第56話 グレイ・キャッツクレイドル
「グレイは、やるかやらないかでいうなら、やらない方がいい事をしている。そこまでして嘘を吐く意味が、まるでないのが判断に迷うポイントだ……」
そのせいで、逆にちょっと説得力は増しているが、それで相手の言を信じるなどという事はない。もしそれが策なのだとすれば、それもまた愚策だろう。
「たしかに、黙ってこちらに見えないところで動いていた方がマシでしたね。少なくとも、今回実際にグレイを名乗る人物が現れた事で、私のグレイに対する心証は最悪になりました」
「あるいは、それが目的かも知れないけどね。ただそうなると、今度はグレイと敵対している者がいて、その思惑をも考慮しないといけなくなる。それは、そういう存在がいると確認できたときに、考慮すればいい可能性だろう。頭の片隅にはおいておくべきだろうけどね。いまは、相手がグレイ案件の当人であると仮定して、話を進めるのが建設的だ」
「グレイの思惑……。私との協調と、ショーンとの敵対……。この二つは、本来ならば両立し得ません。ですが、それをできると妄信した愚物であるという可能性は、考慮に値する程度には、あり得ます」
「そうだね。僕がただの
僕としても、ダンジョンコア本体で外を歩かれるのは心配だったのだ。同族として、そこを注意するのは、然程おかしな事だとは思わない。
「ショーンがただの被造物であると誤解しているのであれば、その言も的を射ていると言えるのでしょう。ですが、あなたは私の弟であり、魂の片割れです。それを軽んずる何者をも、私は許容しません。ただ、正直私としては、他のダンジョンの眷属に、敵意を抱くダンジョンコアというものが理解できません」
「そうなの?」
ダンジョンコアにとって、眷属という被造物は、心強い味方にも、厄介な敵にもなり得る存在だ。レヴンを使役している、ニスティス大迷宮のコアだって、彼を地上に放つ為には、造反防止用の策を幾重にも張っているという。
それだけレヴンという存在が、重要なポジションであるという証左でもあるが、同時にそれは、ダンジョンコア側の恐れの表れでもある。あのニスティス大迷宮のダンジョンコアですら――僕らと似た境遇でありながら、真正面から人間たちにケンカを売って、勝ち切ったような武闘派ですら――配下のモンスターの造反には神経を尖らせているのだ。
ウチだってオニイソメちゃんやスターゲイザー君が反抗しても対処できるよう、様々な対策は立てている。まぁ、そもそもその二体は知能が低いから、反抗されても対処はしやすい部類だが。ウカの件もまた然り。
それだけ、ダンジョンコアにとってモンスターというのは、役には立つが厄介でもある存在なのだ。知能が高ければ高い程、その厄介度合は跳ね上がるといっていい。だからこそ、ダンジョンコア側は眷属に対して、それなりに警戒心を抱いているものだと思ったのだが……。
「他者の眷属が優秀であるなら、それを真似たり参考にする事はあります。欠点をあえて無視するような者であれば、注意くらいはするかも知れませんが、人の振りを見て自らの襟を正すくらいが精々でしょう。とりわけ、不快になるという事は、まずありません」
「ふむ……。まぁ、たしかに……」
僕の知るダンジョンの眷属といえば、バスガルのダンジョンのギギさんと、ゴルディスケイルの海中ダンジョンのダンジョンコア、ルディの眷属だけだ。ルディの眷属に関しては一目見ただけで、会話も交わしていない為良く知らないが、ギギさんとはそれなりに話をした。
彼の、できる事、できない事、得意分野、不得意分野についての見解はあれど、それが評価の好悪につながるかといえば……――戦闘能力は見るべきところがある、というか僕よりも高い。【竜鱗】は費用対効果の面から、あまり使わないようにしているが、それはそれとして戦闘面における性能の高さは揺るがしようがない。
だが、交渉能力や判断能力が低い点はマイナスだろう。グラのサポートとして、それでは落第もいいところだ。まぁ、だからといって、ギギさんの評価が下がるかといえば然に非ず。
「なるほど。たしかに、他所の眷属に対して、良くも悪くも強い感慨を抱く事はない、か……。あるのは優劣の評価であって、好悪の評価には、あまりならない」
「はい。眷属も含めて、そのダンジョンコアの能力の一部です。仮に叛逆を受けて討滅されたとて、それは自業自得というものでしかありません。そのダンジョンコアが己の不明を恥じ、原因を嫌悪するならわかりますが、他所からどうこう言うようなものではありません。他人の失敗を指差すような真似は、ダンジョンコアの矜持に悖ります」
「でも【死霊術】の件は……」
「それは悪影響の範囲が大きすぎるからです。よりにもよって、ダンジョンの根幹たるモンスター創造に関する理の一端を、地上へと漏洩させたのですから。悪影響は、すべてのダンジョンコアに波及します。これを批難する行為は、なんら恥じる事ではありません」
「まぁ、たしかに個人の失敗にとどまる話じゃないからねぇ……」
グラの、強い意思の籠った断言に、僕も首肯しつつ、気まずさから少し目を逸らした。
それを言ったら、僕らの死神術式は、外部に漏れればそれこそダンジョンコアにとって致命的だろう。ダンジョンコアが地上生命に優越しているのは、その知性も然る事ながら、なによりその膨大な生命力なのだ。
それを無視して、即死させてしまうような術式が社会に膾炙すれば、それこそダンジョンコアの生存そのものに、大きな脅威となり得てしまう。
いやまぁ、多かれ少なかれ、他のダンジョンコアだって秘中の秘は用意しているだろうし、それは墓まで持っていく類の代物だ。僕らだって、たとえ自分たちが死ぬ事になろうとも、死神術式を他所様に開示してやるつもりはない。
あ、いや、死神術式は外に出してもいい。本当に最悪の場合、それを
……僕個人としては、グラが死んでしまうような事態に陥るなら、他のダンジョンコアの生存など度外視しても、いいとは思っているが……。
話を戻そう。グレイについてだ。
「他に、グレイに関する情報はない? 些細なものでもいいから。そいつの表情とか、声音から受けた印象とか、君に対する感情、君以外に対する感情とか」
「そうですね……。あなたに対する敵意以外では、必要以上に護衛の人間たちを軽んじているのが印象的でした。まぁ、地上生命を軽侮するのは、ダンジョンコアとしては然程おかしくはありません。ただ、わざわざ私との敵対を避ける為に接触したはずなのに、その護衛を挑発する真似は、下手をすれば本末転倒になりかねないと、少し訝しんだのを覚えています」
「なるほど」
たしかに、それはちょっと不可解な行動だ。とはいえ、グラも言った通り、ダンジョンコアとしては、然程おかしな言動とまではいえない。バスガルのダンジョンコアも、同じような感じだったし。
だがそれは、グラとの和解を目指すという目的からは、たしかに乖離した行動だ。グラもまた、周りの人間など塵芥としか思っていない、と判断したのだろうか?
「あとは……、そうですね……――ああ、そういえばその操り人形は、自らをグレイ・キャッツクレイドルと名乗っていましたね。名を名乗るダンジョンコアというだけでも珍しいのに、個人識別以外の記号を有するというのは――」
「――ちょっと待って」
キャッツクレイドル? グレイ・キャッツクレイドル? 本当にそう名乗ったのか? それがハッタリじゃないとすると、相手は結構な大物だぞ……。ダンジョンコアとしてではなく、人間社会においての、だが。
「いや、グラ……。もう少し、人間の名前を意識して覚えていようよ……」
「? もしかして、以前会っている人間でしたか?」
いや、面識はない。というか、あるわけがない。だが、それに近しい人物とは、顔を合わせているのだ。あ、いや、正確に言うなら顔は見ていないが。
「現在の、北大陸のダンジョン学における主流の論調は、以前も会ったケブ・ダゴベルダ博士が発表した『ダンジョン学』というのは覚えている?」
「それは勿論。私も一応、ダゴベルダの事は覚えています。人間たちの、ダンジョンに対する見識と、探求の方向性を知るうえで、なかなか有意義なサンプルでした」
グラがダゴベルダ氏を覚えていた事に、秘かに安堵する。あの人の事まで忘れていたら、流石におっちょこちょいが過ぎる。いやまぁ、ダンジョンコアが名前というものに、あまり関心を向けないのは、生態みたいなものだけどさ。
僕は安堵も呆れも笑顔で塗りつぶしつつ、説明を続ける。
「ダゴベルダ氏の『ダンジョン学』が主流になる前の学説については、どれだけ覚えている?」
「ふむ……? たしか、二つの説があって、どちらが正しいのかでかなり混乱していたのではありませんでしたか? そこに、ダゴベルダの『ダンジョン学』が現れ、その内容の優位性から、どちらの説も立ち消えになったような形だったように記憶しています」
「まぁ、概ねその通り」
ダゴベルダ氏にしてみれば、生産性のない学派同士の論争など、心底ウンザリだったのだろう。天才が本気を出して知者気取りのアホを論破した本、それが『ダンジョン学』であると言っても、まぁ過言ではない。
「その二説が、ゾギア・グリマルキンの『ダンジョン概論』とマクベス・ウィッチクラウドの『ダンジョン学概論』だ。そして、その一つ前の主流がグレイ・キャッツクレイドルの『迷宮仮説』なんだよ」
年代的には、ざっと一八〇年くらい前の学説である。しかも、彼が登場した辺りから、人間たちのダンジョンに対する研究は、迷走に迷走を重ねている印象が強い。『ダンジョン概論』と、その反証の為に書かれた『ダンジョン学概論』など、その典型だろう。
ハッキリ言って、この二説はどっちも間違いではないのだが、それを支持する者同士が互いに互いの粗探しをするような形で、ダンジョン学界隈は混迷を極めていた。それを、ぐうの音も出ない正論――所謂ぐぅ正で収めたのが、ケブ・ダゴベルダ氏の『ダンジョン学』なのだ。
「もし、そのグレイとこのグレイが同一人物ならば、人間社会の学術的混乱は、意図して起こされた事になる……――」
「ふむ……。……なるほど、面白い……」
そのアプローチに対して、グラが感心したような声をあげる。彼女から見ても、あえて人間たちのダンジョンに対する学術に混乱を巻き起こすという妨害工作は、それなりに有効に思えるらしい。
人間の立場からすれば「うへぇ……」って感じだ。そこに手を出されると、本当に厄介だろう。ダンジョンに対するスタンスからして、揺らがされかねない。ダゴベルダ氏、ホントに人間たちの救世主だよ、コレ……。
いやまぁ、まだ本当に双方のグレイ・キャッツクレイドルが同一人物であると、決まったわけではないけどさ。
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