第57話 人外魔道を歩む覚悟
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「なるほど? 生殖機能が……」
グレイ案件についての相談を終え、現状維持と然程変わらぬ今後の方針を定めたところで、本日は床に就く事となった。そこで改めて、僕はグラに依代の状態の変化について報告する。
正直、かなり尾籠な話であり、家族であろうと赤裸々に打ち明けるのは憚られた……。だが、僕自身では疑似ダンジョンコアを作れないし、隠し果せるものでもない。また、依代の不調はいずれグラにも影響のある話であり、下手な事をするのは僕らの今後にとって、良くない結果しか起こさない。その為、気は進まないものの、後に回せば回す程切り出しにくくなると、断腸の思いで打ち明けた。
だが、にも拘らずというべきか、案の定というべきか、グラはきょとんとした表情で首を傾げている。まぁ、本来繁殖をしないダンジョンコアにとっては、あまりピンとこない話なのだろう。人間に例えるなら、いきなり弟が霊感とかピット器官が発現して、幽霊が見えたと言い出した状況と、きっと大差ないものなのだろう。
自分が理解していないものに対して、的確なアドバイスなど下せるわけがないという表情であり、突拍子もない事態に戸惑っているともいえる。それに、なにもこれは不測の事態というわけではない。以前から話し合っていた問題が表出しただけだ。
故に、グラも落ち着いた口調で訊ね返してくる。
「それで、以前から懸念していたように、意識になにか変化はあったのですか?」
「そうだね。異性に対する認識に、かなりフィルターがかかるようになった。といっても、僕に性欲のある状態で異性と接触した時間は短いし、対象も一人だけだ。また、あの状態がスタンダードだとも思えないし、思いたくない」
たしかな結論を出す為には、統計学を持ち出すまでもなくサンプル数が少なすぎる。これでなにかを判断するのは、非常に危ういというのは、僕にだってわかる。
ただ僕としては、早々に性欲なんてものを切り離してしまいたい。
「だがそれでも、僕の異性に対する評価に対し、かなり懐疑的なスタンスを取らざるを得ない。自分自身を、信用できない状況というのは、正直かなりやきもきする。ただ、性欲がなかった頃には気付かなかった点に気付けたというメリットも、たしかにあった。大局的には、一長一短といえるかも知れない。僕個人としては、デメリットの方が大きいとは思うけど……」
最後は少し自信なさげに付け加える。男という視点が、今後なんらかのメリットになる可能性は、なくはないだろう。だがしかし、それまでに男である事で被るデメリットが大きそうで、正直さっさと生殖機能をオミットしたいのが個人的な希望だ。
ただまぁ、中性的でありながら、あんなに愛らしいオーカー司祭を『男か女かわからない』などと宣っていた、これまでの僕の判断にも、どれだけ信用がおけようかという話でもある。また、些細なものであろうと、情報というものは得られないよりかは、得られる方がいい。
僕らのような、危うい綱渡りをしている状況ではなおさらだ。その意味で、あえて情報に色眼鏡をかけるが如き真似は、油断といわれても仕方がないのかも知れない。
この辺りは本当に、どっちが正しいのか、己では判断がつかないところだ。
「ふむ……。やはり良くわかりませんが、ショーンはその生殖能力を取り除いた方がいいと考えているのですね?」
「そうだね。あえて性欲を残すという事も考えないわけではないんだけど、今はまだ生殖能力がない方が、いろいろと動きやすいと思う。最たる理由は、ティコティコさんの存在だね」
あの人の、性欲モンスターとしての嗅覚は並外れたものがある。一度彼女に生殖能力がある事を嗅ぎ付けられてしまうと、その後にあったりなかったりするのは、非常に不自然になる。現状、ないと判断されているのだから、それを継続できるなら、その方がいい。あると判断されてしまうと、取り返しがつかないのが痛すぎる。
「次に、僕に子が作れるとわかると、ハリュー家そのものに厄介事が舞い込み始める。具体的には、ポーラさんとの婚姻話は、否が応にも進んでしまうだろうね。というか、伯爵家との今後の付き合いを思うと、否とはなかなか言いづらいんだけど」
「それもありましたか……。伯爵家を風除けにするのはいいのですが、厄介な瘤が付いてくるのは面倒ですね。風除けの重要度から、軽々に厄介払いもできないという点が、なによりも煩わしい」
忌々しそうに吐き捨てるグラ。繁殖というものには理解が及ばずとも、婚姻という明白な制度に関しては、それなりに理解しているようだ。
まぁ、彼女の苛立ちや懸念もわからないわけではない。というか、正直いまの僕では、ポーラさん程の美人との結婚話に、下心を抱かない自信がない。かなりシビアな判断を求められる案件だというのに、安易に結婚を受け入れる方向に妥協しないか、いまの自分では甚だ不安である。
また、伯爵家側も積極的にこの話を進めようとしている為、そこもまた懸念を強める一端だ。顔を合わせた事のある伯爵家の人たちは、付き合ううえでかなりフランクな人柄だった。だが、婚約をこちらに呑ませたやり方からもわかる通り、貴族らしい政治ができないわけではないのだ。
彼らに完全に主導権を握られると、あれよあれよという間に、懐に入り込まれてしまう惧れすらある。僕個人としては、最悪結婚も視野に入れて、伯爵家をより強い防壁にするのもアリと考えていたが、その妥協にどこまで僕の打算が含まれているのか、いまのままでは判断できない。
「なるほど……。まぁ、なにはともあれ了解です。明日にでも、一度疑似ダンジョンコアを作り直しましょう。一応それで、生殖能力に関してはリセットされるはずです」
「ありがとう。助かるよ」
やはり、あまり性欲というものの存在にピンときていないのか、グラは曖昧に頷きながらも、疑似ダンジョンコアのオーバーホールを約束してくれた。正直、一度分解してから作り直すとなると、DP的にそこそこのロスが発生する為、あまりやりたくはないのだが、ここは背に腹は代えられない。
正直、体調不良という事で表の仕事を随分と蔑ろにしてしまっている。グラをサポートする立場として、これはいただけない。一応、ダンジョンの管理はしているものの、まだサイタン方面のダンジョンにも侵入者がないのが現状だ。
チッチさんたちは、かなり入念に準備と作戦を立ててから、ダンジョンに挑む腹らしい。
「……あまり、人間だった頃と変わらない感性でいたつもりだったんだけど、今回の事で痛感したよ。僕の認識は人間から乖離していて、しっかり化け物としての道を歩み出していたんだ。もはや引き返せないところまで、この道を進んでるんだって……」
「……後悔、していますか……?」
「後悔とは違うかな……」
そう、これは後悔ではない。長いマラソンの最中に、ふと出発地点からの距離と、ゴールまでの距離を実感してしまったようなものだ。まだまだ長いゴールまでの距離と、それでも後戻りなどできぬ程に進んでしまった背後の道の長さを実感しているだけだ。
スタートの空砲を聞いたときにはできていなかった、長くつらい道のりを走り抜く覚悟が、後に引けなくなって定まったような、情けない感覚と言い換えてもいい。そこに多少の寂寞と未練が混じったとて、これは後悔ではない。少なくとも、グラを一人残してドロップアウトするつもりなど、僕にはもうないのだから。
「君と生きる化け物としての道に、後悔などあるものか」
だから僕は、グラの耳元で言い聞かせるように囁いた。果たしてそれは、どちらの耳に言い聞かせたい言葉だったのか……。暗闇に支配された寝床で抱えた小さな頭と、背に回された手が縋るようにダルマティカを掴む強さを感じていると、僕自身わからなくなっていった。
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