第63話 協定の成立
「それで、ここまでお話が進んだという事は、ショーン様方からのお口添えはいただけると考えてよろしいのでしょうか?」
柔和な表情で問いかけてくるジスカルさんに、僕もまたにこやかに笑いかける。かなりあからさまに言質を取りにきたのは、僕に合わせたのか、はたまた焦りの表れか。
彼の余裕そうな態度からは想像もつかないが、この町におけるカベラ商業ギルドの状況は、非常によろしくない。いっそ、一から別名の商会を組織した方が手っ取り早いくらいなのだが、名前を隠している事が露呈すれば、ますます住人たちの心証を害すだろう。そんな形で足を引っ張りそうな同業他社は、商いの世界にはごまんといるのだから。
「…………」
「…………」
お互いに無言。ただニコニコと、貼り付けた笑顔で見つめ合うが、その実は睨み合っているようなものだ。
僕は軽々に言質を取られるわけにはいかないし、向こうは向こうでさっさと僕との協力を取り付けて、状況の打開に動きたい。それ故の沈黙だ。
お互いに、少しでも妥協点を自分に有利な場所に打ちたいせめぎ合い。すなわち、ここが本日の交渉における正念場なのだろう。
「旦那様……」
沈黙を破ったのは、ジーガの声だった。といっても、大きなものではない。僕の耳元で、囁くような声音が届く。
話を聞き、頷いてからジスカルさんに向きなおる。
「わかりました。口添えの件はお引き受けしましょう。ただ、それで商人さんたちがどう反応するのかまでは、保証できませんよ?」
「そうですか。いえ、お力添えいただけるだけでも、我々にとっては大変に助かります。誠に感謝申しあげます」
そう言ってから、感謝の意を示すように己の胸に手をおいて、軽く目を伏せた。彼なりの感謝の表れなのだろうが、それがどの程度の感謝なのかは、その仕草の由来を知らない僕にはイマイチわかりにくい。
僕はそこで、ジーガに聞いておいて欲しいと言われた質問を、彼に投げる。
「カベラ商業ギルドさんとしては、失地の回復として短期的にはどの程度のものを考えておられるのでしょう? 以前と遜色ない、または上回るような収益を望んでおられるのでしょうか?」
「いえ、流石にそこまでの高望みはしておりませんよ。我々としては、最低限アルタンの支部を維持し、情報網として機能するならば、最悪収益は切り捨てても構わないと考えております」
「なるほど」
やっぱり、カベラ商業ギルド全体からみれば、アルタンのような立地に恵まれた宿場町であろうと、十把一絡げの中規模な町の一つでしかないのだろう。
忘れてはならない。ジスカルさんが取り戻したいのは、この町の店舗でも、お金でもない。傷付き、汚れてしまった【カベラ商業ギルド】という看板なのだ。
だからこそ、ここで無暗矢鱈に相手の弱味に付け込むのは悪手だろう。相手は、この信用問題が片付いたら、僕らごとこのアルタンの町を捨ててしまっても構わないのだから。
「情報網ですか。では、正味な話その情報網が機能するなら、町に支部を開く必要もないのでは? たとえば、我々がカベラ商業ギルドに情報を提供しますから、カベラさんはアルタンの外の情報を提供していただく、という契約を交わせばその目的には合致するでしょう?」
まぁ、僕自身無理筋だとわかっていての質問だが、彼らの言をそのまま真に受けるなら、こう思っても仕方がないだろう。
「いえいえ。短期的には情報網の機能の維持が目標ですが、長期的に考えれば、それらを満たしつつ、最大限の収益をあげるのが目標ですとも。たしかに、我々カベラ商業ギルドにとっては、アルタン支部の価値は情報収集の比重が高いですが、だからといってそこで拾える利益を放置するのは、商人のやり方ではありません」
「なるほど。たしかにその通りですね」
まず、彼らにとって僕らが信用できるか、という問題がある。意図的に情報を隠されたり、色を付けられたりすれば、カベラ商業ギルド全体に悪影響が生じるだろう。
勿論、そうならないよう契約を交わすのだろうが、なにしろ扱うのは情報という生ものだ。時間が経てば腐るし、扱いを間違えたら中るかも知れない。
早さを優先すれば誤報が混じるし、精度を優先すれば速度が落ちる。それを上手く処理できる契約など、まず有り得ないだろう。
そしてこれが、向こうにとっては最重要だろうが、僕らに下ろしたくない情報だってあるはずだ。僕らは決して、気の置けない間柄というわけではない。
現に、こうして裏をかき合っているような関係だ。まぁ、商人としては当然の関係なのかも知れないが、だからこそ僕らは、互いに互いを信用していない。
そんな相手と情報共有の契約を結ぶようであれば、前評判がどうであろうと、僕はジスカルさんの手腕に疑問を持った事だろう。まぁ、杞憂だったが。
「わかりました。口添えと、カベラ商業ギルドの信用回復に、当家はご協力を約束いたします。微力ではありますが、お役に立てれば嬉しいです」
これにて、僕らとカベラ商業ギルドとの協力関係が成立した。それを確認するように席を立った僕が、ジスカルさんに手を差し出す。ジスカルさんはその手をがっしりと握り、握手を交わした。
この世界にも、握手の文化はある。挨拶のときに握手をするような慣習はないものの、こういった契約の成立時などには、こうして握手を交わすのが、この辺りでの習わしだ。
「そんなそんな。ご謙遜はおやめください。この町におけるハリュー家の影響力を思えば、ご協力いただける事はまさに、天使に精霊を伴うが如しですよ!」
いや、力強く宣言されても、それがどういう意味の諺なのか、僕にはさっぱりわからない。気付かれないようグラを盗み見たが、どうやら我が語学教師も、そういった言い回しには疎いらしい。無表情のまま首を傾げていた。
まぁきっと、鬼に金棒とか、虎に翼とかの意味じゃないかな。
「そう言っていただけると嬉しいですね。なにせ、姉はともかく、僕は悪魔と評される事が多いものですから」
言葉の意味がわからなかったとは言えず、理解した風を装いつつ韜晦して、さりげなく話題を変えた。これでもし、違う意味だったところで、言葉のディテールの話題に移行できたと思う。
「そういえばそうでしたね。まぁ、冒険者というのは、とかく『鬼』だの『死神』だのといった、威圧的で大袈裟な通り名を好むものです。私が知っているだけでも、【
「へぇ、意外と多いものなんですね」
というか、封建制もしくは王政の国家で、勝手に子爵を名乗るのはダメじゃないのか? 王侯と教会のダブルパンチを食らうぞ? いや、もしかしたら本物の子爵が、そんな異名を付けられたのかも知れないが、もしそうなら逆に、そんなあだ名を付けられた貴族が怒りそうだ。
なお、ルゥロックやドュナセイアというのは地名らしい。カウェルシュタットも一応は地名らしいが、こちらはどうやらその山魔さんのせいで、そう名付けられた地名なんだとか。ちょっと時系列がこんがらがってて、意味がわからなかった。
「そうそう。そういえば、ショーン様。実は我々も、この地での失地回復にあたって情報収集に取り組んでいたのですが、その過程で面白い情報を得ましてね」
話のついでのように、ジスカルさんはとんでもない事を告げ始めた。
「もう既にご存知であればよろしのですが、どうやら、この町でショーン様を逆恨みする人間が、一定数いるようですね。どうも、それを扇動している輩がいるようで」
「恨まれているのは知っていますが、それを扇動、ですか?」
「はい。件の、当ギルドの面汚したちの元にも、接触があったようです。まぁ、あの連中は我々から身を隠すのに必死で、それどころではないと追い払ったようですが」
「ほぅ。つまり、その扇動する者は、確実にいるのですね? 懸念や推察でなく」
僕の念押しに、ジスカルさんは笑顔のまま頷く。どうやらこの情報、先の件でごねられたときに使う為の交渉カードだったようだ。いまここで提示したのは、あっさりと協力を受け入れた為、必要無くなったから……——な、わきゃあない。
わざわざ使えるカードを、無意味に切る商人がいるわけがないのだ。
「ところでショーン様。お二人の使っているタイピンは、なかなかの代物ですね。ショーン様のブルーダイヤはわかるのですが、グラ様のタイピンに使われている宝石について、詳しく窺ってもよろしいでしょうか?」
ほらね。
まぁ、【扇動者】が確実にいるという情報は、僕らにとっては有益だったから、対価としてレッドダイヤの情報を渡すくらいは、別にいいんだけどね。
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