第111話 舐めプ

 ●○●


 実戦訓練という意味では、このマスという対戦相手はなかなかに有用だった。ただやはり、少し弱い。

 問題は、その事で僕の覚悟が揺らいでいる事。弱い相手を嬲るような戦いに、躊躇している点だ。なんたる不覚悟だと、忸怩たる思いはある。だが、弱い者いじめというものには、どうしたって良心の呵責を覚えてしまう。そんなものを覚える自分に嫌気が差す。

 ああ、本当にッ! さっさと身も心も化け物になれよ、僕!


「――はッ!」


 岩肌を転がったせいでボロボロになったマスに斬りかかる。斧という武器は、やはり僕の性に合っているように思う。細かい小手先の技術を求められる他の武具よりも、力任せに振る斧という武器というのがいい。

 マスは僕が渡した斧を盾にするようにして、その一撃を防いだ。ギンという音ともに石火が迸る。僕の作ったものとはいえ、できればあまり傷を付けないで欲しい。


「食らえ!」


 マスが隠し持っていた投げ矢ダートを放ってくる。どうやら牽制らしい。近距離からの投擲だったが、僕はそれを水の触手を用いてガードした。水の触手はそれ程頑丈な代物ではないが、それでも流石に投げ矢ダート一つで壊されたりはしない。

 マスはその隙に、僕から距離を取る。


「はぁ……、はぁ……、はぁ……」


 まだ戦闘を開始してから、然して時間が経ったわけでもないのに、肩で息をするマス。それだけ、彼にとってこの戦闘は負担なのだろう。だが、その瞳には、いまだギラギラと意思が灯っている。

 こちらに対する敵意と殺意。それがありありと窺えた。少しでも隙を見せたら、こちらの命を刈り取ろうとする意思だ。

 僕は、彼にそれを向けられるだけの事をした。その自覚はある。彼らが我が家を襲撃したのが発端とはいえ、事ここに至って善悪などというものに意味などない。いまここにあるのは、単純な意思と意思とのぶつかり合いでしかない。

 そもそも、彼らからすれば僕らの存在そのものが悪なのだ。ダンジョンと人類は相容れない。ダンジョンが人間を食料として見ており、人間がダンジョンを絶滅させんと目論んでいる以上、そこにある些末な善悪など、ティッシュペーパーのような大義名分でしかない。

 実際、彼らを釣った餌であるブルーダイヤとて、端から餌として活用する腹積もりのものだ。それに釣られた相手に対し、いけしゃあしゃあと盗人と罵れよう。みっともない。

 まぁ、今回の侵入者どもを撃退した建前としては、使わせてもらうつもりではあるが……。それでも、僕のモチベーションとして、彼らを一方的に悪いとは言えない。


――だが、それでいいのだ。


 僕は彼らが悪いから殺すのではない。そんな段階は、とうの昔に過ぎ去った。それは所詮、僕が生まれた直後に、人間としての倫理と折り合いをつける為に用いていた、離乳食のような屁理屈だ。

 僕は化け物だ。そうあれかしと己に定めたならば、相手の善悪に頓着するべからじ。戦闘開始時にマスに言った通り。僕は食事をするように、相手を殺さなければならない。

 人間が食材の善悪になど頓着しないように、ダンジョンの化け物である僕もまた、侵入者の善悪に頓着するべきではないのだ。


『人間だとでも思ってんのかッ!?』


 うるさい。

 最近はめっきり聞こえなくなっていた、あの冒険者の罵声が耳朶の奥に響く。

 違うと言いたいところだが、こうしてウダウダ考えている時点で、僕は実際、まだまだ人間の思考に囚われている。それは間違いないだろう。

 だが、だからこそだ。ここで、覚悟を示す。人間を殺し、人間を食らい、僕は僕の意思で、化け物としての一歩を踏み出そう。


「ああ、本当に、嫌になる……」


 悪と同定していない、強くもない――つまりは己の生存において、脅威でもない相手を殺すと己に言い聞かせるだけで、途端に斧を把持する右手が震える。それこそが、僕の覚悟の足りなさを物語っている。

 せめて、あのエルナトとやらを相手にできれば、とも思う。だがそれはやはり、生命の危機によって鈍る覚悟を、誤魔化す所業でしかない。それではダメなのだ。


「おい、大丈夫か!?」


 そんな声に顔を向ければ、オニイソメちゃんの巣になっていた柱から、続々と人が現れていた。【幻の青金剛ホープ】のメンバーだ。

 彼らは血まみれのマスを見てから、さらに僕の異形の姿に仰天してから、背後で剣を交えているグラとエルナトの姿を確認した。それから、僕を突破してエルナトの援護に向かおうという結論に達したようだ。


「マス、加勢するぜ!!」

「つーか、なんだアレ!?」

「アレがハリュー弟の幻術って事か?」


 ボロボロのマスの周りに集まった【幻の青金剛ホープ】のメンバーが、翼状の腕と水の触腕に騒いでいる。どうやら、人数が多い相手であれば、心理的負担は軽減されるようで、その光景に僕のどこかモヤモヤとしたやりづらさが、かなり薄れていくのを実感する。そして、その実感に落ち込む。やっぱり、覚悟が足りない。


「まぁいいさ。結局やらなきゃならない事は変わらない」


 人数が増え、こちらの心理的負担が軽減したという事は、その分反比例的に戦況が悪くなった事を意味する。気を抜くと死んでしまうという命の危機が、眼前の弱い獲物を殺して食らうという禁忌を、相対的に軽くしているのだ。

 か弱い兎を殺すのに忌避感を覚える人はいても、凶暴な角ウサギや牙ウサギを倒すのに躊躇する事はないのと同じだ。気を抜けば怪我をし、最悪死んでしまうようなモンスター相手に、手心を加えようとする者はいないだろう。


「――いくよッ!!」


 僕はまず、己の足で地面を蹴り、マスを中心に集まっている敵勢へと駆け出す。それと移動しながら、自分でも地を蹴りつつ、水の触手でも加速する。この水の腕を用いた移動にも、かなり慣れてきた。天井が低ければ、もっと立体的な動きで相手をほんろうできただろうが、ない物ねだりをしても仕方がない。


「――来やがれ!!」


 まず、マスが前に出るが、そのわきからもう一人突出してくる。最初にこの人を倒さなければならないだろう。

 僕は斧を振りかぶりつつ、背の腕にある杖【僕は私エインセル】に意識を集中する。マスを相手にしていたときは、正直斧での戦闘に習熟する為に幻術を温存していた。

 ある意味舐めプだが、対人戦闘の機会というのは少ないので、実力差がハッキリしている相手に、実戦で訓練しない手はない。モンスターばかりを相手にしていると、たぶんだけれど将来的に人間を相手にするとき、いろいろと困る。

 だが、状況は変わった。近接戦闘だけで相手を負かそうなどというのは、本当の意味での舐めプになりかねない。しかも、それで死んだり深手を負う可能性もある悪手だ。


「じゃあ、まずは初手オリジナル! 【嫌悪ホモフォビア】!」


 かねてより研究していた、ニコイチのような幻術【恐怖】と【怯懦】を合わせた幻術である。まぁ、割と誰でも思い付く組み合わせなので、どこかの研究所なり軍なりでは別の名前で使われているかも知れない幻術だ。

 一瞬、【幻の青金剛ホープ】の連中がたじろいだような気がするが、流石は上級冒険者パーティとでもいうべきか、すぐさま気を取り直したようだ。だが、マスは未だに動揺を隠しきれていない。力量差が如実に表れている。


「ハァッ!!」


 前に出てきた、恐らくは【幻の青金剛ホープ】の盾役の男に斬りかかる。勿論ガードされるが、その一撃を受けるのに専念させる事には成功した。別の男が、横合いから斬りかかってくるが、こちらも想定済み。二本の水の触手で移動しつつ、牽制代わりに一本で攻撃を仕掛ける。

 攻撃の成功率が低いと見たのか、男は未練なく撤退を選んだ。なるほど。あのエルナトのパーティだから、彼らに積極的な攻撃の姿勢は必要ないのか。防御に徹し、相手の隙と消耗を窺う戦闘スタイルのようだ。手堅くて嫌になるね。

 よし。戦闘プランを変えよう。といっても、当初から予定していたプランの一つに移行するだけだ。所謂、プランBに変更というヤツだ。


――そうと決まれば、こいつらをに誘導しなければ。



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