第64話 魔窟と悪魔
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揺れる馬車の中には、かっぽかっぽという馬の足音と車輪の音が沈黙に色を添えていた。馬車の内部は、入り口の横にかけたランプによって、ぼんやりと照らされている。反対の壁に映し出された、私とライラの影法師は、私たちとは違ってゆらゆらとその身を踊らせ、なんだかとても楽しそうだ。
勿論それは、馬車の揺れや灯火の揺らめきによって、そう見えているのだろうが、それでも少し恨めしいくらいに楽しそうに思えた。
そんな四人の車中で、思考の海から戻ってきた私は、大きくため息を吐いてから口火を切った。
「いやはや、とんでもない屋敷だったね……」
既にハリュー家からはだいぶ離れ、間違いなく声は届かないというのに、それでも私の声は意図してひそめられたものだった。対するライラも、十分に周囲に気を配ってから、深々と頷いた。
「ええ、そうですね」
上級冒険者として、実力も経験も有している彼女をして、あのハリュー家という魔窟に対する印象は、私と然程変わらなかったらしい。その事に、ひとまずは安堵する。
この歳まで商売の世界で生き、それなりの経験を積んできたと自負してきたのだが、それでもこんな経験は初めてだったのだ。おそらくは、ライラもそうなのだろう。
私のあの家に対する印象は、まさに【化け物の巣窟】である。
なんというか、村に偽装した盗賊のアジトに足を踏み入れたときに感じる危険な匂いを、五〇〇倍から一〇〇〇倍くらい濃密にした空気が、屋敷中を満たしていたのだ。
私の正直な所感を伝えると、ライラは少し首を傾げてから口を開いた。
「ジスカル様の感覚ではそうなのですね。私はむしろ、猛獣の巣穴や、いっそダンジョンの中にでもいる気分でした」
「それはなかなか面白い見解だ」
しかしなるほど、言われてみればあれは、交渉の通じる敵対的な人間や異種族に対する危機感というよりも、意思疎通の適わないモンスターのねぐらに迷い込んだ感覚に近かったように思う。なかなか絶妙な表現だ。一見すると意思の疎通ができているせいで、その発想には至らなかった。
「ライラから見て、ハリュー姉弟の印象はどうだった?」
「姉のグラ・ハリューですが、彼女は常にジスカル様や私どころか、自家の使用人にすら警戒をしていました。ともすれば、いまにも襲い掛かって来そうな程でした。警戒心の外にいたのは、唯一弟のショーン・ハリューだけです」
「それは気付かなかったな。興味本位で聞くんだけど、もしも本当にそのグラ・ハリューが襲い掛かってきたら、ライラなら勝てた?」
ライラは元は上級冒険者の、私の護衛だ。当然、その実力は並の冒険者を凌駕する。グラ・ハリューもまた上級冒険者ではあるが、彼女はその階級を得たばかりであり、身長は子供そのもので、かなり華奢な印象を受ける少女だった。ライラと並べば、大人と子供どころか巨人と小人と言いたくなる程の対格差がある。
そんな彼女から、信じられない言葉が返ってきた。
「できる事なら争いたくはないです。もしも戦闘になるのでしたら、ジスカル様を逃して足止めをしますので、その際は私の事は見捨ててお逃げください」
「え……、そこまで?」
流石に意外だった為、思わず驚愕が面にでてしまった。そんな私に、ライラは苦笑する。
「いえ、正直に申し述べるなら、私はグラ・ハリューの実力が読めませんでした。それ故に、最悪を想定しての行動です。無論、負けるつもりはありませんが、護衛の最中に勝敗の見えない勝負に挑むのは愚かですから」
「なるほど……」
私は肯じつつも考える。
経験も実力もあるライラが、グラ・ハリューの底が見えないという。それだけで、警戒しなければならない相手だというのは間違いない。そんな相手は、これまで数える程もいなかったのだから。
次は、なにかしらの理由を付けて、最低でももう一人護衛を連れていくべきだろう。
「ジスカル様はどのような印象を受けました?」
ライラの質問に、私は率直な感想を述べる。
「私はむしろ、弟の方に得体の知れないものを感じたね」
ショーン・ハリュー。事前の情報では、多少姉に劣るが有能という印象しか受けなかった幻術師。それこそ、天才とも呼べる才能に恵まれているが、対人関係を築くのに不向きな性格の姉をサポートする役割を担っており、ハリュー家がいままともに一つの家として成り立っているのは、彼の努力の賜物といっても過言ではないだろう。
だが、損な役回りが多く、成した功績とは裏腹に、周囲の人間は彼を忌避し、人によっては憎悪する。……そういう評価だった。
……よもや、そんな人間たちに、自分が共感するような事があるとは思わなかった。
「彼が周囲から浮いてしまい、距離をおかれるのも、おそらくはあの気配を感じて忌避されているのだろう。誰だって、得体の知れない存在は怖いし、そんな相手には近付きたくないものさ」
「得体が知れない、ですか? 私はあまり、ショーン・ハリューの方にはそういうものは感じませんでした。戦闘においても、苦戦はしても負けはしないかと」
どうやらライラ的にも、ショーン・ハリューはグラ・ハリューに劣るという認識のようだ。ライラの言う事だ。戦闘面では、おそらくはその判断は正しいのだろう。
だが、私としてはどちらがより厄介かと聞かれれば、間違いなくショーン・ハリューと答えるだろう。なにせ、彼はなんでもするのだ。
「ショーン・ハリューは、ごくごく短期間でアルタンにおいてたしかな足場を固めてみせた。冒険者、職人、研究者、どの立場だけでも足りない。すべてを卒なくこなして、あの影響力を確保したんだ」
「はい」
私の言葉に、ライラは淡々と返事を返す。ともすれば、興味がないのかと不安になるような返事だが、彼女はこれで真面目なのだ。きちんと内容を記憶し、私がなにを考えているのかを推察しようとしているはずだ。
「元浮浪者であろうと、奴隷であろうと、有能であれば登用し、活用する。マフィアであろうと、一級冒険者パーティであろうと、必要であれば協力関係を築く。我々カベラ商業ギルドであろうと、畑の違うスィーバ商会であろうと、はたまた領主である伯爵に取り入る事もする。すべては、あの町でしっかりとした足場を築く為の布石だ」
「そうですね。ともすれば節操がないとも言えますが」
「それは違う。彼は基本的に、協力者の敵対者と手を組む事はない。ウル・ロッドと競合するマフィアは迎撃するし、我々と協力関係にあったときには、スィーバ商会も袖にしている。むしろ、その関係性は一貫しているといっていい」
私がそう指摘すると、ライラは「なるほど」と言って頷いた。そう。ショーン・ハリューは契約に対して誠実だ。協力関係を結ぶうえで、それはなによりも重要な素養だと言えるだろう。
契約に不誠実な者は、信用できない。奇しくも、いままさに我々が信用問題で汲々としているのとは真逆の構図だ。そういう意味で、ショーン・ハリューは協力者としては申し分ない相手だといえるだろう。
彼は、その辺りの関係を構築する能力はそれなりに高い。協力者、もしくは中立の立場の相手であれば、常識的な言動もできる。
「だが、敵対者に対しては、過剰なまでの攻撃性を発揮する。多くの者はその行いに畏怖するだろう。なんの蟠りもない状態で協力するか敵対するかという選択肢が提示されるなら、当然前者を選ぶ。無意識でもそう感じていれば、本来敵対者は増えないはずだ――ったんだけれどねぇ……」
「実際は、敵対者は増えてしまったようですね」
ライラの指摘に、私は肩をすくめる。ただの町人が、上級冒険者に敵対するというのは、普通であればあまり考えられない行動だ。それは、とりもなおさず件の【扇動者】が原因だろう。
意図的にハリュー姉弟の脅威度を軽視させ、敵愾心を煽る。暗躍には骨が折れるだろうが、やろうと思えばできない事はないだろう。
私の説明に納得したのか、深々と頷いてライラが口を開く。
「なるほど。説明されれば、たしかに戦闘一辺倒な姉よりも、余程弟の方が厄介そうではありますね。私の職分からは、やや外れますが」
「ハハハ。そうだね」
たしかにそこは、ライラではなく私の戦場だ。
まぁ、ショーン・ハリューの異質さは、それだけじゃないんだけれどね。だからこそ、あの家は魔窟なのだ。
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