第80話 ベアトリーチェの覚悟

 ●○●


 それからさらに一週間程。

 僕らはパティパティアトンネル帝国側の拠点付近で、竜やウカ、ついでに自分たちの分の食料確保の為に、日夜狩りに勤しんでいた。

 僕やグラはともかく、なんだかんだでベアトリーチェも、そこそこの戦闘はこなせるようになっており、それ以上に、彼女の騎士であるシモーネさんとその部下は、すっかり森での戦闘が板についてきていた。もはや、冒険者と名乗っても、誰も疑わないだろう程度には、闘いぶりも、獲物の処理も手慣れたものだ。

 ただし、斥候を連れてくる余裕がなかった為に、そこは都度都度【暗がりの手】の人にアウトソーシングしている。こう言うと、ただでさえ忙しい【暗がりの手】に、さらに負担を強いているようで心苦しいのだが、彼らからすれば、僕らに勝手に動かれて、敵に接触される方が怖いとの事。

 まぁ、僕やベアトリーチェにそんなつもりはさらさらないけど、帝国的には寝返られると致命傷になりかねない、ウィークポイントなのだろう。心配の種など、ない方がいいという事だ。だからこそ、最初から僕らには護衛件監視の為の人員が割かれる予定であり、こちらに気兼ねなく人を張り付けられるのは、むしろありがたいと言われて、苦笑してしまった。

 まぁ、Win-Winだったという事にしておこう。


 そうして一週間である。帝国軍本隊も、続々と砦に集まり始めており、順次トンネルを通ってベルトルッチ側に戦力を送っているらしい。あっちに行った軍隊がまずやる事は、樵の真似事だろうけどね。そうじゃなきゃ、野営地にも困るだろうし。

 そして、今回のナベニポリス侵攻軍の司令部も、いよいよこちらに腰を据えるらしく、本日中に到着の予定だと、使いが知らせてくれた。ここまできて、彼らを出迎えないなどという間抜けを晒さぬよう、僕らは本日の狩りを早々に切りあげて、基地へと戻る事にした。

 そうして、待つ事三時間程で、それなりの人数と、これまでにない規律を保っている集団が、砦に到着を果たしていた。総勢数万にものぼるだろう、大軍である。当然、砦に入りきらないので、大半は森での野宿である。

 順次ベルトルッチ側に送り出す予定ではあるが、まさかトンネルにぎゅうぎゅう詰めにするわけにもいかないうえ、通行そのものに支障を来しかねない。向こうは向こうで、まだ受け入れるだけのスペースが確保できていない為に、軍の動きそのものはかなり緩慢になっている。

 さて、そんな帝国軍の司令部において、いま現在行われているのは、ベアトリーチェとの顔合わせという名目の、マウントの取り合いだ。別の言い方もできるのかも知れないが、僕に言わせればそうとしか評しようがない。

 まず始めに、ベアトリーチェが「初めまして」と「協力してくれてありがとう」という言葉を、装飾という水で何倍にも希釈して並べ立てた。そこに、なにやら偉そうな青年が、実に嫌味ったらしく彼女の現状を揶揄した。まぁ、勿論かなり分厚いオブラートに包んだ形で、一見するなら心配する態をとってはいたが。

 聞けば、ポールプル侯爵公子との事。なにやら聞き覚えがあるとしばらく考えていたら、当人でなくポールプル金貨の発行元が、そういえばポールプル侯爵だったなと思い至る。第二王国ではあまり使われない貨幣なので、思い出すのに時間がかかった。

 そんな事を考えている間に、天幕内には険悪な空気が漂い始めていた。主に、ポールプル公子に屈しないベアトリーチェと、ムキになって彼女に突っかかっている公子との対立によって。


「いい加減にしたまえ! 我々はなにも『どうしてもあなた様を助けさせてください』と頭を垂れているわけではないのだぞ? なんなら、ここで軍を引き上げても構わないのだからな!」

「どうぞご随意に。わたくしとしましても、頭を垂れて『どうかどうか、お慈悲を賜りたく』と望んで、帝国に協力したわけではございません。そも、開戦の大義名分を欲した帝国と、復讐の為、お家再興の為に戦力が必要だったわたくしとの、利害が合致したからこその現状でございましょう? 一方的に恩に着せられ、あれこれ指図を受ける謂われはございませんわ」

「なんと無礼な! 本当に我々が協力せずとも良いと言うのか!?」

「ですから、どうぞご随意にと申し上げております。あなた様の独断で、帝国軍が右往左往する様子が見られるというのは、なかなか見物でしょうね。少しだけ興味深いですわ」

「なにを――」

「いい加減にせよ、ポールプル殿。それ以上の口喧嘩は、帝国貴族の品位に悖る。軍の差配に、貴殿が口を出す余地などない。当然、癇癪で撤退などしていいわけもない。此度の戦は、皇帝陛下直々の勅命なのだぞ?」


 いい加減、聞くに堪えなくなったところで、厳めしい顔付きの壮年男性が、二人を仲裁する。ベアトリーチェは、スンとおすまし顔に戻ったが、ポールプル公子の方は、渋面を浮かべて壮年男性に険のある視線を送った。

 壮年男性の名前は、ウーディ・フォン・タルボ。帝国南部の領袖の長とも呼べる、タルボ侯爵その人である。


「軍の指揮は、私が担う。エウドクシア嬢は――失礼、参陣している以上、ご令嬢扱いは礼を欠くな。エウドクシア殿は、我が指揮下に入ってもらう。異論ないか?」

「勿論ございませんわ。よろしくお願いいたします。お気遣いもいただき、誠に恐縮の至りにございます、タルボ侯爵閣下」


 そう言って、きちんと頭を下げるベアトリーチェの姿に、帝国軍の面々はホッと胸を撫で下ろしていた。ポールプル公子とのやり取りで、一歩も引かずにやり合うベアトリーチェの姿に、ドン引きしていた面々だろう。好悪のままに動くような直情径行の輩が、軍の旗頭ともなればどのような事態を招くかと、気が気ではなかったのだろう。


「わたくしと従者三名、タルボ侯爵閣下の指揮下に属させていただきます。つきましては、こちらがわたくしの覚悟にございます」


 ようやく、僕がこの天幕にいた理由に至り、ベアトリーチェの騎士二人と僕の三人が、木製の小さな桶を持って、帝国軍首脳部の前へと進む。一瞬、この中で唯一、僕が誰だか知っているであろう、タルボ侯が瞥見してきたが、すぐに素知らぬ顔で並べられた桶の方に視線を移した。


「エウドクシア殿、この桶は?」

「首桶ですわ」


 ざわりと、天幕内に動揺が走る。その中に入っているものがなにか、わからぬような察しの悪い者は、流石にいなかったようだ。


「別に手柄首というわけではございませんから、検める必要まではございません。おそらくは、ただの間諜でしょう。ですが、この三人は間違いなく、わたくしの手で討ち取ったものですわ」

「ほう……」


 声の出所こそわからなかったが、ベアトリーチェの宣言に、感心するような声があがる。

 この三つの首は、まさしく彼女の覚悟の証だった。ただのお飾りではない。共に戦場を駆ける、仲間であるという意思表示なのだ。その証を立てた事に、天幕内の帝国軍の誰かが、感嘆の声を漏らしたのだろう。

 勿論、令嬢らしからぬ苛烈な所業に眉を顰める者もいた。だが、地方領主や将軍など、戦場経験豊富そうな者らの多くは、好意的な反応だった。彼らにとっては、戦場でなんの役にも立たない見栄や権威などよりも、ベアトリーチェの示した『戦う意志』の方が、よっぽど重要だったはずだ。


「わたくしはなにも、此度の戦を皆様にお任せして、成果だけを得ようなどとは毛頭考えておりませんわ。共に戦場を駆り、この手を血に染めてでも、父と兄の仇を討ちたいと考えております。御家の再興に関しましては、流石に帝国の方々の胸三寸にはなるでしょうが」


 そう言って微笑むベアトリーチェ。表情こそ柔らかいものだったが、完全武装のうえ、自らが狩った首を背にしたその姿は、凄絶の一言に尽きた。その姿は、北大陸の貴族観、女性観としては、やはり落第点だっただろう。だが、それが必ずしも失態として捉えられかといえば、然に非ず。


「うむ。その覚悟や良し。初陣の若人としては、そんじょそこらの青二才よりも、よっぽど腹が据わっておるわ!」

「然り。我が家の倅なんぞより、頼りになるわい!」

「まっこと、女性にしておくには勿体ない女傑ぞ!」


 地方領主たちは一様に、彼女の苛烈な振る舞いに対して、好意的な反応を示していた。まぁ、彼らにとって、貴族の価値というものは、いざというときに民を指揮して戦えるかどうかだ。その点において、ベアトリーチェは実績を示した。

 もしも、自分がベアトリーチェと同じ立場におかれた場合、同じ事ができたかどうかを考えれば、彼女に一定の敬意を示すのもむべなるかなだ。


 もしも、今回ナベニポリス侵攻が不守備に終わり、彼女が再び流浪の身となろうとも、帝国南部ならば嫁ぎ先はあるはずだ。ある意味、彼女が貴族であり続ける道は、既に拓かれたわけだ。



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