第125話 名前の由来
●○●
「我らはこれより、追撃戦に移る! 不埒な侵略者と、それに与する裏切り者の背に、存分に刃を突き立てよ!!」
私が号令を下すと、騎兵たちから「応!!」という気合に満ちた返答が返ってくる。彼らも眼前の状況を、手柄の取りどきであると感じ、血気に逸っているのだろう。その中には、弟エンツォの声も混じっていた。
彼らに頷き返すと、私は槍の穂先を敵陣へと向ける。
「突撃ィィイイ!!」
声が裏返るのも気にせず、精一杯の大音声を発する。これが敵に届けば、動揺を誘えるはずだ。兵というものは、背後から攻撃されるのがなによりも恐ろしいのだから。
「兄上ぇ!」
エンツォが馬上から、嬉しそうな声をあげる。その気持ちはわかる。こちらの追撃を目の当たりにした、侵攻軍の殿軍らは壊乱し始めたのだ。あれではもはや、組織だった抵抗など不可能な状況である。つまり、我らは殺し放題であり、敵の刃は恐れるに足らないという事なのだ。
「見よッ!! 敵は既に死に体である!! 存分に首を刈り、手柄を立てよ!!」
「「「応ッ!!」」」
私が声をかければ、騎兵らの地響きのような応答がある。その事に、私の心に快哉が湧くのも当然だった。思えばこれまで、随分と苦労をしてきた。
エウドクシア家の当主という椅子の座り心地も、思っていた程いいものではなかった。それは、寡頭政派に味方し、当主を暗殺するような形で家督を得たせいだというのはわかっている。だが、家中では嫌悪され、家の外では軽んじられる日々というのは、なかなかに心を苛んだ。
だが、それも今日までの事! この武功を以って私は、組織内部の統制を強め、エウドクシア家はかつての威光を取り戻す。さすれば、他家もこれまでのように、私を軽んじる事はできまい! さぁ、私の輝かしい未来の為に死んでくれ、ベアトリーチェの配下たちよ!!
「――え?」
誰の声だったか。馬蹄と馬のいななきが、どこか遠くに聞こえる世界で、そんな呆気にとられたかのような声が響く。あるいはそれは、兜の内部で響いた、私の声だったのか……。
バラバラと散っていく侵攻軍の後ろから、こちらを向いている馬首が現れたのだ。否。その先頭にあるのは、馬の顔ではない――竜の頭だ。それに跨るは、もはやこの辺り一帯では知らぬ者のいない黒鎧だ。その隣にも、同じく黒鎧の竜騎士が控えている。
対外的にベアトリーチェが挙げた手柄は、もう一人の黒騎士が立てた武功だといわれている。ベアトリーチェの武功だという事にしたいのか、手柄を立てた黒騎士は小柄だという情報も出回っているが、多くの者がそれは欺瞞情報だと考えていた。
線の細い方の黒騎士は、こちらも有名になりつつある斧から斧槍へと変化するそれの切っ先をこちらに向ける。その姿に、先程の自分を幻視する。
「突撃ィィイイ!!」
ついさっき自分があげたものと、まったく同じ号令が女性の声で発される。間違いなくそれは、我が姪――ベアトリーチェ・エウドクシアのものだった。
この状況で、よりにもよって、ベアトリーチェ自ら殿軍で逆撃を指揮するだとッ!? 殿軍など、死亡率がもっとも高い役割だ。なぜ配下に任せぬ?
困惑しつつも、事ここに至って足を止めるなどという事は許されない。馬に拍車をかけて、槍を構える。敵も襲歩での吶喊を始めた。
互いの喚声、馬蹄の振動と馬のいななき、ガチャガチャという鎧同士の擦れる音だけが、世界を満たしていく。そんな、酷く情報が削げ落ちた世界の中で、私は眼前の状況を整理する。
予想外の出来事こそあったが、状況が我らにとって有利であるのは間違いない。この騎兵同士の小競り合いがどうなろうと、敵は撤退を始めているのだ。追撃の軍を発し、絶えまぬ攻撃を繰り返せば、間違いなくベアトリーチェの軍は瓦解する。
そうだ。私たちのやるべき事は変わらない。この足止めも、根本的にはただの遅滞工作でしかないのだ。
「うぉぉおおおおおおおおおおおおおお!!」
己の内心に去来する暗雲を打ち消すように、らしからぬ雄叫びをあげて槍を構える。急速に近付く二つの騎馬群は、もう間もなく衝突する。
叫ぶ。私が叫び、弟が叫ぶ。味方が叫び、味方の馬が叫び、敵と敵の馬も叫ぶ。大地すら震わせるような絶叫の中、我らはぶつかった。
轟音と衝撃。金属同士のぶつかる耳障りな高い音から、柔らかい肉同士がぶつかるような重い音。戦闘の騎馬が衝突し、槍を交わした衝撃が、まるで我らにまで伝播したかのように伝わってくる。
悲鳴と怒号。幾人かが落馬し、幾人かが串刺しにされた。それがどちらの兵かなど、気にしていられる余裕はない。次にああして命を落とすのは、私かも知れないのだ。
少なくとも、槍玉にあげられているのは、黒鎧ではない。では、この戦闘はまだ続く。
「ぅぐぁおぁお――――!!」
もはや、自分でもなにを言っているのかわからないような、不格好な叫び声を発している。
だが、それでいい。いまの私の思考に、格好をつけた雄叫びをあげる為に割く余地などない。本能のまま、ただこの不安と恐怖を発散する為だけに叫んでいる。それでいいのだ。
死なぬ事。殺す事。それだけ考えていれば良い。ただただその二点だけを追求する思考の、なんと単純明快な事か。武人らが、戦に魅せられる気持ちが、ほんの少しはわかろうというものだ。
「うろぉぁあああああああああ!!」
槍を繰り出す。外れた。構うものか。
槍を避けた騎士を、棒で殴るように薙ぎ払う。この混戦だ。落馬すれば、馬蹄に潰されて命を落とすか、重傷を負う事になる。戦闘不能という意味では、殺す事と同義だ。
「うわぁ――ッ!?」
案の定、こちらの一突きを避けて油断した騎士は、そのまま落馬して馬脚の密林へと消えていった。
「うおぉおぉおッ!! 敵将、エンツォ・エウドクシアが討ち取ったりィ!!」
その声に振り向けば、血のついた槍を掲げる弟の姿。馬鹿者め! これは既に、ただの追撃戦ではないと気付いていないのか!?
やはり私への配慮など期待できなかったという点はさておいても、この状況で名乗りをあげるなど、なにを考えているのか。それは、武人としては正しい真似かも知れないが、単に武功を求めて戦場に乗り込んだ私たちにとっては、自らの異端認定の書類にサインしたのと同義だ。
わざわざ手柄首がそこにあると、敵に知らせているのだ。当然、その者に敵の攻撃は集中してしまう。それを跳ねのけるだけの武威に自信がなければ、やってはいけない真似だ。
「エンツォ・エウドクシアだ!! 討ち取れ! 討ち取れ!!」
「「「うぉおおお!!」」」
案の定、エンツォの元に敵の騎士が殺到する。その周りからは、味方の騎士たちがサッと引いていった。
当然だ。彼はあくまでも、当主の弟でしかない。命を懸けてまで、守る価値などない。まして、ここにいる騎兵は七割が傭兵。あれが私だったとしても、果たして身を挺して我らを守るような者は、どれだけいた事か……。
「なっ、なっ、な――ッ!?」
周囲の状況についていけず、迫る敵と逃げる仲間の姿に困惑を露にする弟。だが、この段に至ってしまえば、もはやアレを助けだす手段などない。弟に、身命を擲ってでも忠誠を誓う配下がいれば、あの状況でも生き残る術は残されていただろうが……。
「――見付けましたわ」
ゾワり。
耳のすぐ後ろから聞こえたように錯覚したその声に、私は慌てて振り向いた。
できる限りの最速で動いているというのに、どうにも動きが鈍くもどかしい。視界がゆっくりと流れているような気さえする。視界内で争う兵士たちも、馬たちも、飛び散る泥土や血潮さえもが、どこか粘性の強い液体でもかき分けて動いているのかという程に、ゆっくりと動く。
ようやく振り返った私の視界に映ったのは、多くの騎士らが驚愕を以って見上げる頭上を、両の脚をあげて跳ぶ巨影。ぞろりと揃った鋭い歯。後ろ脚に比べれば随分と細く、小さいながらも鋭利な黒い爪の生えた前脚。
「――竜」
それだけ言うのが精一杯だった。横合いから、まるで踏み潰すように我が騎馬に飛び掛かった竜の衝撃は、騎兵突撃の比ではない。ただでさえ超重量の巨体が、落下の勢いまで乗せてぶつかってくるのだから、たまったものではない。
ゆっくりと動いていた世界が、まるで濁流にでも流されたかのようにめまぐるしく回転し、体には衝突の衝撃に苛まれていた。鋭い痛みに、思わず呻きがあがる。
「退きます!! 総員、撤収!!」
「はいッ!! 撤収ゥ!! 撤収ゥッ!! 敵大将、フィリポ・エウドクシアを、ベアトリーチェ様が捕えたぞッ!!」
「さっさとずらかりますわよ!!」
ようやく状況が呑み込めたのは、頭上でそのような会話が交わされているのを認識したときだ。私は、まるで正面から抱き着かれるように、竜に捕らえられていた。
……それにしても、ベアトリーチェも随分と、戦場に馴染んでいるものだ。この愁嘆場にあって、楽し気に「ずらかる」とは……。以前の、気位の高いだけの高慢ちきな令嬢の姿からは、到底想像できない。
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