第55話 グレイの意図
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伯爵夫人とラチナさんの訪問をなんとかやり過ごしたその日に、グラがアルタンに帰還した。まぁ、ちょくちょく本体のコアに顔を出したりはしていた為、久しぶりというわけではない。ただ、バスガルのコアと、グラがいないダンジョンを守らないといけない為、そこまで頻繁に
僕の性欲に関する話は、さらっとさわりだけ話している。グラも深刻には捉えていないだろう。
今夜にでも、腰を据えて話し合わねばなるまい。
「おかえりグラ。早速で悪いけど、本題に入ろう」
「ええ。グレイが我々に接触を図ってきました。いえ、正確にはアレは私のみとの接触を望んでいたのでしょう」
「グラのみと?」
僕は疑問点に首を傾げる。グレイを名乗る者が接触してきた事は、本体に宿ったタイミングで聞き及んでいる。思いがけず、グレイ案件の進捗があったというニュースは、なかなかに驚くべき事象だった。
だが、詳しい話はお互いに落ち着いてからという事で、これもさわりの部分しか聞いていなかったのだ。だから、グラの言うところの『グラのみに接触を図りたい』という言葉に含まれる意味を咀嚼しかねている。
「僕らのどちらかと接触すれば、それは両方と関わったも同義だ。離間の計の一環かな?」
「そうでしょうね。死に際に、そんな事を言っていました。我々の中に疑心の種を蒔き、仲違いを図る腹積りかと」
「うーん……」
まぁ、僕がダンジョンの
だが、残念ながら僕らにとってはただの悪手だ。僕はなにがあってもグラを裏切らず、グラが「自害せよ」と命じるならば、即座に死神術式を自分に使って果てる所存だ。そうである以上、離間の計など徒労以外のなにものでもない。
「まぁいいさ。敵が見当違いの策を立てるなら、それを逆手に取って逆撃を食らわせてしまえばいい。それで、件の手紙にはもう目を通したの?」
「いいえ。興味もありませんので、封も開けてません」
冷たい表情で、グラは宣言通り封蝋が施されたままの便箋を取り出す。その唇は、必要以上に引き結ばれ、無表情のなかに僅かに緊張が窺える。
ふむ。グラ自身は、離間の計に多少動揺している感じか。強く否定するのも、それを恐れているからだろう。
まぁ、ダンジョンを優先する彼女の意向と、僕の意向が対立すれば、方向性の違いから決裂はあり得ない話ともいえないか。僕がグラを裏切らないと、その意思を全肯定しているのと、グラが僕を信じるのとでは、その意味合いは少し違ってくる。
以前、グラが僕に人間としての生き方を諦め、化け物として生きて欲しいと願ってきたのも、ある意味では僕の希望を否定したという結果になる。まぁ、僕自身はそれに、否定的な感情は抱いていないものの、グラからすれば少し負い目になっている可能性はある。
それが、グレイに対する強い不快感と、離間の計に対する恐れとなっているのだろう。この辺りの不安も、今夜時間があれば解消しておいた方がいいな。
「んじゃ、さっさと中身を検めますか」
まぁ、なんらかの罠が仕掛けられている可能性も〇ではない。本体のコアに宿っているグラが、不用意に手紙を開かなかった点は、安全保障の観点からは間違いではない。そんな事を考えつつ、グラからちょっと距離を取って、封蝋を外し中身を取り出す。
うん。普通の紙だけだ。剃刀も入ってないし、毒っぽい匂いもしない。まぁ、毒効かないけどね。
「うん。まぁ、大丈夫そうだね」
「手紙に罠を仕掛けるくらいなら、あのまま直接襲い掛かってくる方が成算があったでしょう」
「ま、そうだけどね」
ハッキリ言って、僕らにとってはそれが一番嫌な展開だった。グラが、僕の知らぬところで危険な目に遭うというのは、本当に最悪の未来だ。
まぁ、グレイの側にそんなつもりはなかったようだが。
「なになに?」
再びグラに近付き、手紙の内容を確認する。割と丁寧な時候の挨拶と、唐突な接触を詫びる文を枕にしている。相手方は、少なくとも建前上はグラに対して、礼を欠くつもりはないらしい。
あるいは、世間擦れしていないグラを与し易しと判断したか……。もしウチのグラを舐めているようなら、是非とも痛い目を見てもらおう。
優秀なうえに努力家の我が姉は、すぐにでも僕程度の社会性などラーニングしてしまうだろう。そのとき手玉に取られるのはそっちだ。
「要約すると、『トポロスタン近郊のダンジョンを使嗾したのは、自分ではない』という釈明かな。あとは、僕の動向に注意しろってくらいかな? まぁ、ダンジョンが被造物に注意を払うのは当然だし、傍から見たらグラはちょっと、僕を自由にさせ過ぎているように思えるだろうからね」
知性を有するモンスターを、無警戒に解き放つのは、情報管理の面でも安全管理の面でも危険な行為だ。僕らだって、一応ウカには何重もの首枷を用意して、手元から離している。
おまけに、ウカ当人にも耳に
ウカには、犬神法の実践とかが一番効くだろう。一度、適当なモンスターでやって見せれば、それこそ反抗心など挫けるだろう。
「どこまで信用に値すると思いますか?」
「トポロスタンのダンジョンの事? うーん……」
グラの質問に、僕は腕を組んで考え込む。正直、トポロスタンのダンジョンに関しては、ほとんど情報らしい情報がないせいで、判断が難しい。
攻略したのは僕らだが、攻略班に人間がいたせいで、あのダンジョンコアとはろくに情報交換もできなかったからなぁ……。グラの探索も、グレイとの遭遇で早急に引き上げてきてしまったし。
この判断が間違いだったとは思わないが、もし探索を継続していたら、なんらかの情報も得られたかも知れないという未練は、正直禁じ得ない。まぁ、そこそこのDPは得られたし、それだけで良しとするべきだというのはわかっているのだが。
「ただ、グレイが嘘を言う理由がないんだよね」
「そうですか? 出来る限り我々との敵対を避ける為の方便、という事はあり得るのでは?」
「それ、バレたら即敵対になるだけでしょ。なら端から黙っていた方が賢明だ。下手な事をしなければ、これまで通り無関係でいられたのに、この手紙が嘘だったら敵対は避けられなくなる。僕らの手元に、どんな情報があるのか、向こうはわからないはずなんだから、虚偽はただただリスクでしかない」
「なるほど……」
雄弁は銀、沈黙は金だ。タルムードなら『言葉に一シェケルの価値があるなら、沈黙には二シェケルの価値がある』だろう。もっとわかり易く『下手の考え休むに似たり』といってもいい。
策を弄した場合と、なにもしなかった場合で、なにもしない方がリスクヘッジになるというのは、往々にしてあり得る事態だ。動くという事は、それ相応のリスクを孕む行為だ。動くに足るリーターンが望めないのならば、動かない方がいい。
だがこの場合、この手紙を届けたところで、グレイ側が得られるものがなにもない。
「精々が、トポロスタンの件に対する自己弁護でしかない。こちらに、『そうかも知れない』とは思わせられても、確信にはなり得ない。あるいは、こちらがグレイが犯人ではないという、たしかな情報を得ていたとしても、この手紙に新情報が記載されていない以上、メリットらしいメリットがない。当然、グレイに対する心証も良くならない」
メリットとデメリットの天秤が、まるで釣り合っていない。わざわざこの手紙を出す事で、向こうはデメリットばかりを背負っている。動く事で得られるものがまるでないのに、わざわざ動いているわけだ。
基本的には釈明と、僕とグラの間に蹉跌を挟もうとする内容しかない。本命が後者で、グラに取り入る為にトポロスタンの件を自分の仕業ではないと主張している可能性もないではない。だが、それだって信ずるに足る証拠がないのであれば、やはり悪手でしかない。
「よしんば、トポロスタンの件での潔白の証が立ったところで、それはグラが僕よりグレイを優先するという事には、断じてならない。最悪、僕がトポロスタンのダンジョンコアを犠牲にしていたところで、グラは僕とグレイを天秤に懸ければ、こちらを優先してくれるだろう?」
「そうですね。相談もなしにそんな真似をしたという点には苦言を呈すかもしれませんし、あまり褒められた行為ではないと、眉をしかめるかもしれませんが。さりとてそれで、あなたに対して不信を抱きはしないでしょう。あなたがそれを必要だと判断したのであれば、我々の生存の為には必要な行為だったと、無条件で判断します」
「いやまぁ、あの場面でトポロスタンのダンジョンコアを犠牲にしても得られるものなんて、然程もなかったけどね。そこは疑問点を論じて、次に活かそう」
精々、上級冒険者の戦闘データだけだが、それは他のダンジョンコアを犠牲にしてまで得たいものではなかった。いずれ手に入る情報でしかない。
「そんなわけで、グラを全肯定する僕と、僕を全肯定するグラの間に、不和の種は芽吹き得ない」
「はい。故にこそ、我らは二心同体、一心双体です。グレイが我々の仲を割き、間に入り込もうとしているのであれば、実に愚かな事です」
「まったくだね。あえて竜の逆鱗を無遠慮に触ってから、怒れる竜を手懐けようとしているようなものだ。だが、だからこそグレイの行動には疑問を抱かざるを得ないんだ」
僕らの関係を壊して、なんらかのメリットを得ようとしていたというのは、いくらなんでも愚劣に過ぎる。ぽっと出の自分が、いきなり僕よりもグラに信用されると考えていた、という事になるのだから。
しかしだからこそ、グレイの行動の意図がわからない。
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