第54話 仮病の相談
●○●
翌日、我が家を訪ねてきた客人は――ティコティコさんだった。
いや、怖くね? 僕がこんな状態になった直後に、狙いすましたかのように来るとか、どんだけそっちの勘がいいのか……。
勿論僕は、体調不良を理由に面会を辞した。万が一会って、僕の状態を知られるわけにはいかない。その場で襲われる危険も然る事ながら、そもそもあの人、他人の生殖能力の有無を言い当てるという、【魔法】以上の超能力を有しているのだ。
言うまでもなく、普通の人間は生殖能力を付けたり消したりなどできない。こののち、オーバーホールで生殖能力を取り除く予定の僕は、いまは絶対にティコティコさんに会うわけにはいかないのだ。
幸い、ティコティコさんは大して食い下がる事なく帰っていった。流石に、僕に生殖能力が生えた事を察知して駆けつけてきた、などという事ではなかったらしい。
……少し、生えたという表現は生々しかったかも知れない……。改めよう。元々生えてたけどね! 排泄器官としてしか使ってなかっただけで!
「しかし、ティコティコさんが町にいるとなると、迂闊に外に出歩く事はできないな……。万が一にも顔を合わせたら、取り返しが付かない……」
面会もすべて断る方がいいな。幸い、オーカー司祭たちとの面会以降は、誰とも顔を合わせていない。ティコティコさんが訪ねてきたのも、午前の事だったしね。いや、普通人んちに来るときは午後からというのが常識なのだが、あの人の性格のせいか、その程度の無礼は当然の事と流してしまっていた……。
あっ! やっば……。明日の面会予定は、ゲラッシ伯の奥さんと先日の宴において知己を得たルドフィクスさんの奥さん、ラチナさんとの面会だった……。これ、断れないよな……。
面会の用向きも概ねわかっている。先日の宴において、僕らのアクセサリーが使えないからと、伯爵家に献上したのだ。それを気に入った伯爵夫人から、オーダーメイドのアクセサリーを誂えたいというものだ。
「という事なんだけど……」
『そいつぁ、たしかに心配ですね……』
伝声管の奥から聞こえる、ジーガの不安を隠しきれない声音に、やはり当人も自信がないのだろう。ジーガも、それなりに慇懃な立ち居振る舞いはできる。だがそれが、本物の貴族夫人の前に立つ事が可能なレベルかというと、懸念は残る……。
万が一があっては、ジーガとしても下の者に示しが付かないし、僕としてもある程度の罰は下さないといけない。その辺、なぁなぁになると使用人たちの風紀にも関わってくる。
ただでさえ、最近は襲撃も減って、使用人たちの緊張感も薄くなっているのだ。
「仕方ない。ここは、借りになるけどスィーバ商会を頼ろうか。ザカリーとケチルさんに両脇を固めてもらえば、そうそう厄介な事態には陥らないだろう」
『それがいいかと……。カベラの御曹司くらいなら、俺も安心して応対できるんですがね』
「まぁ、仕方ないさ。本物の貴族が相手だからね」
権勢や財力でいえば、正直カベラ商業ギルドの長の直系という点で、ジスカルさんの影響力は伯爵夫人に勝る。どころか、ゲラッシ伯当人よりも大きいだろう。
だが、それとこれとは話が別であり、貴族相手に失礼を働けば、最悪当人の処刑どころか、お家の取り潰しすらあり得るのだ。伯爵家と僕らとの良好な関係性があろうと、処罰を下さなければならない事態というものは、往々にしてあり得る。
僕らが、ジーガを罰さないといけない事態があり得るのと同様に。
「万全を期そう。僕が快復するなら、それが最善というのはわかるんだけど、自己診断ではちょっと長引きそうなんだ……。最悪なのは、伯爵夫人に
『それはそうですね。伯爵家の家臣団において、新参であるウチの足を引っ張りたい輩に、余計な口実を与えるようなもんです。それに、こう言っちゃなんですが伯爵夫人もお歳ですから、ちょっとした病でどうなるかわかりません』
「そうだね……。それこそ伯爵に移ったりでもしたら……」
『やめてくださいよ。想像したくもねぇ……』
それこそ最悪な未来だと、ジーガが情けない声で呻吟する。それはまさしく、我が家にとっては最悪の想定でしかない。
いかに【魔術】が発達していようと、病に対する万全の対策などない。【神聖術】という万病に効く特効薬は存在するものの、これも万全ではない。具体的にいうと、【神聖術】行使の後に再発が頻繁に起こるらしい。まぁ、流行病が再発したという話は、あまり聞かないが……。
おまけに、そんな疑似万能薬は数に限りがあり、王国貴族すらも列に並んで順番を待っている状態だ。万民が平等にその恩恵を享受できるわけではない。いかに貴族といえど、伯爵当人でなく夫人だ。さらにいえば、既に代替わりを発表している伯爵の夫人である。
下手をすれば、伯爵当人ですら【神聖術】の行使を依頼しないかも知れない。それだけ、神聖術師を借りるというのは大変な事なのだ。
結果、僕の知る地球の中世程でないにしても、この世界においても流行病というものは脅威である。その死神の魔手には、身分の貴賤も質の良し悪しも関係ない。まして、老齢で免疫が弱っている相手ともなればなおさらだ。
我が家を訪れた直後に伯爵夫人が病に倒れ、ついで伯爵当人まで感染したともなれば、こちらに批難が集中するのは免れ得ない。万が一にも死なれては、それこそ大事である。
そんな最悪の事態を思えば、スィーバ商会に借りを作るくらいの事は、なんて事のないリスクヘッジだ。多少の損失も必要経費でしかない。
「スィーバ商会が見返りになにを求めるのかだけ、探っておいて。そっちは問題ないよね?」
『ああ。そこは間違いなく、俺の領分だしな。っていうか、それを言ったら渉外は俺の領分なんだよな。不甲斐ないばかりで、申し訳ねぇ』
「いやいや。ウチも急速に付き合う相手が偉くなり過ぎたしね。ただ、またこんな事があっても、その度に他所に借りを作るのは面白くない。我が家の財布から予算を出していいから、どこかで君も最低限、貴族と応対できるだけの教養を身に着けておいで」
『ああ。自腹切ってでも行くつもりだったさ』
まぁ、ジーガだったらそうだろうね。とはいえ、ハリュー家の使用人として必要な技能の習得なのだから、経費を負担するのはある意味当然だ。
「じゃあ、そういう事でよろしく。肝心なときに病気になんてなってしまって、申し訳ないね」
『いやいや。人間なんだから、無理が利かない事もあるだろ。そういうときに主人を支えてこその使用人だ。旦那はゆっくり体を休めて、きちんと復活してくれればそれでいい。いいか? 絶対に無理すんなよ? いまあんたを失ったら、この家は立ち往生するんだからな?』
「了解。まぁ、安静にしとくよ」
『本当に大丈夫か? 地下に籠られてると、俺たちが世話焼けねえんだ。病気の間だけでも、地上に戻った方がいいんじゃねえのか? そっちで倒れられると、本当に困るんだが……』
「いや、重病じゃあるまいし、まして僕の歳なら重症化もしないって。きちんと休むから、いま地上に戻るのは勘弁してくれ……」
そもそも、本当は誰とも顔を合わせない為の仮病なのだ。そこまで心配されると、すごく良心が痛む。一回だけ、学校を仮病でズル休みした事があるが、あのときもずっと悪い事してる気分で、ちっとも休んだ気がしなかった。
まぁ、心配される事そのものは、ちょっと嬉しいけどさ……。
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