を加速させる。
背の腕で杖を把持したその姿は、たしかにそれまでよりも動きやすそうではあった。だがその歪さは、お世辞にもバランスが取れたとは言い難い。むしろ、さっきまでの方がマシとすら思える。
「僕らって、どうも【大王烏賊】【豹紋蛸】の影響で、悪魔だ天使だって呼ばれている節があるよね。しかしそれじゃ片翼だけだ。比翼連理といえば聞こえはいいが、やっぱりバランスが悪い」
ショーン・ハリューの意味のわからない言動にも、恐怖を覚えるような気色の悪さを感じる。こいつはもしかして、本当の本当に、狂っているのではないか?
「駆れ――【
ショーン・ハリューの右手に把持していた斧から水が迸る。以前短剣によって作っていたものと同じく、水の翼がその背に生える姿は、なるほど変身だ。左からは人の腕が、右からは透明な水の触手が、三対の翼となっている様は人間離れしている。勿論、悪い意味で。
「悪魔……」
その姿はまさに、異形の悪魔だ。気色の悪いモンスターだ。いまならコイツがダンジョンの主を名乗っても、俺は信じてしまうだろう。それくらい、同じ人間だとは思えない。その姿も、精神も。
両翼を生やしたショーン・ハリューは、用意は整ったとばかりに、悪魔のように笑う。
「その通り。僕は君たちにとって、悪魔に等しき化け物だ。違うのはただ一点」
腰を落として力を溜める悪魔は、その凶悪な笑みのまま告げる。
「これは、白昼夢なんて夢幻ではない」
爆発的な踏み込み。俺とヤツとの距離は瞬く間にして〇に近付く。俺が己を振り上げる頃には、ショーン・ハリューも斧を振り上げ、振り下ろす動作に入っている。
速い。本当に魔術師か、コイツッ!?
斧は重い。このまま振り下ろしても、俺の力ではコイツの速さには追い付けない。
避ける? 無理。防ぐ? どうやって? 斧。
「――っア!!」
本来振り下ろす為に掲げた斧を、体に無理を強いて軌道を変える。自分の体を雑巾のように引き絞った気分だ。悲鳴じみた自分の声が、思わず漏れる。だが、その成果はあった。
ガチンという、金属と金属のぶつかる重々しい悲鳴。ショーン・ハリューが振り下ろそうとしていた斧と、俺が突き出した斧がその刃を絡ませて大きな声で鳴いた。
「――づぁ!?」
しかし、なんつーバカ力だ、このガキ。こんなちっこい
スピードも力も乗る前の、打ち下ろしの出足だってのに、腕に伝わる衝撃は大岩でも落ちてきたかと錯覚する程だ。
接触している斧から伝わってくる力が、ギリギリと筋肉と骨を軋ませる。命の危機が迫る恐怖。その実感から、脂汗が滲む。だが、そんなもんは端から織り込み済みだったはずだ。抗うように、俺は呻く。
「――ああああ!!」
俺は所詮、チーキャンにも、カスにも、アラタにも及ばない、ただ小賢しいだけの足手まとい。どだい、あのハリュー姉弟の一人に、竜種を単独で倒し、よくわからねえ手段でダンジョンの主まで倒しちまうようなヤツに、五級冒険者パーティですらお荷物だった俺が、勝てる道理なんざ端からなかったんだ。
それでも納得できないから、道理の方に引っ込んでもらおうって、単純な話じゃねえか。無理をするのなんざ、当たり前!!
「おらぁッ!!」
ショーン・ハリューの土手っ腹に蹴りを放つ。金属っぽくない、黒いプレートが筋肉のように組み合わされた鎧越しでは、ろくにダメージを与えられたとは思えない。だが、それでもコイツには、絶対的な弱点が存在する。それは、その軽すぎる体だ。
生命力の理で力を増していようと、その矮躯は軽すぎる。それでは、俺の蹴りには耐えられない。これは、【魔術】だの生命力の理だのでもどうにもならない、純然たる物理現象だ。
――だってのに、ショーン・ハリューは微動だにしなかった。
「なん、で……?」
「まぁ、別に隠すような仕掛けじゃないさ。見ればわかる」
気軽なショーン・ハリューの言葉が聞こえたと思った瞬間、横合いからなにかに殴り飛ばされた。宙を待っている最中に、それがなにかと、ショーン・ハリューが俺の蹴りに耐えられた理由がわかった。
要は、あの水の触手で踏ん張ったんだ。そして、そんな触手の一本に、俺は殴り飛ばされた。
そこまで理解したところで、俺は岩肌剝き出しの地面に落下し、ゴロゴロと転がる。尖った岩だの石くれにボロボロにされる苦痛は、教会の連中が語るような、地獄の悪魔どもが科す拷問じみていた。
「あが……ッ」
やはり、俺ではこの悪魔には勝てない……。
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