第79話 遅刻厳禁!

 トンネルを抜けると、そこにもまた大きな拠点が作られていた。むしろ、こっちの方が、帝国側よりも進捗が早く、より充実した防備が敷かれているように思える。まぁ、こちらを敵側に確保されたりしたら、奪還は困難を極める。帝国が自国側よりも、ベルトルッチ側を優先するのは当然か。


「これはこれは、皆様どうもどうもどうも! お久しぶりでございます! 覚えておられますでしょうか、フランツィスカでございますぅ!」


 そして、そんな簡易砦で指揮を執っていたのは、なんとホフマンさんだった。最初は驚いたが、どう考えたって防諜に全力を注がねばならないこの場所の指揮を、門外漢の騎士だの貴族だのに任せられなかったのだろう。タチさんやその上司のタルボ侯の、苦渋の表情が窺える采配だ。

 恐らく、ホフマンさんは二度と、野に埋もれるような真似はできまい。嫌でも、国内外から、タルボ侯の間諜として見られる事になる。それは、彼の商会も同じだろう。

暗がりの手ドゥンケルハイト】が丹精込めて作りあげ、ホフマンさんたちが長年かけて培った商人としてのパイプを、一切合切台無しにするような真似ではあるが、それを押してでもこの場所をギリギリまで隠匿しておきたいという意思を感じる。

 帝国も、タルボ侯も、そしてタチさんたちも、それだけ本気なのだ。


「お久しぶりです、ホフマンさん。いろいろと順調そうですね」

「いやはや、そうも言っていられない程に忙しくさせてもらっております。はい。この砦も、周辺住民に見付からないよう気を配りながら、そのうえで出来るだけ早く、頑丈に造らねばなりませんからな。気苦労ばかりでございますよ」


 相変わらず、ニコニコと愛想のいい笑顔を浮かべるホフマンさん。やはり、裏表があるようには見えない、外連味のない表情と顔の作りだ。

 タチさんたちには、できるだけ周辺に村落がないような場所を指定され、僕らもその指示に過たずトンネルを穿った。だがそれでも、最低限軍が通れるだけの道を確保できる場所を選んだ為に、この場所は必ずしも人跡未踏の地ではない。

 声を潜めて、僕は問う。


「見付かりそうになった事は……?」

「猟師や冒険者に五度程……。どちらも、静かにやり過ごせました」


 笑顔だけはそのままに、声量だけを抑えて答えるホフマンさんに、やはり背筋がゾワゾワとする。恐らく、その人たちは、もうこの世にはいまい。運悪くこの砦に近付いてしまった彼らは、本当に可哀想だ。だが、帝国からすれば、これだけ念入りに進めてきた計画を、台無しにしかねない因子を放置などできない。

 ただ、それを実際に行えるホフマンさんに、僕は素直に恐怖を覚える。それと同時に、好感も覚えるのだから、僕の人物評価というものの基準は、自分でも信用できない。

 恐ろしい。それだけに、味方であれば心強い人だ。ただし、彼はあくまでも帝国の人間であり、ベアトリーチェと違って、裏切りは常に警戒しておくべきだろう。勿論、ベアトリーチェだって、全幅の信頼をおいているというわけではない。

 彼女はあくまで、彼女の目的の為には、その動きはブレないという意味であり、僕を裏切る必然性が生じれば、間違いなく裏切るだろう。そういうときに、どっちつかずで判断がつかないような相手ではないという意味で、僕は彼女を信頼しているのだ。


「ですが、恐らくですがそろそろ限界でしょう……。ナベニポリスや、その周辺自治共同体コムーネも、帝国の動きはある程度把握しております。帝国が、第二王国と連携をとっていない事、また、侯爵閣下の手勢や資材がパティパティアの一部に集まっている点は、もはや隠しようがございません」

「そうですね。やはり、帝国側には、ベルトルッチの間諜がちょっかいをかけてきているのですか?」


 ウカから報告を受けた内容ではあるが、本来ウカも僕らも知っているはずがない情報である。僕はなにも知らない態で、ホフマンさんに訊ねる。

 軍事に携わる重要な情報であるだけに、少しは韜晦するかと思ったが、彼はあっさりと答えてくれた。


「ええ。連日、砦の規模、状態、意図を探るべく、様々な人間があちらの拠点に近付こうとしております。そして、そうである以上あちらの場所は、もはや公も同然。であれば、パティパティアの反対側を注視するのも、元共和国領の者からすれば、当然の流れかと」

「なるほど。たしかに、なにかあるかも知れないと、注意を払うのは当然かも知れませんね」


 いきなり、『山脈を縦貫するトンネルができているはずだ!』などと、荒唐無稽な事を考える者はいないだろうが、『もしかしたら、安定して通れる峠道を見付けたのかも知れない……』程度には、考慮する人間はいるはずだ。そして、彼らがこちら側の拠点を見付けるのを、完全に防ぐ手段などというものは存在しない。

 ホフマンさんにできるのは、対症療法的に目撃者を消していき、できる限り発見を遅らせている間に、帝国側の準備が終わるのを祈るしかない。もしそれができれば、ナベニポリス――というよりも、ナベニ共和圏全体の横っ面を張り倒せる位置に、突如として軍を出現させる事ができるわけだ。

 帝国としては、それが理想だろう。


「大変ですね……」

「ハハハ……。そう言っていただけるのは、ショーン様だけです。ハイ……」


 僕は苦笑しつつ、そう言って彼を労う。対するホフマンさんも、ほんの少し疲労の滲む笑みを湛えてから、二、三世間話をして本業へと戻っていった。

 当然ながら、砦などという巨大な建造物の秘匿などという任において、負担を強いられるのは【暗がりの手】である。並みの兵士や冒険者では、むしろ騒ぎになって目立ってしまう。

 恐らくだが、この砦周辺には多くの【暗がりの手】が配され、神経をすり減らすような思いで、周辺警戒に励んでいるはずだ。何人かは、既に命を落としていてもおかしくはない。

 だが、そういった縁の下の力持ちの事を、考慮できない人間というのはいるものだ。実際、母から聞いた話では、日本の戦国武将なんかは、かなり諜報をなおざりにして、間者を蔑んでいた者も多かったらしい。

 こっちでも、華々しい戦の手柄ばかり注目して、彼ら裏方仕事をバカにする輩も多いのかも知れない。いや、それでも帝国はまだマシな部類だと思うけどね。タチさんがいるだけ。


「しかし、そうなるとマズいな……」

「ショーン、どうしました?」


 僕の渋面を見咎めたグラが、すぐにそのわけを問うてくる。その過保護ぶりに、苦笑しつつ答える。


「いや、いつもの問題。こんな状況で、竜たちの食糧を集める為に、森で騒動は起こせないだろう? だけど、持っている分には限りがある」

「なるほど。たしかに……」

「仕方がない。もう一回ホフマンさんに挨拶してから、僕らは帝国側の砦で待機だ。食糧の確保は、あちらの森で行おう」

「そうですね。ですが、あの小太り男の話では、そちらもいまは物騒なのでは? 無理に危険を冒さずとも、一度屋敷に戻れば良いのではないですか?」


 いや、小太り男って……。少しは名前を覚える努力をしてくれ……。


「いや、今回の戦争において、帝国側の大義名分は、エウドクシア家の家督相続にまつわる不義を糺すという名目だ。その当人たるベアトリーチェが、帝国のどこにもいないのでは、むしろ彼らの不利になりかねない。だからこそ、タチさんもいよいよって事で、僕らを呼んだんだしね」

「ふむ……。良くわかりませんね……」


 まぁ、その辺りの機微については、正直僕もあまりわかっていないところだ。

 政治的なアレコレなのだろうが、面倒だからあまり関わり合いになりたくはない。ただ、たしかに帝国貴族からしてみれば、どこの誰かもわからない、顔も知らない女の為に戦えと言われたところで「ハイ、喜んで!」とはなるまい。

 最低限、彼女も帝国軍の指揮官たちと顔を合わせる必要はあるわけだ。そして、その場に遅参するなど、関ヶ原における徳川秀忠もいいところだろう。

 ちなみに、天下分け目の関ヶ原の合戦に間に合わなかった事で有名な徳川秀忠だが、実はこの一件で、彼にはほとんど落ち度らしい落ち度はなかったらしい。

 なにせ、彼が真田昌幸の籠る信州の上田城を攻めていたところに、家康からの『九月十日に、美濃大垣で合流しよう』という手紙が届いたのが、なんとだったのだから。

 おまけに、信州上田城といえば第一次、第二次上田合戦にて、二度も徳川軍の数的有利を覆し、辛酸を味わわせた要害であり、守るのは真田である。いくら三万八〇〇〇の兵力があろうと、一息に攻略できるとは、家康も考えていなかっただろう。

 まぁ、偏に天候不順によって連絡が遅れたのが悪いわけだ。そういう意味では、秀忠には運がなかったといえるし、まさかその醜態が四〇〇年後まで語り継がれる事になり、無能扱いを受ける事になるとまでは、思っていなかっただろう。

 家康も家康で、味方してくれた大名たちの手前、安易に秀忠を許す事はできず、秀忠に激怒しているという態を取らねばならなかった。恐らくは、参陣した多くの武将たちが、戦に現れない秀忠に対して不満を抱いていたのだろう。

……と、中学の歴史の授業で、徳川秀忠大遅参の話を聞いた僕に、訳知り顔で母が語っていた。


 まぁ、なにが言いたいかというと、事情があろうとなかろうと、結果がすべてであるという事だ。


 経緯を見れば秀忠は運が悪かっただけだが、結果を見れば、秀忠麾下の徳川軍三万八〇〇〇の兵力は、遊兵化されしまったわけだ。それは明確な過失であり、もしも徳川方が敗北していたら、その首はけじめとして落とされていたような失態だったのだ。

 ましてベアトリーチェは、帝国において徳川秀忠程の後ろ盾があるわけではない。もしも彼女が遅参しようものなら、帝国軍の首脳部は、彼女を見下し、扱いも相応のものとなるだろう。当然、戦後の扱いもむべなるかなだ。

 それを避け、少なくとも戦の最中においては、ベアトリーチェと帝国の間に不和を生じさせぬよう、タチさんたちは心を砕いているというわけだ。


「まぁ、そんなわけで、しばらくはあっちの森で、のんびり狩りでもしつつ、帝国軍の到来を待つしかないさ」

「まぁ、あなたがそう言うのであれば、私には文句はありません。ただ、できるだけ危険は避けましょう」

「そうだね……」


 この場には、パティパティアトンネルがある。それは裏を返せば、足元に僕らのダンジョンがないという事だ。勿論、いざというときの逃げ道はあるし、僕もグラも依代だが、実に心細い。

 グラが過保護になっているのも、それが理由だろう。



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